精神科Q&A
【0619】境界型人格障害の友人に対し、感情的な対応をしがちになってきた
Q:
20代後半の男性です。境界型人格障害の友人(30代前半・女性)との接し方についてご相談したいと思い、メールいたしました。
その女性とは2ヶ月ほど前に知り合い、友人としてつきあっています。本人によると、いまの病気はもう10年以上前からとのことで、現在も通院中です。その医師とは信頼関係が築けているようで、基本的に指示には従う(提案や指摘等を素直に聞くようです。話を聞く限り、陽性・陰性ともに転移はみられません)のですが、入院の勧めだけは頑なに拒んでいます。理由を尋ねると、どうも以前、一度だけ入院をしたことがあり、その時の経験がトラウマになっているようです。それともう一つ、本人に「人と関わって治していきたい」という気持ちが強いようです。
現在その女性は無職で(医師に「社会復帰はまだ早い」と言われているということもありますが、まず本人にその気持ちが希薄です。これもやはりトラウマのようなもので、以前働きに出たときに苦しい思いをしたようなので)、自宅療養しながら投薬を続けています。具体的な処方内容はわかりませんが、抗うつ剤や眠剤、それと慢性的な頭痛があるとのことで頭痛薬も飲んでいます。
私自身、その女性と知り合うまで境界型人格障害という言葉すら知らなかったので、この林先生のHPをはじめ、いろいろな資料に目を通し、それがどういった症状を伴うものなのかを理解した上でその女性と接してきました。その女性の場合、見捨てられることへの恐怖、感情の不安定さ(自己と他者への評価の変化も含む)が特に顕著で、以前はリストカットを頻繁に行う等していたようですが、今は自傷行為はあまり見受けられません。
投薬による回復があまり見込めないと知り、それなら人との関わりが重要な回復へのきっかけとなるだろうと(その女性には現在のところ、友人はいないようです。一度お話させていただいたところ、ご両親もどちらかというとその女性に協力的な姿勢は見られませんでした)、私の出来る範囲のことをしてきました。具体的には、電話やメール等で不安を取り除くようなことや自信につながるようなことを言ったり、私が休みの日には会って一緒にどこかへ行ったりと、あくまで普通の友達としてつきあうよう心がけつつ、前述したようなことを会話に意識的に盛り込みながら、かつ病気の症状と思われる状態(ほんの些細な言葉に敏感に反応し、怒り出すといった)の時には極力冷静に対処するという、病気であることを認識し、回復の手助けになれれば・・・ということも同時に意識しています。
しかし、やがてその女性が私に対してひどく依存的で、私個人の生活を無視した行動(私の仕事中にメールや電話をし、それに応えないと落ち込んだり怒ったり)を取るようになり、最初はなんとか出来る範囲で対応してきたのですが、次第にそれが物理的にも(仕事をしていれば当然、それに逐一応えていくのは不可能です)、また感情的にも難しくなってきており、正直なところ困ってしまっています。最近では、以前は冷静に受け止められていたその女性の罵詈雑言にも、私自身しばしば感情的な対応をするようになってしまいました。その女性は私のそういった態度でますます感情が不安定になり、そして私自身もそれを受けて精神的により一層疲弊するといった悪循環に陥っています。例えば、その仕事中のメールに応えられない理由や、一定の距離を保った方がお互いにとって良いことであり、それが自然な友人との付き合い方だと説明しても、理屈では理解しても感情では理解できないようです。
ここで質問させていただきます。このような状況ではありますが、その女性の病気を回復させるのにプラスになるという前提で、私は今後もその女性と友人としてのつきあいを続けていっていいものでしょうか。また、続けていくならばどう接していけばいいのでしょうか(今のままか、あるいは以前のように多少無理してでもその女性の希望に応えていく方が回復に向かいやすいのでしょうか)? 難治であることも理解していますし、私としましてはその女性に回復してもらいたいと願っていますので、希望としましては私の方からその女性から離れていくのは本意ではありません。ただ、今の状況では(その女性を不安定にさせたり、その後また依存的になったりの堂々巡りです)私の包容力の不足がその女性をかえって苦しめているようにも感じています。
林: この女性に出会ってから現在までの2ヶ月、あなたの接し方は、境界型人格障害の方に対するものとして適切だったように読み取れます。この方の自傷行為が減ったのも、その表れかもしれません。
けれども、たとえ適切な接し方を保っていても、このメールの内容のように、徐々に破綻が生じてくるのは、境界型人格障害の方との関係としてごく一般的です。これは、ご質問のような友人関係の場合だけでなく、医師-患者の治療関係であっても基本的には同じです。
その多くは、境界型人格障害の方の過度の依存という形を取ります。そしてその依存が受け入れられないと攻撃という形 (自傷、自殺やそのほのめかしも攻撃行動のひとつに含まれると考えてもいいでしょう) になるのが通例です。ですから、
やがてその女性が私に対してひどく依存的で、私個人の生活を無視した行動(私の仕事中にメールや電話をし、それに応えないと落ち込んだり怒ったり)を取るようになり、最初はなんとか出来る範囲で対応してきたのですが、次第にそれが物理的にも(仕事をしていれば当然、それに逐一応えていくのは不可能です)、また感情的にも難しくなってきており、正直なところ困ってしまっています。
上記のような展開は、ごくありふれたことと言えます。
そして、このような状態になれば、せっかくこの方の回復を助けようとして行動されていたあなたは、逆に困らされることになってきたわけですから、
以前は冷静に受け止められていたその女性の罵詈雑言にも、私自身しばしば感情的な対応をするようになってしまいました。
あなたがこのような反応を取られることは、ごく自然ともいえるでしょう。
しかしながらその結果は、
その女性は私のそういった態度でますます感情が不安定になり、そして私自身もそれを受けて精神的により一層疲弊するといった悪循環に陥っています。
とあなたが書いておられる通り、出口の見えにくい悪循環になってしまっています。
残念ながら、という表現は不適切かもしれませんが、ここまでの経過は、境界型人格障害の方との関わりにおいては、ごくごく普通の流れです。もっとはっきり言えば、こうなることは始めから見えていたとも言えるでしょう。
それは決してあなたの対応が不適切だったということではありません。最初に書いた通り、逆に適切だったと読み取れます。にもかかわらず、このような展開になってしまうところに、境界型人格障害の難しさがあるのです。これも、医師-患者という治療関係であっても基本的に同様です。
こうなってしまうことの根底には、おそらくあなたはどこかでお読みになっていることと思いますが、境界型人格障害に特有の強い見捨てられ不安と、そこから派生する過度の依存があります。あえて単純に説明すれば、境界型人格障害の人は、自分が見捨てられるのではないかということを非常に強くおそれるあまり、この人は自分を見捨てないということを確かめるために、どこまでも依存するのです。そして、そうなると、依存される側はどこかで対処仕切れなくなります。すると、境界型人格障害の人は、やっぱりこの人も自分を見捨てるのか、と考え、前以上に落ち込んだり、あるいはその人を攻撃したりすることになります。(この説明は、過度に単純化したものです)
こうした背景から、診療方針は、境界型人格障害のページに記した通りになります。そこに書いてある治療契約とは、治療の枠組みを決めるということですが、これをさらに言うと、「医療で出来ることはここまで」「それを超えたことは出来ないが、それは決してあなたを見捨てるわけではない」「治療契約をあなたが守る限りにおいて、つまり医療で出来る範囲をあなたが理解している限り、見捨てることはない」ということを、境界型人格障害の方に明確に伝えるということです。
境界型人格障害のページに、治療契約が大切と記した土台には、このようなことがあります。
そもそも治療契約という用語が、外国から輸入されたものですから、用語自体はどうもぴんと来ない点があるのですが、意味としては適切であるといえるでしょう。
友人としての接し方も、原則としてはこれと同様です。すなわち、
「自分の出来ることはここまでという限界を設定し、それを明確に相手に伝える」
という原則に尽きると思います。
この原則から外れると、
その女性を不安定にさせたり、その後また依存的になったりの堂々巡りです
という状況がどこまでも続き、完全な破綻に陥ると予想できます。
上記の原則では、明らかに、「限界を設定し」、この限界をどこに設定するかがきわめて重要になります。あなた自身、そしてあなたとこの方の関係を熟慮の上、この限界を設定してください。そして、それを明確にこの方に伝えてください。また、いったん設定した限界は変えないこともとても大切なことです。
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