精神科Q&A
【0895】電気けいれん療法か薬物の増量か
Q: 36歳男性です。職業は脳外科の医師です。
うつ病と診断され、両親の説得にようやく応じる形で(実際あのまま仕事を続けていれば医療事故を起こすか、自殺していたと思います)、休職しもうすぐ5年になります(在職中に一ヶ月の休職、入院。退職後に二回の入院)。
さまざまな抗うつ薬を試み試行錯誤し、いままで効果があったと思われるものは、アナフラニール、トリプタノールです。それでも長く飲み続けているせいか今まで服用してきた用量(詳細は記憶しておりませんが、量的には多くない、すなわち初期投与量限度以上まで服用した記憶はありません)が効かなくなるようになりました。
「うつ病が長引く最大の原因は抗うつ薬の投与量が少ないこと」という先生のお言葉などを参考に、主治医とも話し合い増量を試みましたが、薬剤の副作用に体がまったくついていけず(トリプタノールの初期投与量限度の75mgですでに体がまったく動かせない状態)、それではと、SSRIのうち今まで試したことのないものを(パキシル40mg/2X)服用したところ、セロトニン症候群類似症状(吐き気、悪寒、発熱、発汗、頭痛など)が出て服薬中止、その後、副作用が少ないということで四環系抗うつ薬のルジオミール30mg/3Xに変更(薬効を見るためあえて単剤投与)になり、現在(薬変更後二週間)に至っています。他のSSRI、SNRIはほぼ無効と考えていい状態でした。
長引いている原因のひとつには、「なにもせず休養する」ということがいつまでたってもできないこと、休職が長引いていること自体による焦燥、そしてある程度よくなった時点で(焦燥感にかられて)アルバイト程度から復職を試み三度調子を崩していること(仕事のペース配分がうまくできないこと、職場での環境(軽い仕事から慣らしていくといったことが仕事の性質上できないこと)などもあると思います。
治療のためには抗うつ薬を増量するのがbetterだとしても、もうこれ以上薬効が出てくるまでこのまま何ヶ月も我慢できるか自信がなくなってきました。
主治医の意見は(立派な先生です)、あくまで副作用で身動きがとれないようにならないよう、最低限の量をきちんと飲み続けてもう少し様子を見ましょう、ということなのですが、今現在の抗うつ薬の量では、一日眠って(またはねころんで)ばかりで、何一つできず、あまりに情けなくて毎日涙が出たり、自暴自棄になったり、ここのところ、毎日自殺を考えるようになっていました。
ルジオミール30mgを服用後およそ1ヶ月経過し、希死念慮は消失し、精神的には低く安定していますが、一日なにもやる気が起こらず、ただ、横になり眠っていたり、せいぜい軽い読書ができる程度の、無為な生活が続いています。
まるで、ただ食事を取るためだけに生きているような気がします(ルジオミールにしてから食欲だけはもどりました)。今は『私』の残骸を生きているようです。
主治医は「今はゆっくり休んで治そうよ」とおっしゃってくださいますが、正直もう疲れ果てています。
このような状態ですが、それでもルジオミールの増量を医師と相談の上行い、薬物療法を続けるべきなのでしょうか? それとも、薬に見切りをつけて電気けいれん療法を受けるべきなのでしょうか?
林: 明らかに電気けいれん療法の適応だと思います。そう判断するのは、
・すでに薬物治療開始から5年経過しているのにもかかわらず、改善はきわめて不十分なこと
・副作用のため抗うつ薬を増量できないこと
・自殺願望があること
以上の理由によります。
ルジオミール30mgを服用後およそ1ヶ月経過し、希死念慮は消失し、精神的には低く安定していますが、
このように、この一ヶ月の治療で改善の兆しは見られていますので、
主治医の意見は(立派な先生です)、あくまで副作用で身動きがとれないようにならないよう、最低限の量をきちんと飲み続けてもう少し様子を見ましょう
この方針も一理はあると思います。確かに「最低限の量をきちんと飲み続け」ることによって、さらに改善することも期待できます。しかし、
今現在の抗うつ薬の量では、一日眠って(またはねころんで)ばかりで、何一つできず、あまりに情けなくて毎日涙が出たり、自暴自棄になったり、ここのところ、毎日自殺を考えるようになっていました。
このような現在の状況、そして5年も休んでおられるという経過からは、やはり電気けいれん療法をお勧めします。
うつ病は治る病気ですが、あまり長く休養すると、二次的影響、つまり職場での立場が悪くなるなどの結果を招くことにより、治りにくくなることも少なからずあります。脳外科医というあなたのご職業は高度な技術と専門性を要求されるものですから、長く休まれることによる影響は軽視できないでしょう。これ以上抗うつ薬で様子をみるより、電気けいれん療法を施行する時期だと思います。
その後の経過(2005.11.5.)