精神科Q&A
【0587】自分で自分を見つめるようなことは「危険だからやってはいけない行為」なのでしょうか。 (【0350】の続き)
Q: 【0350】変な声と、あり得ない妄想が、10年近く続いています という質問の者です。
あれから歳月も経ち、私は現在22歳になりました。
あの後、私は、病院へ行きました。しかし、そこで私を待っていたものは、私が期待していたものではありませんでした。私は担当の先生とどうも合わないようで、結論から言うと、喧嘩をして泣き出してしまい、その日以来、病院へは行かなくなりました。それでも頑張って3回ほどは通ったと思います。
私は小学生の頃から妄想や幻聴に悩まされ、それと同時に自分が抱えている悩みの理由や、どうして妄想や幻聴が起こるのか、などを考え続けました。
当然、私なんかに答えが出せるはずもないのですが、それでも多くの時間を使って、自分の悩みなどを整理し、少しでも解決の糸口を導き出そうと、文章を書いて整理したり、頭の中でなるべく今の自分を否定しないように、出来るだけ正直に自分の感情、望みを探し続けました。
しかし、これはとんでもなく悪いことだったそうです。
私は専門家ではないので、詳しいことは分かりません。
けれども、私は、初めて行った病院の先生を信頼し、この先生に頼るより他にないと信じ、仮に直接解決に向かわなかったとしても、解決のヒントを得られるかもしれない、と、どこかで期待していたのです。
私は、人には言えない過去があります。
私の妄想や幻聴は、その嫌な思いをするようになった時期とぴったり重なるのです。
私は、5年ほど前にそれに気づきました。
しかし、親を悲しませたくなくて、親にも相談できず、友達も失いたくなくて、友達にも相談できず、その過去について誰を恨むことも出来ず、ずっと苦しんでいたのです。
私は病院に通いながら、いつか先生に全てを話そうと考えていました。私が幼い頃から苦しみ続けていた過去の突破口が、見えるかもしれないと思ったからです。
初めて病院に行った日、私は何を話していいのか分からず、とりあえず、幻聴と妄想のことを話しました。
ところが、その先生は、私の話を聞いて笑ったのです。
私は、専門家は一般人より私の症状に対して寛容であると誤解していたのでしょう。
自分が愚かだと思いました。
話は少し変わりますが、その年の夏、「暑いからムシャクシャして人を殺した」というショッキングな事件がありました。
その時の私は、常人からすれば変人と思われるようなその殺人者の気持ちを、何となく「普通の感情である」と思えていたのです。
私はよりにもよって、その先生の前で「そんな人の気持ちが分かる」と軽はずみな発言をしてしまいました。
先生は急に怒り出して、「あなたが考えているほど、人間の心は簡単じゃないんだ。私は裁判などで色々な人の心理などを調べる仕事もしているが、まぁ容易なものじゃないんだよ」と、おっしゃいました。
私は、「○○さんと同じ」とか「○○さんの気持ちが分かる」って言葉が大嫌いだったのに・・・今でもすごく後悔しています。
私はどうしたらいいか分からなくて泣き出しました。
私はその日、先生に全てを話すつもりでいました。
でもきっと、泣き出してしまって話にならないだろうし、時間を取らせてしまうと分かっていたから、先生に宛てて、手紙のようなものを書きました。
そこには、私が十年以上も考え続けた私の気持ちの移り変わり、どうしてこんな苦しみを抱いているのか、私の全てを綴ったつもりでした。
A4伴で5枚くらいはある紙に文字いっぱいで、先生も嫌気がさすでしょう。
申し訳ないと思っています。
全て私の勝手ですから。
でも、その時の私にはこの手しかなかったのです。
先生に原稿(手紙)を渡すと、先生は再び怒り出しました。
「自分で自分を見つめるというのは、非常に危険な行為だ。何故こんなことをしたんだ」と。
私は、自分の全てが否定された気になりました。
私は、文章を書いたり、自分を見つめ直したり、自分が苦しんでいる理由を探すことによって、自分という形を保っていたのです。
それが無ければ、私はとっくに気が狂っておかしな真似をしていたに違いない、と私は今でも思っています。
自分を知ることで、自分を理由も無く否定することを止め、弱い自分も全て受け入れて、許すことで、頑張っていたのです。
その手紙を渡したっきり、私は病院へは行かなくなりました。
全ての精神科医が、この先生と同じだとは思っていません。
しかし、私はもう二度と精神科には行くまいと思いました。
その後、私は結婚しました。
現在は実家とも遠く離れ、前のような幻聴や幻想は起きなくなっていました。
しかし・・・
引っ越して間もなく、私は就職しました。その後すぐに、ある病気が発覚し、入院・手術を余儀なくされました。
籍を入れた後すぐに入院・手術。
退院して1週間ほどで職場復帰。
仕事と家事の両立も思うように行かなくなり、疲れや苛立ちを覚え始めた頃、再びあの幻聴が始まったのです。
頻度こそ少ないものの、夜中に気づくと声が聞こえて悩んでいます。
声は20代の時に聞いていたはっきりとしたものではなく、幼い頃に聞こえていた、何を言っているか分からないが、罵声や陰湿な会話の類だろうと思えるものです。
その他、私は幼い頃から、誰かに叱られるという場面に立ったとき、身体がおかしくなることがあります。
何も話すことができなくなり、体が震え、涙が出て、息が切れ、鼓動が高鳴り、手足がしびれ、視界がどんどん狭くなり、耳鳴りがし、その中で通常では聞こえないはずの声が聞こえる・・・
一時は収まっていたこの症状が、最近は顕著に現れるようになったのです。
それともう一つ、
主人と喧嘩している時、二通りの自分に気づきます。
1、 一つは何も言えなくなって、上記のような症状に陥ってしまう自分。
2、 もう一つは、普段は難しいことを考えると言葉が詰まってしまうのに、その時だけ 思考よりも先に口が出るような感じ、というか、用意されている台詞を言っているような時があります。
言い返せないときは1のように、言い返せるときは2のようになってしまいます。
どちらも普段の自分ではないと感じます。
心のどこかに、第三者のように全てを客観視している自分がいます。
どちらの状況に陥っても、それをゆっくりながら分析する自分がいるのです。
正直なところ、気になる症状が増えて、酷くなるようだったら、病院に行こうかとも考えています。けれども、一度病院に行って嫌な思いをしてしまったので、どうも足が進みません。
とにかく今の自分の状態を誰かに聞いてもらいたいと考えていた時、先生のことを思い出しました。
先生に正直に妄想と幻聴のことを話したところ、先生は馬鹿にする様子も無く、私は安心することができました。
他力本願というか、何かに依存し過ぎるような自分が今でも嫌いですが、どこに話を持っていって良いか分からず、またメールしてしまいました。
図々しいようですが、何かアドバイスをいただけないでしょうか。
また、自分で自分を見つめるようなことは、本当に「危険だからやってはいけない行為」なのでしょうか。
今の私も、ときどき自分を見つめているので、気になっています。
宜しければこちらに関してもアドバイス頂けると幸いです。
林: ご自分の問題を、自分なりに分析し、対策を考えようとするのは自然なことです。それを、自分を見つめると表現することもできるでしょう。つまり、あなたのされたことは、ごく自然なことといえます。
それに対し、主治医の先生が、
自分で自分を見つめるというのは、非常に危険な行為だ。何故こんなことをしたんだ
と怒り出した。怒るのはどうかと思いますが、確かに、あなたのような症状の場合、自分なりに分析することが、かえって悪化につながることもありえます。
また、自分だけでなく、他人に分析してもらうことも、かえって悪化につながることもありえます。素人カウンセリングの怖さはここにあります。
以上は事実ではありますが、
自分で自分を見つめるようなことは絶対にやってはいけない、危険なこと
とまではいえないでしょう。
むしろあなたのケースでは、せっかくご自分なりに考えてやってみたことを、頭から否定された(または、そう感じられた)ことのショックのほうが大きいように思います。
それはともかく、今後は症状の悪化を避けるためには、こうしたことはひかえ気味にしたほうがいいでしょう。
また、病院にも行ったほうがいいと思います。ただ前にいらした病院はあまり適切でないかもしれませんが、病院での治療が必要なことは確かです。