精神科Q&A

【1934】身体化障害と診断されていますが、それだけでしょうか


Q: わたしは20代半ばの女性です。10年ほど精神科に通院しており、身体化障害との診断を受けています。ここ数年、身体化障害だけではないのではないか?と自身で思うところがあり、ご相談させて頂きたくメール致します。

わたしの母親は、わたしが幼稚園に通っている頃に卵巣嚢腫を発症し、入院、腫瘍の摘出手術をしました。そしてわたしが小学5年の時に病気が再発し、癌になってしまい2年ほどの入院の末、癌が脳まで転移してしまい亡くなりました。 母親がいる時は、どちらかと言うと父親と何かしたり楽しく遊んだという記憶はなく、母親っこであったと思います。父親は自分に厳しく他人に厳しい人間であり自分の思っていることと違う意見を言われたり物事がスムーズに進まないとすぐに機嫌が悪くなりわたしや3歳上の姉に、冷たい態度をとるような人でした。 そんな父親でしたので、物心ついた時から父親の顔色をうかがいながら生活をしてきました。母親が亡くなってからは祖母が母親代わりをしてくれましたが、父親は祖父母にもわたしたち姉妹と同じように冷たい態度をとる人で、一瞬で冷たくなる家族の空気にいつも心を痛めていました。 
中学1年の初めは家にいるのが辛くなり、休日も学校に行きたいくらいでした。しかし中学1年の3学期に風邪で数日休んだのをきっかけに学校に行くことができなくなりました。いまではその頃の記憶が断片的にしかなく、何が原因だったのかしっかりとしたことは自分でもわかりません。いじめなどではなかったのは確かです。ただ、どうして学校に行かないのか?という問いには「すべてがいや」というようなことを答えていたように思います。 それでも学校に行かなくてはならない、と自分でも思っていましたので中学2年の数カ月は、そういった不登校児が通うクラスに行ったりもしました。それも長くは続かず、学校に行くと言って家を出たもののマンションのエントランスから出ることが出来ずボールペンで左手の甲を何度も刺したりして、自傷がはじまりました。 学校はなんとか卒業することができ、高校も通信制へ進学しました。

精神科へ通うきっかけになったのは16歳の夏に起きたパニック発作です。2歳の頃から住んでいた家を引っ越すことになりもう決定していることとしてその事実を聞かされました。母親の思い出が残っている家から引っ越すことが相当ショックだったのだと思います。普通にくつろいでいる時間に突然の吐き気に襲われ、それからは何度も吐き気や呼吸困難、離人感、思考の混乱などを起こしました。精神科に通院したいと自分から言い出し、現在も通っている病院へ通院するようになりました。身体化障害と診断されていたのは、それよりずっと後に、今から3年ほど前に入院したときに診断名として聞かされて知りました。(それまではパニック障害だと思っていました) 治療を続けながら高校を卒業し、それと同時にアルバイトをはじめました。仕事も普通にこなすことが出来ましたが、発作はその間も続いていました。3年ほど働いた後、店が閉店するということで仕事がなくなりそのタイミングでまたひきこもるようになってしまいました。一番精神的に辛かったのは、この期間だったように思います。ちょっとしたストレスでリストカットや壁への打ち付けなどの自傷はしょっちゅうでしたし薬をたくさん飲んで自殺未遂のようなことをしてしまい救急車で運ばれたりもしました。(ただ、自分では死のうと思ったのではなく、ただ思考をシャットダウンしたかっただけだったと思います)自暴自棄な行動が多く、突然髪の毛をバリカンで剃りおとし丸坊主にしたりほんとうに些細なことで自分を全否定された気がして癇癪をおこしていたのです。 それでもはやり働かなくては、という気持ちがずっとありいまの職場にアルバイトとして雇って貰えるまでには回復しました。まわりの人間とは自分の中では距離がありますが不都合なくつきあうことはできています。それでも自分が思う範囲では、友達と呼べる人間はまったくいません。 職場の上司とお付き合いすることになり休日も外出したりと、以前に比べると大分活発になりました。しかし、今度はその彼氏への依存が酷くなり、とても罪悪感があります。 以前から物事は白か黒かのどっちかでないと納得できない性格でしたがそれが酷くなっているというか、ただ単にわがままなのか、自分ではわかりません。例えば彼氏が、女性の友人と男性の友人を含めて外で会ったりするのも不快で、やめて欲しい、と思うものの、相手の人間関係を壊してはいけないとも思いますしそんなことを言って嫌われたら死ぬしかない、と思い込んで相手には言えません。そこはわたしが我慢をして許すべきなのでしょうが、それがわたしにとってはグレーゾーンであり、納得できず、理解できず、パニックを起こしてしまうのです。 彼氏に対してそう言った癇癪を起した後は、嫌われたら終わりだ死ぬしかない、という思い込みで、ひたすら泣きながら謝ります。相手はとても優しい人で、わたしとの将来のことも真摯に考えてくれているのですがわたしは常に不安で、いつか捨てられるのではないか、などと考えてしまいます。また、将来のことも、自分のこととして現実的に考えることができず、ビジョンがはっきりとしません。 〜しなければならない、という思考になることが多くそれができないことに対して、身体症状として呼吸困難などが頻繁に起こります。ちょっとしたことで感情が上下に激しく動いて、自分でも不安定さに疲労してしまっています。そんな自分のまわりの人間はもっと疲れるだろうし、嫌な思いをしているだろうと思うととても申し訳ないと思い、死んだ方がいいのではないか、と思考がループしてしまうのです。 わたしは身体化障害以外に何かの病気を併発しているのでしょうか?これ以上まわりの人間を傷つけない為にも、対処できるようになりたいのです。何か思い当たるものがありましたら教えてください。通院先の病院は、いま主治医が産休中で代理の担当には心を開けずこんな話しはとてもできません。


林: 身体化障害と診断されているとのことですが、質問者にある「発作」は、パニック発作にかなり近いものです。どの症状が重視されて身体化障害と診断されているのか不明です。
そして質問者の全体像を見ますと、自傷行為や対人関係の問題など、境界性パーソナリティ障害の傾向が明らかに認められます。このことと、小さい頃の記憶が曖昧なことをあわせると、【1933】までにも似たケースがかなりあることがおわかりになると思います。

問題の記憶についてですが、

しかし中学1年の3学期に風邪で数日休んだのをきっかけに学校に行くことができなくなりました。いまではその頃の記憶が断片的にしかなく、何が原因だったのかしっかりとしたことは自分でもわかりません。いじめなどではなかったのは確かです。ただ、どうして学校に行かないのか?という問いには「すべてがいや」というようなことを答えていたように思います。

これは不可解な記載で、記憶がないのになぜ、「いじめなどではなかったのは確か」だとわかるのでしょうか。
この時期に何かかなり酷い体験があり、それがあまりに酷いために記憶から消すことで自分を守っている。そしてそれが、大人になった現在のパーソナリティや症状に関連しているという解釈が可能です。これが

わたしは身体化障害以外に何かの病気を併発しているのでしょうか?

という問いに対する回答です。
ただし、あくまで可能性にすぎないことにご留意ください。

◇ ◇ ◇

【1901】から【1948】までの回答は一連の流れになっています。【1901】、【1902】・・・【1948】という順にお読みください。

 

(2011.1.5.)


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