精神科Q&A

【1983】私は虐待を体内に巣くうガン細胞だととらえています(【1902】のその後)


Q: 30代女性です。【1902】実父からの性的虐待と、不安・摂食障害・リストカット で回答いただきありがとうございました。同じ日にアップされた一連の【1901】から【1948】は、読んでいると胸が苦しく、全て読むことはできませんでしたが、それでも半分くらいは頑張って読みました。そこに「答え」がある様な気がして、必死に読みました。「答え」とは、何に対する物なのかはわかりません。色々と考えてはみるものの、結局こじつけかも知れない、という結論で思考が止まってしまいます。また、その「答え」が仮に見つかったとして、それが自分に何の影響があるのかもわかりません。 ですが、常に私は何かに対する「答え」を探しているように思います。ただ一つ言えるのは、私にとっての「答え」とは「出口」であると、私は期待しているのでしょう。 体験した事実を説明する事はできても、私は自分を語る事が得意ではありません。ですので、読みづらい点はあるとは思いますが、まただらだらと長文になってしまいますが、よければ聞いていただければ嬉しいです。これは何かしらの「答え」を期待するものではありません。 

私が私についてお話する上で、つきまとうのが「不安」です。誰かが私の中にいるのです。それは間違いなく私なのですが、全く得体の知れない、何を考えているかもわからない人です。この人(あるいは人達)が、たとえ私が強く拒否しようとも、私の全てを奪い、壊してしまうのではないか、私や私の大切にしている物、人の破滅を望み、機会を窺っているのではないか、そう思えて気が気ではありません。現実の生活に満たされているか、そうではないかは問題ではなく、これは全く私の中だけで起こっていることです。なので現在の様に、父から逃げ、故郷から遠く離れ、一見落ち着いて生活して見える今こそが、もっとも私を悩ませ、苦しませます。こうして平穏に暮らしているのだって、旦那という依存相手をたまたま見つけたからに過ぎないのではないか、それは本当に問題がないことなのかと考えてしまう日もあります。共依存という関係が何かしらのトラブルを引き起こす可能性があることを書籍などで学びました。現に旦那の行動の細かなひとつひとつまで、私の感情が大きく揺さぶられ、ひどく荒れてしまうことが多くあります。出産や子育てに対する不安はこういった事実に基づきます。 

母はうつ病を患っていました。私が小学2年くらいの事だったと思います。医師から処方された薬を規定以上飲んでは、昼間、寝ていました。そして、父にひどく叱られていました。父から性的な事をされ始めたのも確かこのくらいの時期だったかと思います。もしくはもう少し以前かも知れません。その内容は詳しくお話し辛いので省きます。主に擬似的な性行為です。

小学6年の9月、母が死にました。どう感じたか、何を思ったかは記憶にありません。継母が我が家にやってきたのが中学2年の春です。高校生になり私は嘔吐を覚えました。2年の頃自殺未遂をしました。リストカットをしました。過食嘔吐やリストカット(もっとも当時はそんな言葉は知りませんが)が一番ひどかったのが、この16歳くらいから、短大へ通い一人暮らしを始めた18、19歳の頃です。

20歳になり、短大を卒業した私は実家に帰るよう、父に言われました。継母とはすでに離婚していました。 そうして再び始まった行為は、もう擬似ではありませんでした。幼少期ならまだしも、分別のつく大人になってからのこの行為は、きっと誰しも私に嫌悪を抱くと思います。旦那にも幼少期の話は出来ても、この20歳になってからの話は出来ないままです。 自分自身の行動に、何故か?どうしてなのか?と聞かれると、いつも私はほとんど答えることができません。そうして2度、父の子を堕胎しました。

実家を飛び出す26歳頃には私の精神は限界に達していました。過激なダイエットをしていたこと、また個人輸入で購入していた薬とは食欲を抑制する為のセロトニン阻害薬であったため、それを大量に、長期に渡って服用していたことが大きかったのだと思います。精神科に通い、薬を貰い、一度は落ち着いていたリストカットをしてまで必死にしがみついていた仕事もクビになり、何かが崩壊した、と思いました。 頭の中で複数の人の声が聞こえました。初めは「死ね」。「気持ち悪い」。などです。(この辺が医師には多重人格と診断されたのでしょうが・・・)最終的には「死ぬしかない」、「早く死ななければ」に代わり、私はこれはヤバい、殺される、と思い、ある夜実家を飛び出しました。 そうして、幸い私には逃げる場所がありました。ネットで知り合った今の旦那です。今では過去の自分はまるで他人のようです。 私には私自身が謎の人物です。こうして過去を書き連ねても、その当時の自分が何を思いどう感じて生きてきたのかあまり思い出すことはできません。それが比較的近い過去であってもです。なのでいつも「不安」なのです。 その謎の解明を求めて様々な書籍やサイトを見たり読んだりします。初めはアダルトチルドレン、そして境界性パーソナリティ障害にもたどり着きました。確かにそれは私を一時的に救いました。その内容はまさに私自身で、私の知らない自分の中の人をやっと理解できたような気になれたからです。しかしそれはすぐに終わりました。なぜなら、私は私だからです。一番よく知らなければいけない自分自身のことを、外部の書籍やサイトに見つけるなんて、何かが変だと感じたからです。 そして私は、ふわふわとした、曖昧な、何とも言えない押し寄せる不安を、ただただ誤魔化し続けることを受け入れざるを得なくなりましした。 「人とはそんなもんだ、そうして誤魔化しながらみんな生きていくんだ」とか、「過去にとらわれるのじゃなく、未来を見つめて生きていかなければ」とか、そんなことを言い聞かせながらやり過ごす日もあります。 と、ここまで書きましたが、では一体私はどうしたいのか?という疑問が生まれます。 私はこの質問も苦手です。わからないのです。どうしたいのかも、どうしてほしいのかもわかりません。 精神科を薦めていただきありがとうございました。しかし私には自分をうまく語れる自信がありません。勇気もありません。また、それが確実に「出口」たりえる保証もなく、外に助けを求めるのは難しいのです。自分勝手な期待から裏切られた怒りや、失望を、耐えられる自信がないのです。

私は虐待を体内に巣くうガン細胞だととらえています。気休めの言葉や薬で散らし生きていっても、もちろんなくなるわけではない。大がかりな手術をすれば治ることもあるでしょうが、それには大変なお金と労力、たくさんの時間の浪費が伴います。失う物も多いでしょう。そうして誤魔化し、逃げ、臭いものに蓋をして生き続け、時が満ちた頃、最悪な形で全てが終わるんだと思います。そのとき隣には大切な人がいます。子供もいるかもしれません。私にはそれが怖くてたまりません。 

長々と書いてしまい本当に申し訳ありません。私のお話したかったことは以上です。お忙しいでしょうが、誰かの目に少しでも触れてもらえたら幸いなのです。


林: ありがとうございました。この【1983】について、私から何かコメントすることは、それがいかなるものでも蛇足になるかと思います。【1983】の方に対しては、【1902】の回答と、それから今回のご報告の御礼だけが、私から申し上げたいことです。

いえ、もうひとつだけ付け加えさせていただきます。

同じ日にアップされた一連の【1901】から【1948】は、読んでいると胸が苦しく、全て読むことはできませんでしたが、それでも半分くらいは頑張って読みました。

とのこと、仮に途中を飛ばしても、ぜひ【1948】だけはお読みください。

【1983】の方のこれからの生活の中に、幸福が豊富にあることを願っています。

 

(2011.4.5.)


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