精神科Q&A
【1744】躁うつ病が治ることがむしろ心配です
Q: 20歳女です。私はテレビ番組やインターネットの鬱病チェックなるもので度々「鬱病の傾向あり」と診断されてきたのですが、憂鬱な気分が長引く事は無く、むしろ異常に晴れやかな気分が続く時もあったので、鬱病ではないな、と思っていました。今回躁鬱が少し気になったので調べてみたところ、もしかして私は鬱ではなく躁鬱の傾向があるのかな?と思ったのでメールさせていただきました。 一浪し、昨年から大学に通う事になりました。大学生活にも慣れてきた5月頃、私は普段体力が無くて疲れやすいのですが、この時の睡眠時間は1日30分〜1時間半くらいでした。帰宅したらとりあえず仮眠を取り、後は朝になるまで起きている感じです。それでも日常生活に支障はなく、むしろ1分も寝なくても大丈夫なのではないか?と思う程でした。ただ学校に遅刻したくなかったのでそうしていました。その時の私は創作意欲が物凄く、メモしてもメモしても新しいアイデアが溢れてきました。友人にも溢れるアイデアを披露して回り、その割には作品を作らない。それでもとうとう自分の才能が開花したんだな、と自惚れる毎日でした。ちなみに私は美大生です。今でも作業に行き詰まった時にはこの時のメモを見直すのですが、中身が無さ過ぎるアイデアばかりでとても使い物になりません。思いついた時は「ペンが追いつかないや!」ってぐらいだったのですが・・・。そして見るもの全てが輝いて見えました。その輝きようと言ったら本当に凄くて、説明しにくいのですが、写真の上からペンでキラキラを加筆しているような感じに見えていました。その頃の私は、ただの石をよく持ち帰っては後日元の場所に戻すことを繰り返していました。魅力的だ、と思って拾ってくるのですが、後で見ると何も感じないのです。
その後1ヶ月くらいこの高揚した気持ちと短い睡眠時間が続き、その間に家具類を沢山買ったために貯金が底をつきお金が無くなってしまった時に、今までの高ぶる気持ちから一気に落ち込んでしまいました。金銭の管理は出来るつもりだったのに無駄遣いしてしまった事。一生懸命働いて仕送りしてくれている両親の事。それらを考えると今まで買った物が汚らわしく思え、全部捨ててしまいたい気持ちになり、実際家具類は捨てずに思いとどまれたものの、洋服や本、CDは捨ててしまいました。5月の自分はもう自立できる!と思っていたので(仕送りで生活していたにも関わらずです。)、親との連絡は断っていました。お金が無くなった事で電話をしないわけにはいかなくなり、これがきっかけで正気に戻る事が出来ました。しかし悲しい気持ちが晴れる事は無く、口数も減り、今までが嘘のように何も思いつかなり、楽しく思えなくなりました。
夏休みが近づくにつれ、段々と落ち着きを取り戻し、夏休みに入ってからは普通に友人と遊んだりアルバイトをしたり、作品を作ったり、充実した日々でした。
夏休みが終わり、学校が学祭ムードになった辺りからまた変な感情の高ぶりがありました。私は学祭で初のグループ展を控えており、展覧会に中途半端な作品は絶対に出したくないことから中々作品作りに取り掛かれず、それが原因でかなり苛々していました。結局作品作りを始めたのは学祭の1週間前で、常識的に考えてまず間に合わないペースでした。それからの睡眠時間は毎日1時間程でした。本当はもう少し睡眠時間が取れたのですが、布団に入っても色々アイデアが浮かんだり絵の事が頭から離れなかったりで眠れませんでした。ですが学校で居眠りする事は無く、疲れはありませんでした。この頃、短いながらも睡眠を取ると決まって悪夢を見ていました。今まで悪夢というものは見た事が無かったのですが、毎日毎日母親を殺す夢を見ていました。母親とは仲良しですし、毎日制作について電話で励ましてもらっていたので、こんな夢を見る自分が嫌でした。学祭が始まってからの3日間は、クラスの出店もありましたので、1日8〜10時間の飲食店での労働と、グループ展関連の事務作業に買い出しで寝る暇も無く動きっぱなしでした。睡眠時間は無かったり30分程だったりしました。ここでもやはり疲れは無く、深夜3時に買い出しを頼まれ、原付バイクで片道1時間の遠出をしても途中で眠くなる事無く帰ってきました。学校で皆といる為か悪夢は見なくなっていました。私は疲れていないから、という事で率先して色んな仕事を引き受けていたのですが、友人達は私の睡眠時間を心配して私を何とか休ませようとしていました。ですが横になっても30分以上眠る事はありませんでした。
学祭の準備を始めた10月初旬から微熱が続き、病院に行っても特に熱以外の症状は無く、熱が下がったのは学祭が終わって落ち着きを取り戻した11月初旬でした。その頃には睡眠時間や思考回路もいつもの自分に戻っていました。 普段の睡眠時間というのは6〜8時間。休日は12時間くらいです。私は呼吸が浅く、体力が無い上に座ってばかりの生活で、10分間立っているだけで疲れてしまいます。
そこで、5月と10月の自分は躁状態だったのでは、と思うのです。普段人と会話をしようとすると、思考が口に追いつかなくてよく噛んでしまうのですが、5月や10月(特に10月)の自分は誰かを捕まえては自分の思っている事、考えた事を一方的に喋りまくり、終いには大して言葉を交わした事の無い教授まで論破していました。(私はあまり記憶が無いのですが、友人達の間で私の武勇伝として語られています。) 最近はやりたい事はあるのですが、学校の課題とやりたい事の両立ができていなかったり、遅刻してはいけないところで遅刻してしまったり、ミスばっかりの自分に苛立つばかりで学校にはほとんど行けていません。
もし私が仮に躁鬱病だったとして、先生に質問したい事があります。躁鬱病は治療で治す事も自然治癒も可能との事ですが、もし躁鬱が治ったら、何がおこるのでしょうか。実は私が今まで作品に取りかかったり、大きなアクションを起こしてきたのは躁状態(?)の時です。それで失敗してしばらくふさぎ込む事は多々ありましたが、それがきっかけで前進できたことも少なからずあるのです。もし躁鬱が治ったら何も思いつかなくなるのではないか、何にも感動出来なくなるのではないか、と不安でたまりません。性格が変わってしまいそうで怖いです。躁鬱が治るという事は、どういう事なのでしょうか?教えてください。 実は先日もメールをしたのですが、その時は躁鬱というものがよく分からなかったため、今回改めて詳しく書き直し、メールさせていただきました。長文失礼しました。宜しくお願いします。
林: まず、あなたが躁うつ病であることは間違いないと思います。
そこで、5月と10月の自分は躁状態だったのでは、と思うのです。
その通りです。
その時の私は創作意欲が物凄く、メモしてもメモしても新しいアイデアが溢れてきました。友人にも溢れるアイデアを披露して回り、その割には作品を作らない。それでもとうとう自分の才能が開花したんだな、と自惚れる毎日でした。ちなみに私は美大生です。今でも作業に行き詰まった時にはこの時のメモを見直すのですが、中身が無さ過ぎるアイデアばかりでとても使い物になりません。
かなり典型的な躁状態です。躁うつ病の躁状態の時には、このように、自分の頭が高速で回転しているように感じ、どんどん行動を起こすのですが、躁状態がおさまってから振り返ってみると、その時の考えや行動は、まとまりがなく非生産的であることが大部分です。【1366】にも似た症状が描写されています。
思いついた時は「ペンが追いつかないや!」ってぐらいだったのですが・・・。そして見るもの全てが輝いて見えました。その輝きようと言ったら本当に凄くて、説明しにくいのですが、写真の上からペンでキラキラを加筆しているような感じに見えていました。その頃の私は、ただの石をよく持ち帰っては後日元の場所に戻すことを繰り返していました。魅力的だ、と思って拾ってくるのですが、後で見ると何も感じないのです。
これも上と同じ、躁状態に特徴的な症状です。
学祭が始まってからの3日間は、クラスの出店もありましたので、1日8〜10時間の飲食店での労働と、グループ展関連の事務作業に買い出しで寝る暇も無く動きっぱなしでした。睡眠時間は無かったり30分程だったりしました。
このように、不眠不休に近い状態で活動し続けるのも、躁状態にはしばしば見られます。
もし躁鬱が治ったら、何がおこるのでしょうか。実は私が今まで作品に取りかかったり、大きなアクションを起こしてきたのは躁状態(?)の時です。それで失敗してしばらくふさぎ込む事は多々ありましたが、それがきっかけで前進できたことも少なからずあるのです。もし躁鬱が治ったら何も思いつかなくなるのではないか、何にも感動出来なくなるのではないか、と不安でたまりません。性格が変わってしまいそうで怖いです。躁鬱が治るという事は、どういう事なのでしょうか?
これは、躁うつ病の方の多くに共通する悩みです。「軽い躁状態くらいが、自分にとっては最も良い」と考えておられる躁うつ病の方はとても多いものです。これは、躁うつ病の臨床では常に考えさせられるテーマです。つまり、医師の方からみても、「この人にとって、最も良い状態は、どのレベルなのか」という問題です。人間として、「平均」が最善とは言えないわけですから、躁からうつまでの波がある躁うつ病の方にとって、その波のどのレベルを治療目標とすべきかは、そう単純には決められないものです。
けれども躁うつ病のご本人に対して是非お伝えすべきことは、「自分が最善と思っている状態は、客観的には最善でないことが大部分である」ということです。【1366】の方も、躁状態の時の行動が結果的には今の自分に役に立っている、と書いておられますが、客観的にはそうではない面が多いと思われることは【1366】の回答にお書きしたとおりです。この【1744】でも、
実は私が今まで作品に取りかかったり、大きなアクションを起こしてきたのは躁状態(?)の時です。それで失敗してしばらくふさぎ込む事は多々ありましたが、それがきっかけで前進できたことも少なからずあるのです。
とのこと、「前進できた」というのは、おそらく一部は事実と思われますが、同時に、躁状態の時のアクションによるマイナスもあったのではないでしょうか。躁状態のときの言動のプラスとマイナスの両面を、是非よく思い出してみることをお勧めします。
そして、一般的には、躁うつ病の方が、「軽い躁状態くらいが、自分にとっては最も良い」と思っておられるその「軽い躁状態」は、客観的には決して軽くはなく、むしろ本人にとってもマイナスの方が多い状態であることがほとんどです。もし「軽い躁状態」を求めるのであれば、主観的には「ごくごく軽い躁状態」くらいが実際には適切であるとお考えください。