精神科Q&A
【0995】高校2年の頃から断続的に続いているフラッシュバック・不安発作・解離
Q:
私は20歳の女性です。現在大学に通っており、近いうちに半年間のフランス留学も決まっています。
私は、1年ほど前から精神科に通院しております。
初めは睡眠障害を主症状として、睡眠薬を処方して頂いておりました。
(夕食後:デパス0.5×2 就寝前:アモバン7.5×2 ロヒプノール1×3 セパゾン2×1)←現在、これらの薬は殆ど効かないため、次回の診察で変更を検討したいと先生が仰っています。
また、不安発作(私の場合は、酷い吐き気・熱感・汗・眩暈・過呼吸・心拍の増加・手足の震えと痺れ・酷いときは意識を失う)が頻回なので、頓服に(セパゾン2×1)も処方されています。こちらはまあまあ効きます。
これら以外にも、トリプタノールやパキシル、デプロメールなどの薬も以前処方されていましたが、どれも変化が感じられず現在は処方されていません。
以上が現在の私の服薬状況です。
それでは本題に入らせていただきます。
私は以前より以下のような感情に振り回され、自分を持て余しています。
(1) 特に理由もないのに、とにかく生きていることが辛くて仕方ない。
どうして、周囲の人間が生を選び続けているのかが不思議でならず、 私の見ている世界と、他の人が見ている世界は実は全く別物なんじゃないかと(そんなわけないのに)ふと考えてしまう。
辛くても生きなければいけないとは思います。その理由は、たとえ自分のであっても、人間の命がそう軽い物ではないと考えている事と、今日まで私を愛育して下さった両親をはじめ多くの人の事を考えてという事です。
しかし現在はそれらを置いてでも、早く死んでしまいたい。いつまでこんな事を続けなければならないの。と、しょっちゅう考えてしまいます。
(2) 対人関係における考え方の異常。
そうでないことは十分に頭では分かっているのに「ギブ&テイクのない人間関係なんて 存在しない」という考えが、私の根底にあります。
これは、私が何かをしてもらいたいという考えに基づいている訳ではなく、誰か(友人や家族)が私に好意を持ってくれている場合に、何故彼らは、私に良くしてくれるのか、なぜ私を好きでいてくれるのだろうか、私に好意を持つメリットは何なのか、私は彼らに何をしてあげているのかと考えてしまうのです。
常識の上では私も、「友達とは良い所も悪い所もひっくるめて相手の事を大切に思い合える関係」 「親とは(程度の差はあれ)子供に無償の愛を注ぐ物だ」ということは分かっています。
しかし、それが「自分自身に」起こり得ることだなんて「想像もつかない」のです。
*余談ですが、私は人間関係には私にはもったいないほど恵まれており、友人は何度も上記のような事を言ってくれます。私は、相手が私に対して愛情を持っているのだろうということは分かります。でも、それを実感を伴って見ることがどうしてもできないのです。
丁度、盲目の方が「周囲に物があり、色がある」という事を知ってはいても見えないように。
(3) 自分の中の世界が日々めまぐるしく変化する感じがする。
周囲の、外界の世界ではなく、あくまで「自分の中の世界」です。
感情や、感じ方、ものの見え方など、とにかく様々なものが日単位や時間単位で目まぐるしく変わり、揺れ動き、自分自身の事なのに、本人でさえどうにも出来ずただ振り回され疲れ切ってしまいます。自分の中心となる軸が全くないという感じです。
(4) 何のきっかけもないのに感情が一変する。
これは特にマイナス面に向けてです。何の前触れもなく、突然哀しくなったり、恐怖心を感じる事が主です。
また、何の感情も伴わずただ涙が出てくるということもあります。場所や時間など全く関係なく突然訳もなく涙だけがぽろぽろと流れてくるのです。
以上が私が感じている感情面での主な事です。
(5) 他に感覚的なこととしては、時々自分の体が自分のもので無いような感じがします。
身体と精神が全く別物のような。普段何気なくやっていることが「きちんと」「しっかり」意識しないと出来ないような感じがするのです。
例えば、歩く事にしても、今左足を出したから次は右、左、右…といった有様です。
(6) また「解離」を起こす事もあります。これは、数十分から数時間或いは24時間以上など様々です。解離を起こしている間、私は普段と少し違った行動もとるけれど、概ね一貫性のある、解離状態にないときと同じような行動をしているようです。このことに関しては、主治医の「解離は心が疲れきっていて、休息を必要としているサインだからそこまで心配する事はない」という言葉を信じて、今のところそこまで心配していません。
(7) また、行動面に関しては、私は高校2年生の頃から自傷行為をしています。
主に剃刀で腕を切りつけたり、注射器で血を抜いたりといった事です。自傷行為は、初めはフラッシュバックを抑える為に始めたものでした。しかし、今ではフラッシュバックが起こらなくても、繰り返し行ってしまいます。
(8)これは役に立つか分からない情報ですが、フラッシュバックの詳細について。
私は就学前、祖父と性的な意味のあるボディータッチを、両親や祖母に隠れて行っていました。
初めに書いておくと、よくあるパターンの暴力に脅されてといった悲劇的なものではなくあくまで私の合意の下ではありました。もちろんいくら幼くても、自分のやっていることが道徳的タブーだということは分かっていましたし、決していい気はしませんでした。
初めてフラッシュバックが起きたのは高校2生の時でした。
夜布団で寝ていると、急に金縛りにあい、足先から腰下までを男の、ごつごつとした、やけに皺の目立つ、まるで祖父の手のような物が這ってきたのです。まるで「あの日」を繰り返しているような臨場感。五感に訴えるもの全てが「あの日」のままだったのです。
金縛りにあっているので動こうにも動けず、パニックに陥り、そのままなされるがままでした。
そんな事が何晩か続いたある日、急にそのフラッシュバックの最中に首を思いっきり絞められるような感覚に襲われました。(私は祖父に首を絞められたという記憶は全くありません。)そしてやっと金縛りが解けた時私は現実にいるのか、非現実にいるのかが分からなくなり混乱していました。
その時です。非現実から現実に感覚を引き戻す確実で確かな方法、「痛み」を利用したのは。
これがフラッシュバックの詳細と、自傷行為のきっかけです。
(*主治医には、自傷行為のきっかけがフラッシュバックであるとは言っていますが、その内容や、また、過去の祖父との出来事については話していません。)
フラッシュバック・不安発作・解離は、断続的ですが、高校2年から現在まで続いています。自傷行為は、断続的でなく続いています。
大変長くなってしまいましたが、先生に出来るだけ多くのことを把握して頂きたく、このような長文になってしまいました。お許し下さい。
質問の趣旨は「情緒障害とはどういったものなのか」です。
ここまでに書いた事を主治医は全て知っています。(私がここの部分は話していないと書いたところ以外)
それで、今日診察の時に「私は病気の部類に入るんでしょうか」という質問をしたのです。
この質問の意図は、「病気なら治るだろうけど、性格的なものならもしかしたら永遠に治らないかも知れない」と思ったことです。
すると主治医は「感情の不安定さなどを考えると「情緒障害」の部類に入ると言える。」と仰いました。
この「情緒障害」とは一体具体的にはどういったものなのでしょうか。字面だけ見ると「感情の不安定さの障害なのかしら?」と思いますが、それでもやはりよく分かりません。
ですので、このことについて詳しいお答えを頂ければと存じます。
また、以上の文章を読んでの先生の所見をお聞かせ願えればと存じます。
長文を読んで頂き真に感謝しています。では、宜しくお願いいたします。
林: 「情緒障害」は正式な病名ではないので、あなたの先生がどのような意味で使っておられるか、ご本人にお聞きしてみなければわかりません。
したがって、ここでは「情緒障害」という言葉にはとらわれず、メールに書かれているあなたの症状についてお答えしたいと思います。
結論を先に言いますと、もっとも考えられるのは境界型人格障害です。
あるいは、境界型人格障害 まではいかなくても、あなたは境界型人格構造 を持っておられるということはかなりの確度を持っていえると思います。
(1) 特に理由もないのに、とにかく生きていることが辛くて仕方ない。
は、慢性的な抑うつ、虚無感と解釈できます。
(2) 対人関係における考え方の異常。
心の深いところに根ざした人間への不信感は、境界型人格障害の特徴です。
(4) 何のきっかけもないのに感情が一変する。
感情の脆弱さ・不安定さも特徴のひとつです。
(7) また、行動面に関しては、私は高校2年生の頃から自傷行為をしています。
自傷行為もしばしば見られる症状です。
以上は境界型人格障害の診断基準の中にも記されているものです。
また、
(6) また「解離」を起こす事もあります。
境界型人格障害で解離を伴うことも少なからずあります。
以上のように、あなたの現症は境界型人格障害に一致するものです。
ここで重要な問題は、
私は就学前、祖父と性的な意味のあるボディータッチを、両親や祖母に隠れて行っていました。
この事実と現在のあなたの症状との関係です。
人格障害、特に境界型人格障害では、幼少時の虐待との関係があるとする説があります。実証的なデータもいくつも出されています。はっきりと因果関係があると断言する立場もあり、PTSDの図書室にご紹介した「心的外傷と回復」にもその見解が書かれています。この本には「複雑性PTSD」という概念も紹介されており、それはごく簡単にいえば、虐待などの慢性的なトラウマによって、人格障害が形成されるというものです。この本はある意味では偏った主張がなされているとも言えますが、臨床経験上、かなり納得できる内容も含まれています。主張のすべてではないにせよ、部分的にはかなり正しいと私は感じています。この本に従えば、あなたは複雑性PTSDであると言うことが出来るでしょう。
また、もうひとつ付け加えますと、
私は就学前、祖父と性的な意味のあるボディータッチを、両親や祖母に隠れて行っていました。
初めに書いておくと、よくあるパターンの暴力に脅されてといった悲劇的なものではなくあくまで私の合意の下ではありました。
このようなことは、いわゆる性的虐待と呼ばれる行為において、それほど例外的なことではありません。それを認識しないと、こうした行為の真の理解には達することが出来ず、したがって治療をすることも難しいと言えます。PTSDの図書室にご紹介した「近親姦に別れを --- 精神分析的集団精神療法の現場から ---」という本のまえがきに、小此木啓吾先生の次のような記載があります。
あくまでも近親姦の体験者は親の被害者、虐待の犠牲である。この認識そのものは正しい。しかし、それと同時に、その犠牲者、被害者の心の深層にある種の倒錯した心性が生れることも、そしてまたこの心性の臨床上の意味あいをもあえて語らねばならないというのも本書の姿勢である。たとえば、近親姦には誘惑する大人の力の乱用と愛情が絡み合っている。近親相姦関係にある子どもと親の根本には緊密で複雑なアンビバレントな関係がある。怒りの感情とともに加害者への忠誠心がある。犠牲者であると同時に、お気に入りになりたいという気持ちもある。
(中略)
近親姦体験のうちのいくつかに痛みは伴っていない。ほとんどの近親姦状況には楽しい面がある。愛と忠誠心が含まれていることがある・・・・・。近親姦には相互的満足がある場合すらある・・・・・。