精神科Q&A

【1804】産業医として、復職面談において注意すべき点


Q: 34歳の産業医です。専門は内科なのですが、当然先生もご承知の通り、最近の産業医活動はメンタル疾患の対応が最大といってもいい仕事になっています。私は今の会社 (メーカー) に勤務して間もなく一年になるのですが (産業医として常勤するのは初めての経験です) 、勤務一カ月くらいの時点でメンタルの重要性をひしひしと感じ、講習会などさまざまな機会を利用して精神医学の勉強をしているのですが、やはり専門外の領域は、利き手でない左手で字を書いている感じというか、どうしてもしっくりこないというのが実感です。
 幸か不幸か、私の会社には非常勤嘱託で精神科医の先生が勤務しておられましたので、メンタルの問題は実質上はなるべくその先生にお任せし、私は産業医としてその先生のご判断を追認するという立場でこれまでやってまいりました。ところがこのほどその精神科の先生がお辞めになり (後任を探してもらうよう会社の人事部に強く要請しているのですが、まだめどが立っていません)、私が社内のメンタルも一手に引き受けることになってしまったのです。
 
前置きが長くなりましたが、こうした事情で出会ったケースについて質問いたしたくメールを書かせていただきました。それは「復職面談」と呼ばれるものです。ケースは53歳男性で、うつ病からの職場復帰にあたって、産業医の判断を求められたという経緯です。次のような方です。

53歳男性、家族は妻と子ども三人(高校生、中学生、小学生)
社の開発部門に長年勤務。海外との交渉も多く、病気になる直前も、毎月のように海外出張に出ていた。
ここ10ヶ月、病気欠勤していた
診断書の病名はうつ病

私が面談した第一印象は、思ったより元気そうだというもの
30分弱の面談時間中、その印象は不変。
大人しそう。表情普通。服装は会社の作業服。
穏やかな話し方。話の内容に奇妙な点なし。
持参した主治医 (心療内科クリニックと書かれていますが、精神科医と思われます) の診断書には、職場復帰可能な状態 と記されている。
以下は本人の話:
今はうつ病の症状はほとんどなく、強いていえば薬のせいで少し眠いがたいしたことはない。
二カ月前から復職に備えて通勤練習をしている。すなわち、通勤と同じ時間に家を出て電車に乗り、会社まで来る。もちろん欠勤中なので会社には入らず引き返すのだが、家にまっすぐは帰らず、近所の図書館で本を読むなどして過ごしている。
一日も早く復職したい。

概略以上のような方で、彼は一カ月前には当社の精神科医(当時まだ勤務していた)の復職面談を受け、「職場復帰はまだ無理。一カ月様子をみてから再度面談を要する」という判断が出ていました。その時点で主治医からは復職可能の診断書が出ていたのですが、それなのになぜ精神科医が復職を許可しなかったのか不明です。ご本人にお聞きすると、「当時は通勤練習を開始したばかりで疲れもあり、たまに家を出られない日もあったりしたので、先生は慎重にご判断されたのだと思います」とおっしゃっていました。(余談ですが、精神科医の先生にはカルテをもう少しわかりやすく書いていただければと思います。たとえばハミルトンの尺度などを用いて定量的な症状評価を定期的にしていただいていれば、当時と今を比べることができ、より正確な判断ができると思うのですがいかがなものでしょうか。専門の先生に対して僭越ですが、一内科医からの率直なお願いです)

結論として私はこの方が復職可能という判断を下しました。客観的にはうつ病の症状があるとはいえず、ご本人も症状はもうほとんどないとおっしゃっていましたので、復職を許可しない理由はないと考えました。医学的常識からいえば、主観・客観ともに症状がないのだから、治癒ないし寛解で間違いないと思う一方、先にお書きしましたように、この判断は私としては左手で字を書いているような違和感が残ります。診断といっても検査をするわけでもなく、話をしただけですので (こういう言い方は精神科の先生に失礼かもしれませんが) 、それが主因なのかもしれません。

情報不足でご判断困難ということになるのかもしれませんが、おわかりになる範囲で結構ですので、このケースでの私の診断手法について、また可能であれば復職面談における留意点などについて、ご教示いただきたく、よろしくお願い申し上げます。



林: 真摯に診断されているご様子、おそらくご判断に誤りはないと思います。が、ここではあえて、問題があるとすればどこかを指摘するため、あえて反対のスタンスからの回答をしたいと思います。

1. 本人の意図を見抜く姿勢が必要です。
 精神科の診断は話をしているだけ。その通りとは言わないまでも、本人の話が診断上重要な意味を持っているのは確かです。そして人は、色々な意図を持って話をするものです。その意図を見抜くためには、話の背景を意識する必要があります。復職面談という場であれば、彼は復職したいのか、したくないのか。その理由は何か。これがポイントになります。
 このケース、53歳の男性で、三人の子の父親です。すでに10ヶ月病気欠勤しています。欠勤期間の給与はどのような扱いになっているのでしょうか。どの会社でも、一定期間は給与が保証されても、いつまでも全額が保証されることはあり得ません。その「一定期間」は会社によっても違います。この会社の規定はどのようになっているのでしょうか。給与以外の待遇、たとえば昇進の機会なども、欠勤が長ければ変わってくるでしょう。この会社の現状はどうでしょうか。産業医である質問者は、こうした情報を得ることができるはずです。その情報を得れば、彼の意図が見えてくるはずです。つまり、仮にこの10ヶ月の欠勤の期間、著しい減給になっていれば、小・中・高の三人の子どもの父親とすれば、一日も早く復職を希望されるでしょう。あるいは、10ヶ月までは給与が保証されても、今後は著しい減給になるという制度もあり得るでしょう。給与面以外でも、これ以上欠勤すると色々な面で不利が予想されるのかもしれません。であれば、彼は何としてでも復帰を希望するでしょう。主治医に頼み込んで、復帰可能という診断書をもらうでしょう。産業医の前で元気にふるまうくらいは当然するでしょう。わざわざ作業服で登場したということにからも何らかの意図を読み取るべきかもしれません。
 今後について、あえて最悪の事態を想定すれば:
彼は重いうつ病で、実はまだまだよくなっていない。しかし上のような事情から、いくらつらくても復帰しないわけにはいかなかった。ここで復帰しなければ経済的にも追い詰められる。そこで、医師を騙して復帰した。しかし復帰直後に自殺。
そうなれば、復帰させた産業医は、法的にはともかく、倫理的には責任があると考えるべきでしょう。
 また、質問者はハミルトンのような尺度による、うつの定量的な評価を提案しておられます。それは有効な場合もないとは言いませんが、ハミルトンも結局は本人の訴えに基づいて評価するものですから、上記のような事情がある場合は、出されたスコアの信頼性は低いものになります。結局精神科の診断は本人とのコミュニケーションを通して行なうしかないのです。
  
2. 主治医は常に患者の味方ですから、診断書には事実が書かれているとは限りません。
 主治医が復職を許可しているのに、一ヶ月前に診断した会社の精神科医はなぜ復職を許可しなかったのか。質問者はこう疑問を投げています。考えられる理由は上記の通りで、会社の精神科医は、このようなケースでは主治医の診断書に信頼性がないことを承知しており、診断書からは独立した立場で彼を十分に診察したうえで、まだ復職できる段階でないと判断されたのでしょう。

精神科Q&Aの質問メールでも、質問者の意図によって情報が著しく偏っていると推定されることはしばしばあります。【1803】で私は、「この質問からわかることは、質問者が娘さんを統合失調症でないと信じたいという強い願望があることです」とお答えしています。これを援用すれば、この【1804】のケースの復職面談からわかることは、「この53歳の男性が復職したいという願望があることだけです」とも言えます。その願望の背後にどのような事情があるかに注意を払わなければ、それは単に話を聞いただけであって、精神科の診察とは言えません。もし話の内容だけから単純に診断できるのであれば、それこそハミルトンの尺度を使って、何点以上なら休養継続、何点以下なら復職許可、と機械的に判定してもいいことになります。それが不合理であることは説明するまでもないでしょう。

以上1,2は、この方がうつ病であり、まだ十分に回復していないのにもかかわらず、産業医の前では回復をよそおっている可能性の指摘です。
以下3,4は別の次元の指摘です。

3. うつ病という病名を無批判に受け入れるのは危険です。
 擬態うつ病という言葉を使うかどうかはともかく、うつ病でない「うつ病」なるものが蔓延していることは医師である質問者は十分にご承知だと思います。診断書にうつ病と書かれていても、それは病名について何の情報にもなっていないと理解すべきです。このケース、10ヶ月欠勤しています。もちろんうつ病でそういうことはあり得ますが、10ヶ月というのはうつ病による休養としては長いといえます。彼は本当にうつ病なのか。ここでも、会社の制度と照らし合わせて判断する必要があります。10ヶ月の欠勤中、給与・身分等がほぼ完全に保証されるという制度であれば、彼はそれを悪用して休んでいたのかもしれません。そして10ヶ月という期限が来たので、一転して復帰を強く望んでいるのかもしれません。つまり病気休養の制度を休暇として悪用した。これは悪意のある勘繰りと思われるかもしれませんが、産業医である質問者は、「偽装メンタル」と呼ばれる詐病も現代の職場には多いことをご存知だと思います。産業医がそれを見抜かず、単純に患者の話を信用するようですと、真に病気で休養が必要な人々の不利な扱いにもつながりかねません。

4. 彼がどのような社員かを洞察する必要があります。
 上記3.もそれに関連します。彼の普段の働きぶりが確認できれば、3の疑いがあるかどうかはほぼ明らかになるでしょう。そのためには職場の上司や同僚からの情報が役に立ちます。
 また、このケースにはやや解せない点があります。53歳といえば、通常なら部長クラスの管理職です。一方、彼は毎月のように海外出張に出ているとのこと。そして会社では作業服なのでしょうか。すると第一線に出ている社員と推定されますが、では彼は部長クラスではないのでしょうか。だとすればなぜ? もちろん会社による独特の事情があるでしょう。しかしここでもあえて解釈を巡らせれば、管理職になることを拒否し続けている社員であるとか、能力が不十分で昇進させられない社員とか、色々な可能性があります。そうした背景も知った上で判断する必要があるでしょう。

「うつ病で休んでいて、今は復帰を希望している」という、昨今では平凡ともいえる復職面談も、このように様々なことを考える必要がある場面です。ハミルトンのような評価尺度で単純に判断できるような性質のものではありません。

なお、もし3,4で指摘したように、彼には社員として病気とは別の次元の問題があったとした場合、ではどうするかというのはまた新たな段階の問いになります。会社の事情、その社員の事情、その他。産業医であれば、そうした周辺情報を入手できると思われますので、その情報を十分に考慮したうえで判断することが望まれるでしょう。
 産業医は、契約関係はあくまでも会社との間に結ばれるもので、社員(患者)との間に結ばれるものではありませんから、医師-患者関係は通常の臨床とは異質であり、契約者としての職業倫理と、医の倫理との間にジレンマが生じるものです。すなわち、「雇用者である会社の利益」と「患者の利益」の不一致が生まれる局面が現れることは稀ではないでしょう。産業医という職業のご苦労をお察し申し上げます。



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