精神科Q&A

【1019】「報道されない抗うつ薬副作用の恐怖」(SPA!の記事)について


Q私は29歳女性です。SPA! 2006年5月30日号で、「報道されない抗うつ薬副作用の恐怖」という記事を目にしました。

電車の中吊りで上記の見出しを目にし、どのような内容なのか大きな不安を抱かされました。というのは、私は現在うつ病でSNRIを服用しているからです。その前にはSSRIを服用しておりました。服用にあたり、薬について自分自身、理解し納得していたつもりです。

しかし、SSRIやSNRIには、報道されない副作用が潜んでおり、この記事によって暴かれたのだろうか? という不安を抱かされてしまいました。
その一方で、週刊誌的なある一面を大きく取り上げて騒ぎ立てたにすぎない内容なのでは? とも思われ、まずはどんな内容なのか確認すべく、この雑誌を手に致しました。

記事は、最近多発している理解し難い事件、たとえば理由なく子どもを殺したり、あるいは何年か前のハイジャック機長殺人事件などの犯人がSSRIやSNRIを服用していたことから、すべては薬の副作用による異常行動である可能性を強く印象づける内容で、私のようにこの薬を服用している当事者にしてみれば、とてもセンセーショナルな内容だったと思います。
しかし幸いなことに、林先生のHPなどで、薬のことや病気のことを自分なりに理解していたつもりでしたので、記事のレトリックのような部分を見極められ、冷静に受け止めることができていると思っております。
しかし多くの抗うつ剤服用者には不安を煽られる記事になっているのではという心配を強く感じさせられながら読み進めました。

ところが、記事の途中や最後に、林先生のお名前をお見かけしてビックリ致しました。
病気やお薬を理解する上で、大変お世話になったHPの林先生のコメントが最後に掲載されていたため、この記事が一方的な視点で書かれただけのものでないのだと理解し、別の見方も示されていることには、意味を感じさせらました。

しかし、「抗うつ薬=副作用」=恐い というイメージがとても強い印象を与えられる記事であることは確かだと思います。
そして服用者の不安を煽るだけでなく、うつ病、精神障害に対する世間の冷たい視線を増幅させるものになっているのではないかと危惧致します。

最後に掲載された林先生のコメント部分は、ご自身で書かれたものでしょうか?
インタビューによる記事でしょうか? 事前に記事のチェックは可能だったのでしょうか? 先生ご自身がお伝えになりたいことは、充分お伝えできたのでしょうか?

週刊誌的記事に、目くじらを立てるのも大人げないとも思うのですが、記事が与える影響力というものも少なからずあるように思われます。
この記事に関して、関わられたお立場から、もし可能であるならば、先生のご意見を
お伺いできればと思いメールを差し上げた次第です。ご回答いただければ幸いです。


林: 
最後に掲載された林先生のコメント部分

「SSRIの副作用と事件に因果関係を見いだすのは早計だ」というコメントですね。この記事をお読みになっていない方のためにここに転載したいところですが、それは出来ませんので要約しますと、SSRIに限らず薬にはプラスとマイナスの面がある、というのが要旨です。

ご自身で書かれたものでしょうか? インタビューによる記事でしょうか?

インタビューによる記事です。一般に、週刊誌のこうしたコメントは、インタビューの結果をライターの方がまとめて文章にする、という形をとっています。この記事もそうです。私がライターの方の質問に答えた内容(時間的には1時間くらいです)をまとめた内容です。

事前に記事のチェックは可能だったのでしょうか? 

この部分(林のコメントである「SSRIの副作用と事件に因果関係を見いだすのは早計だ」の内容は掲載前に私がチェックしています。他の部分は私も雑誌が出てから初めて目にしました。しかしそれは自然なことでしょう。記事全体に口を出す権利は私にはありません。

先生ご自身がお伝えになりたいことは、充分お伝えできたのでしょうか?

どうでしょうか。それは読者の方が判断されることだと思います。あなたがお書きになっているように、この記事は全体としては無用な不安を煽る印象を与えていることは否定できません。しかし、こんなことを私自身が言うのもおこがましいですが、私のコメントが入っていることで、あなたのおっしゃるように、「この記事が一方的な視点で書かれただけのものでない」ものになっていると思います。
 それでも全体としての印象は望ましくないものである、というのがあなたのご意見だと思います。私も記事全体としての印象は望ましくないものであると思います。けれども、記事そのものが望ましくないかどうかは別です。抗うつ薬があまりに広く使われすぎている現在、そのアンチテーゼを提唱するには、それなりの目立ち方が必要でしょう。この意味で、私はこの記事にもそれなりの価値があると思います。報道からの「印象」は重要ではありますが、情報がいくらでも入る今という時代においては、その「印象」の向こうにある真実を見極めることが、読者に求められている見識だと思います。

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この回答を、全く別のスタイルで、しかし同じ内容を、私はダカーポ586号(2006年6月21日発売)のエッセイ(こころのあおぞら 第100回 「報道されない恐怖・報道される不安」)に書いていますので、できれば是非お読みください。エッセイのスタイルにはご批判もあるかと思いますが、私は最善の形のひとつであると考えています。批判の余地のない正当なことを続けていれば必ずいつか理解されるなどというのは、幼稚な自己満足にすぎないと私は思います。


その後(2006.7.5)


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