精神科Q&A

【0683】人の顔がなかなか覚えられない


Q: 30代前半の既婚女性です。
他の方の深刻な質問に比べると間抜けた質問かもしれませんが、どうかご意見をいただけたら嬉しいです。

私の物心ついた頃からの悩みの一つが「人の顔がなかなか覚えられない」です。
よくある事、と言われますが、私の場合はかなりひどいのです。
例えば、クラス替えをして40名全員を覚えきるのが3学期だったり、半日一緒に仕事をした人の顔を翌週忘れていたりします。
また、よく知っている人なのに、髪型が変わったり服装が変わったりすると「本当に○○さん・・だよね?」と不安になったりするのです。
こんな私ですので、知らない人に話しかけられることが多く、かなり気まずいです。

特に人間嫌いということも無いですし、それほど多くはありませんが友人もいます。
接客などの仕事もやりましたが、人と会ったり話したりすることに苦痛を感じたことはありません。但し、新しい集団に参加する時は、「顔を覚えないと」と必死になってます。頑張らなければすぐに忘れてしまうので・・・。
ごく普通の成長をしてきた、と思います。他に特に精神的な自覚症状はありません。
精神的な疾患(たとえば自閉症に準ずるもの等)では無いかな、と考えていますが不便です。毎日あう人や家族や友人の顔は覚えていますが、「いつも行くお店の人」と別の場所であっても絶対に気がつかないという妙な自信があります。普通の人は「どこかでみた人」くらいは感じるらしいですが。

先日SMAPのメンバーがカツラをつけただけで誰が誰かわからない自分に驚き、「これは・・克服できるものならばしたい」とあらためて思いました。

友人に「人の顔をどうやって覚えるの?」と聞くと「見れば覚える」「頭の中で写真撮るみたいな感じ?」等といいますが、その感覚を味わったことがありません。我ながらこれは・・と思い、通勤中に「向かいの人の特徴を述べよ」と自分にクイズを出してみると、「髪型」「服装」「眼鏡」などばかりを見ており、顔を見ていない事を自覚しました。顔を見ていないというか、人の顔の違いをあまり感じられない為に特徴と感じていないようです。。。

色々調べると、人間の脳には「顔細胞」と呼ばれるような部分があるらしいのですが・・・どう考えてもその能力が劣っているとしか思えません。
右脳が顔を覚える時に使われるとも知りましたが・・どうなのでしょう。「方向音痴」ではありません。趣味が地図を見ながらのドライブナビゲータです。

このようなタイプの人間は、それが「個性」としか言えないのでしょうか。それとも何かの治療で克服できるのでしょうか。一生懸命努力しなければ顔を覚えられない自分がもどかしいのです。どうやら私ほどではないのですが、母もその傾向があるらしいです。

ご意見いただけると嬉しいです。
長文を読んでいただき、ありがとうございました。




: あなたはDevelopmental prosopagnosiaと呼ばれる病気だと思います。きわめて珍しい病気です。
 Developmental prosopagnosiaは、文字通り訳せば「発達性相貌失認(はったつせいそうぼうしつにん)」ですが、この訳語だと発達していくような印象を持たれるかもしれません。実際にはそんなことはありません。「先天性相貌失認」といったほうがわかりやすいと思いますので、ここでは以下そのように呼ばせていただくことにします。

 「先天性」のつかない、相貌失認は、脳血管障害など、後天的な脳の損傷によって生じるものです。症状はごく簡単に言えば、視覚そのものは正常なのに、よく知っている人の顔がわからない・あるいは人の顔が覚えられないというものです。けれども、その人の声を聞けばその人だとすぐにわかります。また、視覚的にも、顔そのもの以外の特徴、たとえば髪型や服などによってその人だとわかります。まさにあなたの症状がこれです。特に、

よく知っている人なのに、髪型が変わったり服装が変わったりすると「本当に○○さん・・だよね?」と不安になったりするのです。

先日SMAPのメンバーがカツラをつけただけで誰が誰かわからない自分に驚き


というあなたの症状から、あなたが相貌失認であることがかなり確実に言えると思います。
もっとも、

毎日あう人や家族や友人の顔は覚えていますが、

ということからは、相貌失認とはちょっと違うのではないかと思われるかもしれませんが、おそらくあなたの場合、通常の人が行っている顔の認知 (「顔の認知」とは、「顔を覚える」と大体同じ意味です) とは違った方法で認知しているのだと思います。具体的には髪型などの特徴を、意識・無意識を問わず、最大限に利用しているのでしょう。

クラス替えをして40名全員を覚えきるのが3学期だったり、半日一緒に仕事をした人の顔を翌週忘れていたりします。

という記載も、それを裏づけるものと言えます。

相貌失認は、両側または右側の後頭葉・側頭葉の損傷によるケースが大部分です。特に重視されているのは紡錘状回(ぼうすいじょうかい)と呼ばれる部位で、ここには顔に特に反応する神経細胞があることが色々な研究から明らかにされています。以下のあなたの記載はこのことをどこかでお読みになったのだと思います。

色々調べると、人間の脳には「顔細胞」と呼ばれるような部分があるらしいのですが・・・

ただし厳密には、これは「顔細胞」ということとは異なっています。「顔細胞」という言い方をすると、あたかもその細胞が顔を認知しているような印象を持たれるでしょう。事実はそれとは異なります。「顔に特に反応する細胞」と理解しておくべきでしょう。

細胞についての言葉の使い方はともかく、脳損傷による相貌失認では、この紡錘状回の細胞の機能が著しく低下、あるいは失われたことによることは現在では定説になっています。

 ところで、あなたの病気はこれとは違い、先天性相貌失認です。相貌失認(脳損傷による、後天性のもの)も比較的珍しい病態ですが、先天性相貌失認ははるかに少なく、これまで世界で少なくとも9人存在することしか確認されていません。そのうち5人で、家系内に同様の症状を持っている人がいたようです。参考文献もご覧ください。遺伝の要素はかなり強いと思われます。日本では一人もいないとされています (そんなはずはないと思うのですが、少なくとも論文の形にはなっていません) 。あなたは一人目ということになるかもしれません。

 治療法は、残念ながらありません。障害をできる限り補うような工夫をするというのが対処法になります。単に顔をひたすら覚えようという努力は報われにくいでしょう。障害の本質を調べたうえで、適切な努力の方法(代償方法)を見出すことが必要です。それは認知リハビリテーションといってもいいかもしれません。そのためには以下のような検査が必要です。

・脳の画像検査
脳の形態や機能を見るため、MRIと脳波は基本として必要です。できれば脳血流の検査(SPECT)も受けたほうがいいでしょう。

・他の認知障害の検査
参考文献にも記されている通り、先天性相貌失認では、他の認知機能の障害を伴うこともしばしばあります。特に、本当に顔の識別だけが障害されているかどうかの検査は重要です。たとえば、似た花、似た自動車の識別ができるかどうかなどのチェックです。これらはかなり厳密に神経心理学的な検査を行う必要があります。

・自閉症の傾向について

精神的な疾患(たとえば自閉症に準ずるもの等)では無いかな、と考えていますが

とあなたがお書きになっているように、自閉症では確かに人の顔の認知に障害がありえます。あなたのケースでは、自閉症ということはなさそうですが、一応のチェックは必要でしょう。

・お母様の検査

どうやら私ほどではないのですが、母もその傾向があるらしいです。

先にもお書きしたように、先天性相貌失認は遺伝の要因が強いようです。おそらくお母様も相貌失認であると思われます。上記、「私ほどではない」というのは、軽いということかもしれませんが、お母様は長年の経験でこの障害を代償する方法を身につけておられるのかもしれません。だとすると、あなたも同じ方法でかなりの代償が可能と思われますで、お母様の認知機能をよく検査することはあなたのためにも大きな意義があると考えられます。


 さて、ここまでご説明してからこんなことを言うのは大変申し訳ないのですが、事実としてお伝えします。
 先天性相貌失認は、非常に稀な病態ですので、適切な検査を施行して対処方法をあなたに提示できる医師の数は非常に限られています。あなたのお住まいの地域(メールをサイトに掲載するにあたって、プライバシー保護のため削除しましたが)には、私の知る限りではいらっしゃらないと思います。しかしこのサイトではいかなる医療機関の紹介も行わないという方針をとっています。その理由は【0019】の通りです。良き先生に出会われることを願うばかりです。また、今回の回答の内容以外にご質問がありましたら喜んでお答えしたいと思います。

 ところで、あなたのメールから、あなたはご自身の症状について非常によく洞察され、また勉強もされていることが窺えます。また、目のつけどころも鋭いと思います。たとえば、

通勤中に「向かいの人の特徴を述べよ」と自分にクイズを出してみると、「髪型」「服装」「眼鏡」などばかりを見ており、顔を見ていない事を自覚しました。顔を見ていないというか、人の顔の違いをあまり感じられない為に特徴と感じていないようです。。。

この試みは、あなたの障害の本質に迫るものです。(この記載からも、あなたが相貌失認であることがほぼ確実にわかります)
また、

「方向音痴」ではありません。趣味が地図を見ながらのドライブナビゲータです。

この記載は、顔の認知と地理的なものの認知に関係が深いことを洞察しておられるのだと思います。実際、脳損傷によって「方向音痴」的な、地理的な認知が障害されることがあります。その場合の損傷部位は相貌失認とは異なるのですが、比較的接近しており、相貌失認の症状がある時は地理的な認知も検査されるのが普通です。
 この点に限らず、あなたの洞察力は専門家的なセンスがあると思います。非常に稀な障害をお持ちになり、克服は容易でないと思いますが、その洞察力を生かして良い結果に結び付けられることを願っております。


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