精神科Q&A

【1812】私が物心ついた頃から、母は妄想がひどく、入退院を繰り返し、近所の人や親戚に疎まれてきました


Q: 私は18歳の女性です。母は、私が物心ついた頃から警察に頻繁に電話していました。内容は近所の人や祖母の悪口、不満。昔(数十年前)あった不愉快な事件などのことも忘れずに何度も110番通報で訴えていました。母はとても真面目な人で法律やルールに大変厳しく、日常で見られるほんの些細なミスにも過剰に反応します。たとえそこに悪意が無くても勝手に悪い方へと想像して、自分のことを殺そうとしているのではないか、とか・・・お金を盗もうとしているのではないか・・・などなど被害妄想に囚われてしまうのです。
 
私は幼い頃から母に「あの人は悪い人だから近づいては駄目だよ」「お母さんは母親から暴力を振るわれていたんだよ」「あんたたちの父親は浮気もしたし、お母さんを殺そうとしたんだよ」など、同じようなことを繰り返し涙ながらに語られて、それを可哀想だと思って育ってきました。 それを変だと言ってくれる人がいなかったので私は何の疑問も持っていませんでした。
 
父親とは私が幼稚園に入ってすぐに離婚し、母親と私と弟の3人で市営住宅で暮らしていました。本当は4人兄弟なのですが、上の2人は父親に引き取られ、母は随分落ち込み、怒っていたように思います。恐らく離婚してから頻繁に警察に通報しだし、情緒もあからさまに不安定になったのだと思います。当時、母はパートなどをしていたのですが、次第に疲れたのか仕事をしなくなりました。私の給食費やバス代は勿論、電気やガス代も払えなくなり、電話も止められました。 生活が困窮する中で母は昼まで寝るような生活をしていました。そんな中、警察に電話をすることだけは止めず、公衆電話へ毎日通うのが日課になりました。――そして時々、留守中の祖母の家に行って母はお金を盗むようになりました。私は幼く無知でしたが、それが悪いことだとは分かっていたので泣いて止めました。そうすると母は「おばあちゃんは昔、お母さんに酷いことをしたのだからいいんだよ」と、宥めるように私に言います。私はそこで初めて母が少し変だということに気付き始めたのですが、私にとって母は絶対的存在であり、反抗することなど出来ませんでした。

母は次第に近所の人(市営住宅の団地)ともトラブルを起こすようになりました。近所の人達は母の振舞いに怒っていたのでしょう。子供の私にバケツの水を掛けようとしたり、母を追いかけまわして殴ったり・・・髪を振り乱して口汚く近所の人を罵る母と、近所中に響き渡る怒声に私と弟は、ただ泣きながらタンスの中で耳を塞ぐことしかできませんでした。 母は私と弟を小学校へ行かせてくれず、訪問する役所の方を尽く追い払い、時には無視していました。
 
そんなある日、祖母と警察の人達が強行突破でドアから突入してきて私と弟は祖母の家へ――母は精神病院へ強制入院させられました。それは私や弟にとって何の前触れもない事態だったので、恐ろしくて堪りませんでした。母と引き離されるのも初めてのことで、幼い私にとっての絶対的な存在が突然いなくなるのはとても衝撃的でした。今では理解できますが、子供心に引き取ってくれた祖母や叔父が母を疎ましいと思っていることや、私や弟を面倒だと思っていることが感じられたので、母が入院している期間――私は必死に邪魔にならないよう率先して「良い子」でいるようにしました。それは当時小学2年の私に出来る精一杯だったのですが、何か手伝うとそれまでの無知さ故に、叔父から「母親があんなのだから常識もないのだな」と言われたことで、より一層従順にするようになりました。叔父はキレやすい性格で少しでも失敗したり気に入らないことがあると暴言を吐いたり、物を投げたり蹴っ飛ばしたりするので、怖くて仕方ありませんでした。 それが母の入院初回での出来事です。 
 
母はそれからも何回も入退院を繰り返しています。しかも自分は精神病ではないと思っているのに強制的に入院させられるので、それに関わる祖母や叔父に対しての不信感や憎悪は入院する度に強くなっていっています。病院のことも全く信用していません。 半年前、また母は入院しました。内科の病院のソファに「○○は犯罪者だ」とか「〜〜を死刑にすべきだ」など油性ペンで落書きをしていたそうなのです。それだけではなく、市営住宅の壁にも同じようなことがしてあり、警察沙汰になりました。母の入院費は今、私が払っています。まだ高校生なのですがバイトで貯めた貯金を崩しながらなんとかやっています。弟は1年程前に市営住宅を出て、祖母と叔父のいる家でお世話になっています。弟はどうしても「私と母のいる家」には戻りたくないらしいのです。叔父は内心では迷惑なのでしょうが弟はしっかりと付き合っているようなので、私は戻ってきてとは言えません。 私は弟に学費や部費、お小遣いを出来るだけ渡していますが・・・・・叔父や祖母に時々「教科書代払ったぞ」などと言われると、まるで責められているようで嫌になります。悪意はないのだろうとは思いますが、半年前に母が入院する時に叔父は「また入院したな。寝ているだけなのだから楽が出来ていいよなぁ。わざと入院しているんじゃないか?」「入院費、また俺達が払うのか?金を貯めるために入院してるんじゃないのか」などと、私や弟の前で平然と言います。私はもう泣くだけの子供ではないので高校に入ってから直ぐにやり始めたバイトのお金をずっと、こういう時のために貯めておいたのですが、お金は直ぐになくなっていきます。 正直言って、とても疲れています。今、母も弟もいない独り暮らしの状態で、バイトも学校も家事も――特に母との面会はいつも泣きそうになります。

母はなりたくて精神病になったわけでは決してないのです。薬の副作用で緩慢になった動作や白髪、早く退院したいという懇願――面会のときが一番辛くて悲しいです。 母を理解してくれる人や支える人が少な過ぎて、私1人ではとても辛いです。私は母を支えたい――しかし、時には「なぜ、こんな目に遭わなければならないのか」と思うこともあるのです。 最近では夜に、過去の辛いことや未来への不安を感じて眠れなくなりました。これではいけないと思い、出来る限りのことをしようと、母のことについてケースワーカーさんに相談しようと電話したら忙しいのか相談の途中で切れてしまいました。「母が怒って興奮状態の時、どうすればいいのか?」という問にも唸るばかりで、有耶無耶にされてしまいました。 やはり精神病は難しいのか・・・ケースワーカーさんのあまりの対応に失望しつつ、今なんとか頑張っている状態です。こういう場合はどうしたら良いのでしょうか?母のことを理解してくれる人からの的確なアドバイスが欲しいのです。私1人では対応しきれません。上記の通り親類には頼れないのです。 林先生のことは本を読んでしりました。質問にはすべて答えられないというのは承知の上です。もし宜しければ答えて頂けると救われます。メールを読んで頂けるだけでも嬉しいです。有難うございました。 


林: 幼少期から、大変つらい生活に耐えてこられたこと、お察し申し上げます。いや、本当の意味では、あなたの体験を他人が察することはできないのかもしれません。それを「貴重な体験」と呼ぶのは失礼かと思いますが、統合失調症に対して様々なイメージ、意見、そして時には偏見を持っている人々に対し、この【1812】は貴重な体験の情報となることははっきり言えると思います。メールをお書きになることも大変つらかったかと思います。お送りいただいたことに深く感謝申し上げます。

おそらくこれまでのあなたは若すぎて、お母様の医師と、病気や治療について深くお話することはできなかったのだと思います。お母様は入退院を繰り返しておられるとのこと、それが適切な治療を受けてもなおそうであったのか、それとも、よくあるケースと同様に、退院するとすぐに薬をやめてしまったためにそうであったかのか、まずそれを確認する必要があります。幼いあなたがお母様の服薬を管理することは不可能だったと思われますので、やはり薬の中断が再発の繰り返しを招いていたのではないでしょうか。であるとすれば、

「母が怒って興奮状態の時、どうすればいいのか?」という問

その問いの前に、「怒って興奮状態」になること自体を、薬物療法により予防することを考えるべきでしょう。その問に対してケースワーカーが

唸るばかりで、

というのはある意味当然で、統合失調症の人が妄想のために興奮しているとき、万能の適切な方策は存在しません。入院中であれば、注射によって鎮静するのを考慮するところです。
 しかし、興奮を予防する、すなわち、興奮のもとである妄想を軽減することは適切な薬物療法により可能です。現代の抗精神病薬は、一日一回の服用でも十分に効果があるものが存在しますので、昼間は学校がある高校生のあなたでも、夜にお母様が一回だけ服薬されるのを確認することで、管理可能です。また、子どものあなたではどうしてもお母様に薬を飲ませることができないのであれば、デポdepo剤といって、月に一回注射をすることによって、一か月間効果を持続させるという薬もあります。
 幼少で無力のあなたがよくここまでがんばってこられたと思います。18歳に達した今、お母様の主治医とよく相談し、適切な治療による改善を目指してください。

 

今回の更新(2010.10.5.)について



(2010.10.5.)


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