精神科Q&A
【1366】「うつ病」と診断されていた私は実は「躁うつ病」でしょうか
Q:
自分は35歳男性で、今まで、3人の医師にかかりましたが、いずれも診断結果は「うつ状態」「うつ病」です。
発症から丁度3年。治療開始から約2年半が足っています。
今まで処方された、坑うつ薬、抗不安薬では、ほとんど効いた実感を得られませんでした。
しかし、X年8月始め(2ヶ月前)処方されたセロクエルが効いたのです。
セロクエルについて調べたところ、統合失調症の薬との事でしたので、自分は統合失調症の陰性症状なのか?と診断名に疑いを持ち、先日、主治医に聞いてみました。
「セロクエルは確かに統合失調症のくすりです。しかし、うつ病にもよく処方されます。
特に躁とうつを繰り返す患者さんには、よく効きます。」
との答えでした。
その場は、なるほどと納得しましたが、考えてみると、躁状態とは、どんな症状か、今一度調べてみようとネットで検索しました。そこで思ったのは、今の自分はうつ状態だと思うが、 発症を意識する以前は、躁ではなかったか?と言う疑問です。
今思うとで、当時は全く意識しないものでしたし、身近な人達に指摘される事もありませんでした。
それは20代始めから、始まるのですが、「この仕事は天職であり、自分は天才である」という思い込みです。
周りから、チヤホヤされ、頼られ、期待された事。尊敬していた直接上司から 「君は天才だ」と数回に渡って言われた事に端を発しています。
しかし天才などと思うのは、躁的な妄想なのかと思います。
この天才という考えは、うつを発症して、自己評価を下げて、消えてしまいましたが、約10年も思い込んでいました。
妄想と言えば「自分は女性にとって、最高の男である」との考えも、短期間ですが数回ありました。女性に、たまたまモテただけですが、これらの思い込みは、20代の自分を支えていたと思います。
躁的な症状は、与えられた仕事にジッと集中して取り組めない。それなのに、誰かれ構わず同僚を捕まえて、世間話、笑い話、噂話をする。
ダメな新入社員を見付けると、ろくに誉めもせず、ダメな面をネチネチと指摘して、行動する事の全てにケチをつけた事もあります。一人ではなく、複数にです。きっと嫌な先輩上司だったと思います。
苛々し、甘えられる、ワガママを言える相手に、口喧嘩を好んで仕掛けたりする事も、多々ありました。
頭の回転が良く、次々と画期的なアイディアを思いついたり、 閃きに、自分の行動を支配されたりする事は常でした。そのほとんどは、実際に実を結び、仕事に生かされ、実績を残したので、結果としては、良いのですが。
例えば、小説家を目指すと、突然宣言して、原稿用紙を大量に買い込み、 寝食を忘れて、文章を書いたりしました。しかし、文章の才能がないと分かると、ケロっと忘れたように書かなくなりました。
文章を書いているより、書けない漢字を調べていた時間の方が長いくらいでしたが、
これは後にパソコンを始めて、実を結ぶ結果には、なります。
パソコンのスキルは今の職業を支える基本となるからです。
音楽を趣味としていますが、20代の終りに、突然作曲に目覚め、自作曲の録音に、またも寝食を忘れます。
これには、浪費癖が伴っていて、次々と新しい楽器、機材を買い込み、 借金こそしないものの、収入とはギリギリ、バランスを取っていました。
自作曲の製作は、聴いてくれた人が誉める事でエスカレートして行きました。
週末はバイクに乗り、数時間のスリルを味わい、ストレス解消したりしましたが、反面、バッテリーが切れたように、動きたくなくなり、週末は寝て過ごしたり、寝られないと、不機嫌になり、自己をコントロール出来ず、苛々しながら過ごしました。
この苛々は、今なら症状として認識出来るのですが、当時は全く理解出来ず、効果は感じなかったのですが、サプリメントのカルシウムを摂取したりしました。
自分の20代は、寝食を忘れて趣味に没頭するか、天才だと思って仕事をするかの、力が溢れ出す状態と、 苛々し、バッテリー切れの状態の、両極端だったかもしれません。
ところが一転、うつ状態になります。
ここからは時系列的に、お話します。
それはX-3年9月末、自分は32歳でした。
きっかけはありません。ある日突然と言ってよいと思います。
朝起きたら、猛烈にダルく、頭が重く、虚しく、悲しい状態でした。
その日はなんとか仕事に行ったのですが、頭がハッキリせず、ひたすらダルいだけでした。
その日、仕事が終わった後、印象的な出来事がありました。
帰り道、車を運転する事も辛く、なんとかいつも寄るコンビニの駐車場に辿り着いたのですが、 そこで動けなくなってしまいました。
自然に意味もなく、涙が溢れだし、猛烈な辛さで自分が押し潰されるようで
「明日も生き苦しみたくない。・・・そうかこの携帯電話のように、自分の電源を切ってしまえば楽になる。」
人間の電源を切るには、どうしたらいいかと、考えて、やっと自殺を意味している事に気が付きました。
知らず知らずに自殺まで考えた自分の状態を悲観しましたが、自殺を実行する気力はありませんでした。
それから2、3日辛い日が続いたのですが、この時は、一旦、症状が消えてしまいます。
しかし、表面上は平静でも、徐々に悪化して行ったように思います。この頃は悪夢ばかり見ていました。
また、夜中に逆流性食道炎になり、救急病院に運び込まれたりしたこともありました。
X-2年2月に遂に、症状を自然に任せる事が出来ずに、病院を受診しました。
やはり、精神科は抵抗がありましたので、我が家では、主治医と考えている病院に相談に行きました。
M病院M院長は、内科と神経内科を専門としておられますが、 診察の結果、治療を引き受けて下さいました。
その時の診断結果が「軽症うつ状態」と言うもので、何故軽症かと尋ねると、
「貴方は自分自身を良く分かっておられる、だから軽症なのです。」と説明されました。
この時に訴えた症状は、首から背中にかけての痛み、肩凝り、耳鳴り、便秘、寝付きが悪いが朝も起きられない、頭痛、頭が重い、無気力で酷く疲れやすく時間があれば寝ていたい、ただ全てが虚しい、といったものです。
この時の処方は、パキシル、メイラックス、レンドルミンです。量に関する記録は手元に残っていません。
問題だったのは会社側の態度です。社長は70歳を越えていて、心の病などは、忌み嫌う人でした。また、自分が経験していない事、自分が想像出来ない事は、存在すら認めない人です。
ですから、自分の病気は受け入れられませんでした。
それは、社長以外の管理職も、同じようなものでした。
自分の病気は仮病、もしくは、やる気の問題と片付けられているようでした。 その度に切々と直接上司に訴えるのですが、理解されないばかりか、溝は深まるばかりでした。
治療を始めたら、後は右肩上がりに良くなると、思い込んでいましたが、期待とは裏腹に、坂を転がり落ちるように、悪化して行きました。
病院には2週に一度の来院の指示でしたが、我慢出来ずに、予約を取り直して、診察を受けました。
結果として、少し様子を見ては、薬を増やす事の繰り返しになり、4月に入る頃には、パキシルが40mg/DAYの限界量。 メイラックスは頓服用。寝付きは改善したが、朝起きられないので、マイスリーに代わりました。
この頃になると、猛烈な症状が襲って来るようになりました。強烈な苦しみに耐えられなくなり、 仕事中でも、人目を気にせず、頭を抱えて、座り込んだりしました。
また、若い女性のキャーキャー声や、小さな子供の声が酷く煩わしくなりました。
夜寝る時もそれまで気にならなかった、近くの高速道路の音に敏感になり、耳栓をしないと寝られなくなりました。
それでも仕事はなんとか続けていましたが、遅刻、早退が増えていきました。 病気を認めないような会社ですから、信用を失っていき、遂に6月末に長期休養を申し出ます。
傷病手当の申請等の事務手続きがあったはずですが、今はもう記憶もありません。
それくらい、その頃は混沌としていました。
傷病手当を貰っているので、法に抵触すると思うのですが、自分が休むと代わりがいない業務が あり、それを遂行する為に、3日に一度、数時間の出勤を強要されました。
その頃はまだ復帰するつもりでしたので、渋々従いました。
しかし、病気を境に会社側との溝は深まるばかりで、7月末に退職を申し出、受理されました。
自分を仮病扱いするような会社には居られないのが、本音です。
今、思うと、上司は仮病扱いと言うより、相談されても、何を言ったらいいか、
どんなアドハイスをしたらいいか皆目見当がつかなかっただけと考えられます。
ただ大変だねと言ってくれれば良かったのですが。
しかし、それを境に病状は好転して行きます。M院長もビックリする程の回復ぶりでした。
食欲が増進し、食べる事が唯一の楽しみになりました。体重が増え始め、それは現在に至るまで続いています。
この頃になると、かなり前向きな思考になっていました。
自分が辞める聞いて、是非来て下さいと言ってくれた企業が複数ありました。
その中から具体的なオファーをくれた会社に再就職決めました。それに伴い、引っ越しもありましたが、それを計画通りに進められる元気がありました。
この頃の症状は、時々言いようがなく不安になる。また、疲れが出る夕方に決まって具合いが 悪くなると言ったものでしたが、軽微なものでした。
10月始めに新しい会社で働き始めるのですが、離人症的な症状に苦しみます。
それは、目の前に仕事があるのに、なかなか現実と感じられず、透明なカーテンに仕切られているような感じで、つまらない失敗を連発しました。
また、仕事の計画を立てるのに、最悪のケースばかり想定してしまい、その考えを覆して、業務を遂行するのにかなりの心労を伴いました。
またネット依存にもなり、出会い系サイトに頻繁にアクセスし、複数の女性とメールをしたりしたのですがこれは退職金に手を付ける程にエスカレートしてしまいます。
しかし、新しい会社に慣れるに従い、自然と消えて行きました。
今、思うとバカげていると思うのですが、何故か止められませんでした。
12月に入り、通院も止めてしまいます。一応の自覚症状が消えた事と、引っ越しにより、M病院から遠く離れ通う事が困難であった事が主な理由ですが、何故維持療法が出来なかったかと、 自分が自分で不思議です。
紹介状を書いて貰い、勤務地近くの病院に転院するのがベストでした。
そうすれば、再発は防げたかもしれません。
中断しても、数ヶ月は問題はありませんでした。
しかし、新しい会社はワーカホリック(仕事中毒)な会社で、朝から深夜に及ぶ残業、休日出勤は当たり前で、経営層からの自分という一担当への個人攻撃もありました。ですから、ストレスによる再発は避けられませんでした。
X-1年7月を迎える頃には、朝起きられずに遅刻してしまう事が多々ありました。
しかし、2、3日我慢すると体調は好転しましたので、誤魔化しながら、会社に通いました。
今、病院に通うと、会社を休まなければならない、しかし自分の責任を全うするには、休むわけにはいかないとの思いになんとか踏ん張り続けましたが、遂に、限界を越え、X-1年10月再通院を決意します。
新しい会社の近くで病院を探した所、総合病院のS病院に行くことに決めました。
ソーシャルワーカーによる事前問診、医師による診断と、治療方針の説明と、薬の説明がありました。
当初3ヶ月の休職を勧められたのですが、会社に居られなくなるという思いから断りました。
代わりに3週間休んで、様子を見る事を提案され、承諾しました。
会社にその旨を申し出ると、会社の体力、都合の限り、治療期間中のサポートはするので、今は体を直す事に専念してくれとの指示でしたので、そのまま休職を始めました。
その時の処方は
テシプール1mg1錠、セパゾン1mg1錠、毎食後。
テトラミド10mg1錠、サイレース1mg1錠、就寝前です。
当初、口が渇く、眠気等の、副作用がやや強く出ましたが、我慢して飲み続ける事で、副作用は消えました。
しかしサイレースは不眠が改善した事で、効果が分かりましたが、他の薬は効果を感じませんでした。
約束の3週間を過ぎても、いっこうに改善の兆しがなく、1週間の休職延長を申し出ました。
S病院の先生は「特効薬はありませんので、諦めず薬を飲んで下さい。職場復帰は改善が見られた考えましょう。」
と言っておられたのですが、自分の復帰への焦りは強く、5週目の11月始めに、復帰します。 しかし、本人の決意とは裏腹に、復帰2日目には早退し、3日目は休んでしまいます。
会社からは「明らかに、焦り過ぎで、今は長い目で考えて、体を治す事を優先してほしい、 朝辛いのなら、昼からの半日勤務はどうか。」
と言われます。その言葉に甘える事にしましたが、自分としては、数週間で朝からの通常勤務に 戻るつもりでした。
しかし、結果として一年たった今でも、変則的な勤務は続いています。
X年1月の処方
テシプール1mg1錠、セパゾン1mg1錠、毎食後。(変わらず)
テトラミド10mg2錠、サイレース2mg1錠、就寝前(倍に増量)です。
年が明けてもいっこうに薬は効かず、うつ症状は変わりませんでした。
それどころか、夜中に起こる過食衝動や、腰痛など、新たな症状も増えてしまいました。
その旨を「食欲が出てしまって、体重が増えて困っている」と、S病院の先生に訴えたのですが
「じゃあ車を使わずに歩いて通勤するか、昼休みに30〜40分歩いたらどうか」と言われてしまいました。うつで苦しむ身には、不条理な言葉です。
この一言で、この先生は自分を治せないと考えました。それに予約制ではないので、朝早く起きて順番を取らなければならず、具合いが悪いなかやっと起きて取った順番でも3、4時間待ちとなってしまい、治療にかける負担も耐えがたいものでしたし、処方された薬も 効きませんでしたので、転院を決意します。
X年2月下旬、次に受診したのが、現在の主治医であるSメンタルクリニックのS院長です。
看護師による事前問診のあとS院長の診察を受けました。「まず、うつで間違いないと思います。」との 診察結果で、会社に通いながらも、投薬治療を続ける事で、合意しました。
その時の処方は
ジェイゾロフト25mg1錠/DAY、ジプレキサ細粒1%0.2mg/DAY、ロヒプノール2mg1錠/就寝前です。
主治医はジプレキサが体に合うか心配だったようですが、多少の眠気があっただけで、問題ありませんでしので、それを受けて2週間後にジプレキサ細粒1%のみ0.3mg/DAYに増量されました。
しかし、病状は改善されず、前の病院の薬を中止したせいか、3月いっぱいは地獄の苦しみでした。
仕事は昼からの勤務でしたが、21時過ぎまで働き、一応8時間の一日分の業務をこなしていました。
仕事を終えると疲れきり、シャワーを浴びる気も起きない程、憔悴し、憂鬱でした。
しかも週に一度は必ず昼にも起きられなくなり、欠勤する事が続いていました。
3月終りに、ジェイゾロフトを50mg1錠/DAYに増量されましたが、効いている実感はありませんでした。
睡眠面で改善が見られたのでロヒプノールを1mg1錠に減量されました。
しかし、遅々として治療は、進みまない印象でした。
6月に入り、現状を打開しようと思い、朝起きた時の不快感のみでも改善するために、ロヒプノールからレンドルミンに変更を申し出て2週間試しましたが、不安症状が出て、出勤出来なくなり、相談の結果、またロヒプノールに戻しました。
そして8月「調子を落としていますから、薬を変えましょうか?」と主治医に言われ、
「翌日に眠気を持ち越す方が多いですから、最初は1錠から始めて下さいね。」と
ジプレキサからセロクエルに代わりました。
その時の処方が今の処方である、ジェイゾロフト50mg1錠/DAY、セロクエル25mg3錠/DAY、 ロヒプノール1mg1錠mg/就寝前です。
セロクエルは1錠飲んだだけで、今までどの睡眠薬を飲んでも感じなかった、眠気が起きましたが、 盆休みを、利用しながら、3錠/DAYに増量して行きました。
正直最初は酷く頭が重くなり、うつが増悪した印象でしたが、不思議と翌日の朝が楽になりました。
盆休みの終りに診察日が来て、その旨を主治医に伝えると、「3錠を一気に飲まずに、夕方1錠、 夕食後2錠と分けて飲んでみて下さい。それに食事前か食後飲むかに、こだわらなくてよいです。それは、ジェイゾロフトも一緒です。」と言われました。盆休み明け、その通りに実行したのですが、 結果はあまり良くありませんでした。
18時過ぎに会社でセロクエルを1錠飲んだら、小一時間程で、頭が重くなり、たまらず仕事を切り上げて帰宅したり、翌日の朝もセロクエルが残っているような印象で、会社に行けませんでした。
その週は遅刻は毎日、早退3日、欠勤2日で、正直もう一度、休職する事を考え始めていました。
夕食後にセロクエル2錠とジェイゾロフトを飲むのは、体に負担が大きい印象でしたので、その週末、急に思い付き、18時にセロクエル1錠、ジェイゾロフト1錠を飲んでみたところ、 不思議と頭が重くならず、21時過ぎに2錠飲んでも平気でした。
翌日も同じように飲みましたが、確実に良い方向に効いているのを、実感しました。
翌週の平日は欠勤はゼロになり、やっと薬の効果を感じた週でした。
自分自身も日常化して気付かなかったのですが、常に感じていた
「見るもの全てが虚しい。生きる事全てが虚しい。」と言う考えがきれいに消えました。
濃い霧がやっと晴れ始めた印象です。
それから病状は改善の方向で、今も続いています。肩凝りと便秘が治り、性欲が出て来ました。
次に過食衝動が消え、朝起きたら会社へ行こうと言う当たり前の、行動力が戻りました。
9月に入り、第1週は12時出勤を11時出勤に自ら切り換え、第2週は10時半、第3週は10時に 出勤する事にし、そしてほぼ達成出来ました。
確かにまだストレスに弱く、少し仕事に問題があると、朝起きられないのですが、
今日の時点で6週間連続で無欠勤を続けています。
今ある症状は、腰痛、趣味を楽しめない、テレビがつまらない、疲れやすい、ストレスや他人の批判に 耐えられず、自信が持てない、あからさまな日内変動、夜中に何度も目が覚める等ありますが、 随分楽になり、希望を持てるようになりました。
今は18時にセロクエル1錠、ジェイゾロフト1錠。20時にセロクエル1錠、21時にセロクエル1錠と3回に 分けて飲み、23時にロヒプノールを飲んで寝ています。
ここまで発症から3年。非常に長かったのですが、あと少しと考えています。
さて、長くなりましたが林先生に質問として
(1) 20代の自分は躁状態だったのでしょうか?
(2) 躁状態だとしたら、私は躁うつ病でしょうか?
(3) 躁うつ病だとしたら、今からでも主治医に申し出て、リーマスを処方して貰うべきでしょうか? または、躁の症状が出たら、その時点で考えればよいのでしょうか?
(4) 若しくは今のジェイゾロフト、セロクエルの組み合わせで十分なのでしょうか?
林: あなたは躁うつ病だと思います。
(1) 20代の自分は躁状態だったのでしょうか?
そうだと思います。
頭の回転が良く、次々と画期的なアイディアを思いついたり、 閃きに、自分の行動を支配されたりする事は常でした。
これは、躁状態であったと思われます。
ただし、躁状態というからには、何らかの問題が出ていることが条件になります。実際にすべてがうまくいっているのであれば、それは病的とは言えないからです。
あなたは、当時から現在まで、
そのほとんどは、実際に実を結び、仕事に生かされ、実績を残したので、結果としては、良いのですが。
とおっしゃっていますが、メールの内容を見ると、かなりの問題が発生していることが読み取れます。確かに中には「実績を残した」ものもあったかもしれません。けれどもこの記述は、うまくいったことのみを重視し、発生した問題は軽視していると言わざるを得ません。そして、そのようなことは、躁うつ病の躁状態の人にはごく普通に見られることです。つまり、「うまくいっているのだから、自分は病気ではない」と主張されるのです。
(2) 躁状態だとしたら、私は躁うつ病でしょうか?
そうです。あなたは躁うつ病だと思います。
(3) 躁うつ病だとしたら、今からでも主治医に申し出て、リーマスを処方して貰うべきでしょうか? または、躁の症状が出たら、その時点で考えればよいのでしょうか?
ここは医師によって意見の分かれるところだと思いますが、私ならリーマスの処方を開始します。
(4) 若しくは今のジェイゾロフト、セロクエルの組み合わせで十分なのでしょうか?
これも意見の分かれるところです。躁うつ病でもあるいはうつ病でも、複数の薬の組み合わせが効いたように見えることはしばしばあります。最近は非定型抗精神病薬と抗うつ薬の組み合わせが用いられることがよくあります。
但し、これは本当にその組み合わせが効いたのか、偶然のタイミングにすぎないのか、ほとんどの場合に確定は困難です。
けれども実際の臨床では、症状が良くなったのであれば、そのときの処方を続けるのはごく自然ですので、この【1366】のケースでは、今のジェイゾロフト、セロクエルの組み合わせを当面は続けるのが適切と判断できます。