精神科Q&A
【1786】変わり者だが特異な才能もあった兄の死
Q: 兄は40歳直前、食道静脈瘤破裂で亡くなりました。その後、兄の部屋を掃除していたら色々な文章が出てきました。高校から死ぬまでノートに、異性への歪んだ愛情、学校の成績の事、友達への憎しみばかりが埋め尽くされ、以下の行動を取ってきた兄が家族への憎しみや将来への不安の文章は全くなかった事は意外でした。兄がなぜ、このような人生を歩んでしまったのか、私はずっと考えてきたし、母もまた、教育方針が悪かったのではないかとずっと自分を責めているようです。先天的なものか? 環境が悪いのか? 病気だったのか? 何か解れば私達も少しは救われるのに…と思い質問させて頂きます。
兄は三歳までに、ひきつけ大発作を3回起こし、その頃、脳波にも少し異常があり、言葉も一年くらい遅れていたようです。下に兄弟達が生まれても、全く興味を示さず、どこか、ボーとしていたそうです。本は小さい頃から読み漁り、読む本がなくなると、つまらないと思う本でも数回読んだそうです。幼稚園の頃、回りが他の授業をしていても気にせず、一人で工作を朝から帰る時まで作り、先生もびっくりするような物を作り上げていました。先生がダンスを教えようとしても一向に覚えず発表会の時は、泣くそうです。母がなぜ「覚えようとしないの?」と尋ねると『覚える必要がないから』と答えるそうです。 両家の祖父は、かなり華々しい家系で、幼少の頃から祖父、親から大きな期待を背負って、さぞ窮屈だったと思います。
小学校は親の車とバスで通学していました。参観日で宿題を出された時、帰宅してから母が「宿題は?」と聞けば、『ない』と平然と言います。一事が万事、この調子ですから、宿題が溜まって手に負えなくなると泣くというパターン。音楽など進路から外れた授業には、ピアノの下に隠れ、先生も容認していたようです。朝礼でも帽子を脱ぐべき時に脱がず、付けるべき時に一人脱いで気付かず友達から注意される始末。
それでもTQは126と、まあまあ良かったので、親から勉強を強制され、中・高は進学高校に進みました。家でも学校でも精神的・肉体的、超スパルタでご飯を食べる時間さえ惜しみ、旅行に行けば必ず参考書を手に、ずっと親の監視下で生活を送っていました。それが学校の方針でもありました。高1まではトップクラスを走り、回りからも〔神童〕と持て囃され親子共に傲慢になっていました。
その頃を境に、〔無感動・無関心・無気力〕な大人しい性格から一変しました。私への毎日の暴力が激しくなり、耳を澄ませて、戸を閉める音が少しでもしたら、同様小さい声で鼻歌を歌っただけで、隣室から飛んできて激しい暴力。叉私の成績が良いと教科書を隠し、ポスターを一生懸命書き上げれば取り上げ笑いながら破り裂く、私が兄よりIQが高いと知ると殴る蹴るで『お前は頭が悪いんだ』と激しく罵りました。それは同級生にも同じで兄の持ち物だと皆触らず怖がったそうです。高2くらいからは成績が下がり始め、家のウイスキーを空けては変わりに水を入れて知らん顔する、隠れタバコを吸う。図書館の本は自分の物にする。女性から恋文を貰うと、自転車に乗りながら破り捨て、他人をどのようにしてダメージを与えるかに専念しているようでした。私や同級生、教師には横暴なのに、親には大人しく従順でしたから、その頃の兄の実態は両親共に全く気付かず、成績さえ良ければ他の事は全く関知しなかったのかも知れません。実際、私が「毎日殴られて困る注意して!あのまま結婚したら大変」と親に言っても「○美が辛抱すれば丸く収まるんだから辛抱して!私達には素直で困っていないし、○美には悪いけど結婚したら奥さんには手を出さないと思うよ」だけでした。また、友達の間で人気者で良きリーダーと思っていたようです。
高校卒業後、親元を離れ予備校へ通い、一流の医学部を目指していましたが不合格で、不本意ながら歯学部に入ったものの(とはいえ、一流の歯学部です。しかも成績はトップクラスでした。入学当時は親も歯学部に行きながら医学部を再受験しろと言っていました)、軽蔑の余り大学に行けず、留年を重ね、親に強制されたと責任転嫁を始め酒びたりの生活でした。この度の掃除で両親が兄に宛てた手紙が何通も出てきました。内容は「頼むから電話に出てください。かけてきて下さい。そちらに行くから家に居て下さい。一緒に温泉でも行ってみないか。学校は復学するか、退学するか、届けを2つ捺印して入れておくから自分の好きなようにしなさい。後3年頑張れば立派な資格が得られるんだから、親としては復学を進めるが…」と悲痛な叫びに満ちた手紙が、父親らしく理性的に、母親らしく優しい手紙を頻繁に送っているようでした。それなのに兄は学校にも行かず、電話にも出ず、私がアパートに行っても居留守を使い、大学には進退の届けも出さず、ガス、電気も滞納し蝋燭で台所で体を拭く、家も汚く酒を飲んで寝て飲酒だけの生活でした。このころから兄はアルコール依存症になってしまったようです。ノートには自分に好意を見せた軽い付合いの女性を従属動物のように憎悪に満ちた表現で書かれていました。そのくせ先方に同情でもって愛するといった、あくまでも目上視線の手紙を出しているようです。が、私には女からの愛情を懇願しているように見えます。友達と言えば予備校時代の国立大学の医学、超有名大学卒業者のエリート達で、夜中2時ごろ平気で電話をかけ延々と数時間喋る、同窓会でもリーダーだったらしく自ら幹事をしていました。しかし、ある日、肋骨が折れるほど殴られ同窓会を辞めたようです。なぜそんなに殴られたのか事情はわからないのですが、兄が空気が読めない性格であることが関係していたようです。それから、同窓会のメンバーに対して暴力をふるったかどうかはわかりませんが、兄は私たち家族には理由もなく暴力をふるったり、物を壊したり、嫌がらせをするのが常でした。私にはツバをかけたり、私のアルバムをめちゃめちゃに破ったり、車や部屋中にマジックで私を罵る言葉を書いたり・・・落書きを消すとあとが怖いのでそのままで生活を送りました。『お楽しみはこれからだ、お前を道連れに人生、目茶苦茶にしてやる、結婚相手の出世の邪魔してやる』と脅され、結局私達母子は共同生活が出来ず、二人で引越ししましたが、引っ越し先の家に押しかけて暴力をふるわれることも何回もあり、警察沙汰にもなりました。新たに引越しを計画している所、突然兄は亡くなり私は中学以来続いた兄からの恐怖に初めて解放され、心から嬉しく思いました。
兄はボーと意志薄弱そうに見え自分の世界に浸っているかと思えば、凶暴性を発揮し、私の顔をボコボコにしたり親をも殴る。親からの悲痛な叫びに何年も応じず無視出来るかと思えば毎日何回も電話かけてきて、「殺す」と脅される。いつも両極端です。目指した職業は、詩人、小説家、建築家で、いずれもトップクラスになれると本気思っているようでした。また、自分は特別に頭が良くて30代過ぎているのに『今から○○大学の建築科に入り、日本で5本の指に入る建築家になる。俺は優秀だから実地のような下働きはしない』とよく言っており、実際部屋からは建築家1・2級の対策本が多量に出てきました。兄の知能指数が高かったのは事実です。その一方、人の心が読めず、自分の状況も判断できないのですが、工作美術をさせればとても優秀です。でも現実生活に必要なことはほとんど何も出来ませんでした。詩は高校の時から書き始め、人間の悪意を抉り取ったような作品を書き、よく新聞上で入選していました。鈍と鋭が両極端過ぎて、全く理解できない兄でした。
林: お兄様は何らかの発達障害であったのだと思います。
他の可能性としては、
兄は三歳までに、ひきつけ大発作を3回起こし、その頃、脳波にも少し異常があり、言葉も一年くらい遅れていたようです。
このときに何らかの脳障害が発生したとも考えられますが、全体の経過からみて、発達障害であった可能性の方が大きいと思われます。
その頃を境に、〔無感動・無関心・無気力〕な大人しい性格から一変しました。
ここだけを取り出してみると、このころ(高校1年)に何かの病気を発症したという見方も有り得ますが、やはり全体の経過からみれば、発達障害とみるべきでしょう。発達障害の人が、このように、ある時期を境に(その時点における環境の変化がきっかけです。周囲からみる限り、それほど大きな環境の変化には見えなくても、発達障害のご本人にとっては重大ということはよくあるものです)、性格が一変したようになることは少なくありません。
兄がなぜ、このような人生を歩んでしまったのか、私はずっと考えてきたし、母もまた、教育方針が悪かったのではないかとずっと自分を責めているようです。先天的なものか? 環境が悪いのか? 病気だったのか? 何か解れば私達も少しは救われるのに…と思い質問させて頂きます。
「何かわかる」ことが「救われる」ことにつながるとは限りません。そしてこの精神科Q&Aは、たとえ絶望につながることであっても、事実を回答するというのが一貫した方針です。お答えします:
この【1786】のお兄様の人生は、早期から発達障害としての教育を受ければ、はるかに幸福なものになっていたかもしれません。お兄様は明らかに他の人にはない才能を持っておられたと思います。その才能を生かすことができないまま、このような結果に終わってしまったのは、大変残念なことでした。
この回答は、質問者にとっては何もならないかもしれません。けれども、発達障害を早期に診断して、適切な養育を行うことの重要性を読者にお伝えするため、掲載させていただきました。(たとえば、【1773】の方も、適切な養育を受けていなければ、この【1786】のような経過になっていたかもしれません)
詳しい経過をお知らせいただいた質問者の方に感謝するとともに、お兄様のご冥福をお祈り申し上げます。