精神科Q&A

【1935】新卒入社してすぐ抑鬱状態と摂食障害になりましたが、幼少時からの家庭問題が重要だと気づかされました


Q: 20歳、女です。私は現在休職をしております。また精神科へも通っていて、身体表現性障害、適応障害、抑うつ状態、摂食障害として診断されています。薬はジェイゾロフト100mg、デパス(頓服0.5mg)、ハルシオン0.25mg、ユーロジン2mg、レンドルミン0.25mgを処方されています。現時点で担当医には、薬を増やしたいが眠気などが出そうだから、と様子を見られています。 私は5ヶ月前に新卒入社しましたが、ストレスによりまず摂食障害、抑うつ状態を引き起こし産業医にすすめられ3ヵ月前に休職開始しました。 精神科へ通い出したのは入社とほぼ同時で、会社が始まる前に、以前からの不安定な気持ちがなんとかなればと通い出しました。 

私の実家は母子家庭で、兄弟は三人。私は真ん中の上下男兄弟です。 実家にいる時に、私は日常的に母と上下兄弟に肉体的暴力や精神的暴力、育児放棄に晒されており、児童相談所や警察、市役所の福祉課などに介入されましたが、結果として皆母にお手上げ状態で解決には至りませんでした。その理由は母がとても饒舌であり、話を何時の間にか自分の苦労話へとすり替えてしまい周りの大人が同情してしまうためでした。結果、わたしが我慢を強いられていましたし、正直その時期や、ほんの数ヶ月前までは私自身そのことが日常的だったために簡単に考えておりました。また、私も母に同情していた始末です。
中学に入ってからが、母のその一面が一番大きく出たと思います。仕事は家で塾を営んでおりましたが(家は一軒家、祖父祖母とは別居しています)、仕事が夕方〜11時ごろというサイクルが平均的であり、11時よりよくアルコールを摂取していました。 そして、大体2時あたりになると泥酔し、私の部屋へ怒鳴りこみ、ドアが開けっ放しだったとか、私が父を殺したとか、言いがかりや些細な事で多弁に騒ぎだしていました。そして、兄と弟を起こすもので、すっかり兄弟は洗脳され、私は朝方まで説教と三人から暴力を受ける日々でした。他にも、無視や過干渉などが日常的でした。しかし、口先だけでは周りに娘を愛しているだのと言い、いい母親、いい先生だと思われていたようです。兄弟が私が母を毎日怒らせている、と洗脳されていたように、私も最近まで私が悪く、可哀想なのは母である、助けなければなどと思っていました。(余談ですが、この頃から自傷癖や、死にたがりの気持ちが強かったです。実際自殺未遂が一度あり、失敗したのですが、今は自殺の綿密な計画を立てていたり、死ぬ準備をしてみたり、崖から落ちる事を想像するとこれ以上ないくらいの幸福感が味わえます。けれど、反面死ぬことを恐れている自分がいる事に最近きづきました。今は包丁を抱えて眠ると安心出来ています。) そして、なんとか高校進学したものの、上記のことなどで私はあまり学校へ行けませんでしたので、高校でも同様で、家から出して貰えなかったり、制服や教科書を勉強しない奴には必要ないと破かれ通学できないことがありました。また、家から追い出される事もあり、最終的に兄の受験に差し触るとして高校一年の際に1人暮らしをしました。…が、結局実家から車ですぐの所に暮らしていたため、母は夜中になると合鍵を使い、やはり怒鳴り込んできて、最終的に生活必要品、金銭、通学バッグなど取り上げられた上で、真冬の寒空の下、1人暮らしの家からも追い出されました。私は、誰かに迷惑をかけまいと最寄の小さな駅でうずくまり、朝が来るのを待ちました。お金は、なんとかアルバイトをしながら、たまに人様の家に置かせてもらいながらの生活でしたが、高校二年に上がった際、いよいよアルバイト先にも手を回してきたので、もう耐えられないと1人知り合いや、遠方の親戚宅や、様々な所に転々とさせてもらいながら日々暮らしていました。しかし18歳になった時、皆が高校卒業をしたことに焦り、なんとかして私も通信高校と、そして遅れを取りたく、皆と同じ様な生活がしたいと、平行して専門学校へ通い始めました。費用は、高校、専門学校の頭金などは私が払いましたが、あとは母が払ってくれました。この時、始めて東京で1人暮らしをしました。 今もそのアパートに住んでいますが、専門学校に通い始めてすぐ、周りになじめず段々と意気消沈してゆきました。声が出なくなったこともありましたが、(のちの診察で解離障害だと言われました。幼少期の記憶が断片的にしかないのも解離障害と教えてもらいました。)学校ではとにかくいい成績を収め、ストレートに、しっかりした会社へ就職することだけを目標に日々通い続けました。

そして、我慢に我慢に我慢の結果、大手の企業に新卒として入社出来て、ほっとしていた時に、冒頭に戻ります。 きっかけだけなら、会社での陰湿的な人間関係によるストレスからの摂食障害でしたが、そこから、根本の家庭問題が重要だと気づかされました。 事の重大さに気付き、治療を開始してからは、それまで平気で他人に話していた今までの日常が、なんと恐ろしかったことか、震える毎日です。パニックになり、泣き叫んだり、毎日悪夢(解離と言われ、忘れていた部分です)を見ては飛び起き、それが怖くて夜は呼吸が出来ず、苦しくて眠れません。頭の中がぐるぐるとして、声が頭で反響します。大勢の他人が居る所などは行けませんし、仮に体調が良くて足を運んでみても、冷や汗をかき呼吸が苦しく発狂してしまいそうになるか、上手く家まで辿り着き楽しかったと思えてもその日一日見たものが一枚一枚まるで絵の様に延々とフラッシュされ苦しいです。 しかし、今金銭はほぼ母が仕送りをしてくれています。母とは、治療の過程で決別を決意し、以後一切直接的な関わりは持っていません。連絡も、主治医が治療のために返信してはいけないと言ったとメールしなさいという会社の福祉士のアドバイスのもと、以後あちらからの一方的なメールが来るだけです。 ですから、正直仕送りも私は諦め、どうやって暮らして行こうと考えていたのですが、何故かメールでの態度(お前なんか必要ない、みごろしにしてやるなど)とは裏腹に仕送りがあり、正直働きたくない今の私は助かったので、そのお金で生活している状態です。休職期間は最大であと2ヶ月で、以後の生活はまだ考えるなとカウンセラーに言われているのと、考えてもまだ結論が出ないので決まってません。

主観ばかりなのかさえ、わからないのですが、自分の気持ちを大切に書いたメールです。客観的に捉えたらもっと違う風になるかもわかりませんが…。 事実を突き付ける林先生、わたしは今何をしているのでしょうか。 私は休養という名をいい事に甘えている駄目な人間でしょうか。自分では、どうにも分からないのです。 自分で見いださなくては、と思っていても、なにもわからないのです。確かに、今までの生活や苦しみや今を考えたら、少しは甘えていいとは思います。けれど、愛情面であって金銭的にここまで親にしてもらっていいのかわかりません。 カウンセラーの方に相談はしていますし、カウンセラーの方が、私に沿って治療をしてくれているので、これ以上林先生に求めるものなどないのかもしれません。 けれど、林先生のご意見を聞いてみたいですし、そしてそれを鵜呑みにするつもりもありません。 あくまで、いつか自分で決定できるようにならなければとは思います。 甘えじゃない、と肯定して欲しいだけなのかもしれません。 あくまで、林先生のご意見をお聞きさせて頂きたいです。 また、林先生に限らず主治医やカウンセラーなどの肯定的な言葉を信じられず、このように1人で悩んでしまう時にはどうしたらいいのでしょうか。先生方はとてもいい方達なのに、肯定的されればされるほど何か罪悪感のようなものが積み上がります。 否定された方が、正直悩み抜き活路が見出せるような気もするのです。 お忙しいかとは思います。もし、お目に止めていただける文章であればご回答して頂ければ嬉しく思います。よろしくお願いします。


林: 質問者が母親から受けてきた事の一つの大きな特徴は、端的にいえば、「極端な憎しみ」と「愛」が、ころころと入れ替わっていることです。このような特徴は【1915】にも見られ、幼少期からこのような体験を慢性的に繰り返すことが、大人になってからのパーソナリティ、特に人を信じられないという特性につながるという有力な考え方があります。これにそっていえば、この【1935】のケースの現在の状態は、母親からの影響を大きく受けているということができるでしょう。

すると、

きっかけだけなら、会社での陰湿的な人間関係によるストレスからの摂食障害でしたが、そこから、根本の家庭問題が重要だと気づかされました。 

という気づきは、真実であるということができます。
また、

事の重大さに気付き、治療を開始してからは、それまで平気で他人に話していた今までの日常が、なんと恐ろしかったことか、震える毎日です。

この文章からは、質問者が「根本の家庭問題が重要」と気づいたのは、治療過程での医師ないしはカウンセラーからの働きかけによることが読み取れます。そして、それに気づいてからは「なんと恐ろしかったことか、震える毎日です」とのこと、このように、抑圧されていた記憶が思い出されると、症状が悪化するのはしばしばあることです。【1932】にご紹介した論文でも、性的虐待の悪夢を見るようになってから、精神状態が著しく不安定な時期が訪れたことが記されています。【1227】消えていた記憶が蘇り精神不安定になりました(2007.8.5.) のような例もあります。
(この【1935】は、厳密には「抑圧されていた記憶が思い出された」とはいえませんが、記憶していたが重要視していなかった出来事の意味に気づいたということにおいて、「思い出された」のと共通点があります)

抑圧された記憶が現在の症状に大きく関連していると考えられるケースで、その記憶をよみがえらせることが治療になる場合(【1932】にご紹介した論文がその例です)、このように不安定な時期が来ることは避けられません。それを乗り越えてはじめて、症状の改善が得られるものです。

わたしは今何をしているのでしょうか。

現在は改善のために必要な、精神不安定な時期にあります。あなたが今しているのは、それを乗り越える作業です。


◇ ◇ ◇

【1901】から【1948】までの回答は一連の流れになっています。【1901】、【1902】・・・【1948】という順にお読みください。

もちろん上記【1935】の回答は、質問者の記憶が正しいことを仮定したものです。


(2011.1.5.)


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