精神科Q&A
【0588】私は境界型人格障害でしょうか
Q: 私は24歳女性です。1年前まで、営業のような仕事をしていましたが、自分のしたい仕事ではないと思いやめて、今は自分のやりたい仕事に割りと沿う仕事をしています。
今、自覚している症状として、非常に気分が変わりやすく、軽く躁鬱を繰り返しているような気がします。非常に自信満々に自分の生き方を説明するときもあれば(通常時に思えば根拠があまりないのですが)、自信を喪失して、自殺まではいきませんが自虐的な方向に思考が向くときもあります。
自信満々に自分を自慢しているときは、自己顕示欲を強く感じます。聞いている人に褒めてもらいたくて仕方がありません。聞いている人が飽き飽きしていても、なかなか止められず、自己を強く主張してしまいます。
うつな時は2通りありまして、何もする気がおきず、ただ寝たりだらだらして、やるべきことを認識しているにもかかわらず、やることができないまま数日を過ごしたりするときと、仕事ややるべきことはちゃんとしつつも、手首を見てふと血が見たくなったり、実際に手首に傷をつけてみたり(死ぬ気はまったく無いのですが、痛い事や血で生きている証が欲しいと思うようです)します。
生活の見た目の充実とは違って、心はうつろになっていることがあります。
人からは、言っていることがコロコロ変わる、と言われます。
これまでの私ですが、小学生の時は優等生でした。
ほめられることが大好きで、親や先生の受けはとても良く、また親が厳格であったため、しつけ等も厳しくまた数々の習い事をこなし、自分の生き方に自信がありました。
中学生になり、いじめにあいました。理由は、私が生意気だったせいです。
ひどく固い人間であった私は、割と荒れていた学校になじめず、いじめにあいました。いじめからは、自分は特別な人間である、という風に思うようにして、自分を守りました。陰湿な行動に出ることを自分に許さなかった、もしくは勇気が無かったのもあり、親にその事を告げることも、もしくは実際報復に出ることもありませんでした(口では言い返すくらいはしていましたが)。
その時分に何度かリストカットをしたり、空虚な気持ちになることはよくありました。暗い気持ちでした。
中学を出て、高校に入り、人に対して心を開くことを覚え好きな人も出来、周りもだんだん見えてきました。このころは楽しくて仕方がありませんでした。
大学に入り、彼氏が出来ました。
彼氏は片頭痛もちで、自己治療を繰り返していました。
私は一緒に治療をしていこうと考え、本を読んだり治療の方針を勉強したり、非常に親身に世話をしていたような気がします。
ですが、2年ほどの付き合いの後、彼氏が2年もの間、私に嘘をついていたことが発覚し(浮気、仕事のこと。色々、身近なことまで聞いていたことはほとんど嘘でした)私はそのショックで、自失状態に陥りました。
そこで、私は人生で初めて、自分が信じているものがいかに空虚なものであるかを思い知り自分の知覚する現象が、消して揺るがぬ真実なのではないと知りました。
最初は回りが信じられなくなり、その後、自分の言葉や気持ちが信じられなくなりました。そう思ってしまってからは、私は自分の体が自分で知覚出来なくなりました。
自分が消えてしまったようでした。
全てがなくなってしまったようなのが怖くて、痛みで自分を知りたくて、手首を切りました。自殺目的ではなく、ただ生きるために痛めつけただけだと思います。
数日、呆然とすごして、ある時突然、「もう、単純な思考だけしか信じない」と決めました。
嬉しい、痛い、楽しい、美味しい。そういう五感が出す単純な信号は信じようと決め、なんとか立ち直りましたが、何度も揺り返しに悩みました。今もたまに落ちそうになります。
彼氏のことも、なぜかよりをもどし、その後何度も嘘や裏切りに悩みつつひとり立ちの出来ない彼氏を見捨てることも出来ず、5年もの付き合いが続きました。
私は、はやく結婚したいと思っていましたが、彼氏にその意思は無く、結局別れることを決意しました。
正直に言えば、そのころ、他に好きな人が出来そうで、その人からも好意を示してもらっていたからです。非常に打算的に別れました。見捨てる自分を責めることもしましたが、結局は自虐的に自分を貶めて心の中で決着をつけました。
そのときに好意を抱いていた男性とお付き合いをするようになったのですが(今4ヶ月目です)、必要以上に自分を押し付けてしまうことが多く、窮屈に感じさせてしまったり、そのことを抑制しようとして、うつ状態に入ってしまいそうになることもあります。
些細な一言や、ちょっとした言動から、いろんなものを読み取ろうと頭の中で勝手に描いたり、空想したりしたことが、心配で仕方なくなることがよくあります。
そうして相手を言われも無く問い詰めたり責めたり、必要以上に愛情表現を欲しがっているように思えます。
今まで、言うつもりはなかったのですが、先日「結婚する意志はあるの?」と聞いてしまい自己嫌悪に陥っています。惨めな気分です。
喧嘩をしても、私一人が山のように喋って、勝手に話を作りあげてしまい、途中で惨めさに笑いがこみあげ、泣きながら笑ったりすることもありました。
今は、相手の人に私の毒が当たらないように、そつのないメールを送ったりしていますが、いつもの内容(そっけない人なのです)とあまり変わらないのに、私に対して、あきれたり愛情がなくなっているようにも思えてきて、その事が怖くて仕方がありません。
また、問い詰めてしまい、そうするとせっかく言ってくれた言葉も私にとっては、「言わせた」ことになってしまうことが嫌で仕方ありません。
今の彼氏と、うまくやっていきたいと切に願っています。
でもうまく行かないんです。
先生のページを見て、私は境界型人格障害かもしれない、と思い当たりました。
ですが、人間関係の曖昧さについてはクリアしています。
ただ、第一認識の自己の認識が曖昧になっているような気がするのです。
私のような症状は、いったいどうしたらいいのでしょうか?
専門家の先生にみてもらい、治療を受けたほうがいいのでしょうか?
林: あなたが境界型人格障害かどうか、この段階では何ともいえません。どの病気の診断基準でもそうですが、ある程度までは、誰でも心あたりのある項目があるのが普通です。逆に何ひとつあてはまる項目がない場合は、まったく健康というよりも、むしろ自分を客観的に見られていないとも考えられます。
それはともかく、少々あてはまっただけでは病気とはいえないことは確かです。
もともとは、人格障害かどうかの基準は、「そのために自分が悩むか、または周囲が悩む」というものですが、これも曖昧な基準で、自分にしても他人にしても、悩むかどうかは、時代や文化によっても違ってくるでしょう。現代は、情報が昔より多く、またこころの状態に関心を持っておられる方が多く、その結果としても悩むことが多くなっているといえます。
あなたのケースでは、メールの内容から判断する限りでは、病院を頼るよりも、まだご自分で努力していくべき段階だと思います。また、それが可能だと思います。