精神科Q&A
【1682】アスペルガー症候群の診断を受けることにはどんなメリットがあるでしょうか
Q: 私は31歳の女性です。2、3年前に初めてアスペルガー症候群という言葉を知り、それから色々と調べてみて、自分の子供時代のことなどを思い返すうち、どうやら自分はこれに当てはまるらしい、という結論に達しました。現在は甲状腺の病気のため無職です。それまでも一応働いて来てはいますが、普通の人と同じように働くと他のことが何一つできないくらい疲れてしまうので、あまり長続きしたことはありません。一番長続きした仕事はホステスです。いつでも休みが取りやすいことと、昼より夜の方が外に出るのがラクなこと、集団での会話はとても苦手ですが(というより全く参加できない)、一対一ならあまり苦にならないので、何とか続けられたと思います。 自分自身をアスペルガー症候群に当てはまると判断した根拠ですが、まず子供時代は、・片付けられない。にも関わらず机の上に物が乗っているのが嫌で全部周囲に落とすため、勉強机の周り(特に後ろ)にプリント類が山積みになっている。・よく不用意なことを言うといって母に叱られた。今でも何を怒られたのかはわからない。・提出物や宿題をいつやったらいいのかわからないので提出したことがない。・忘れ物が多い。物だけでなく言い付けなども忘れる。・不器用。運動が苦手。特にボールなど飛んでくる物を見ることが出来ない。・方向音痴。風景が覚えられない。・期限や時間を守るのが極端に苦手。・友達が少ない。集団で遊ぶのが苦手。などです。
親や教師にはしばしば反抗的と思われ、ひどく叱られましたが、自分自身には反抗しているつもりはなく、何故怒られているのかわからないことが多かったです。成績はとても良かったので、余計に、宿題などやらなくていいと思っている、というような誤解を生んだのでしょう。小学校3年生のときには、自分としては担任の先生が好きで楽しく過していたつもりだったのですが、家庭訪問で「無表情、無感動」と言われ、とてもショックを受けました。友達は少ないなりに、クラスの子と遊んだりはしていたと思います。大学には入りましたが、同級生の間でやり取りされる情報や過去問のコピーなど、何故か暗黙の了解で必要とされるらしいことに参加できず、だんだん学校に行けなくなって中退しました。
アスペルガー症候群という言葉を知ってから気付いたことですが、成長の過程で自分なりに適応のために努力をし、現在は、・必要な物以外は出来るだけ買わない。不要になったらすぐ捨てる。・道は看板や番号(何号線など)で覚える。・こまめにメモをして優先順位を決める。・できるだけ、信頼できる相手にしか自分の感じたことを口にしない。・期限や時間など、自信の持てない約束はしない。などの方法で、かなり社会的な適応を果たしています。知らない人が見れば一見ほとんど何の問題もないと思います。しかしおそらく、常に普通の人よりもずっとたくさんの注意を払い続けなければならないせいで、とても疲れやすいのが難点です。そのため現在は在宅でできる仕事を見つけようと努力中です。 質問は2つです。1。発達障害者支援センターなどに行って相談するべきだと思われますか?2。そうでない場合、私はアスペルガー症候群であるという判断は正しいでしょうか? 私としては、色々調べてみた結果、成人にアスペルガー症候群の診断をするのは難しいようですし、診断が降りたところで直接的なメリットはないような気がするのですが、自分自身を勝手にアスペルガー症候群であると決めつけて生きるのは間違っているのかな、という不安もあります。もちろん、アスペルガー症候群という言葉を知ったことは、私に取って量り知れないメリットがありました。子供の頃の、理不尽に思える苦しみに多少なりとも説明が与えられたことと、自分を駄目な人間だと感じることから逃れられたこと、また、パソコンの背景を暗くしたり、サングラスを掛けると楽だというような実際的な知識を得ることも出来、大変助かりました。発達障害者支援センターに行っても、それ以上のものが得られるとは思えないのですが、間違っているでしょうか?また、アスペルガー症候群であることを理由にして職場での理解を求めたりするには、私は何とか「できる」ようになったことが多すぎ、その自分の(本当は苦しい)社会的適応を今更手放すことも出来ません。そしてまた、病名が何と付こうと自分は「障害者」ではない、自分はただ他の人と違うというだけで、それは自分がおかしいということとは違うのだ、という思いもあります。いずれにしても私の人生が簡単なものでないことは確かです。私は、これから先生きて行くために、他人の支援を求めるべきでしょうか? 正直なところ、私には自分がどれくらい「普通でない」のか見当がつかないので、それが一番お聞きしたいのです。一通のメールでわかることではないかも知れませんが、先生のお考えをお聞かせください。よろしくお願いいたします。
林: 障害者というものの概念そのものにかかわる、非常に重要なご質問だと思います。お答えするには、本来なら本一冊分くらいのスペースが必要ですが、ここでは要点と思われることのみを記すことにいたします。最初にご指摘したいのは、
そしてまた、病名が何と付こうと自分は「障害者」ではない、自分はただ他の人と違うというだけで、それは自分がおかしいということとは違うのだ、という思いもあります。
これは、いわゆる「障害個性論」と呼ばれる考え方に共通するものです。(もし質問者がこの言葉をお聞きになったことがないのであれば、本などでお調べになることをお勧めします)
この論は、ごく簡単に言えば、障害があるからといって、何か特別の対応をするというのは、本人にとってはかえって差別などの不利益がある。だから障害は一つの個性と考える方が、その人を特別視せず、社会の一員として、ごく自然に受け入れることができ、本人のためになる。そういった考え方です。
これには賛同者もいれば、反対者もいます。たとえば次のような警告があります:
行政担当者などがその仕事として障害個性論を説く場合は、障害のある個人が言うのとは異なった役割を果たすのである。
それは「個性」という言葉を利用し、人間一人ひとりはみんな違った存在であり、障害者もその一員であるのにすぎないのだという一般論に障害者問題を流し込み、そのことによって障害者の権利保障の推進をはばんだり、水準を引き下げたりするというマイナスの効果をもたらすのである。
そのような意味で、この障害個性論は、その本質においてはきわめて政治的だとさえいえるレトリックなのである。
(『障害は個性か』32ページ 茂木俊彦 著 2003年)
上の文章は、すなわち、「障害者は特別扱いすべきでない」という正論が、障害者施策の予算を削減しようという動きに使われることを警告したものです。
どうも、回答の最初から話がそれてしまいすみません。それだけこの問題は大きいとご理解ください。
この【1682】のケースに戻ります。
質問者は、ご自分がアスペルガー障害であることを半ば認める一方で、しかし障害者ではない、という気持ちを持っておられます。それは上記の障害個性論に共通しますが、政治的な意味はともかくとして、この質問者個人のレベルとしては、適切な考え方だと私は思います。この方は、自らアスペルガーについて調べ、障害(と、ここでは呼ぶことにします)の本質について勉強され、その結果、ご自分でできる対応策(これは、自助努力ともいえますし、コーピングcoping と呼ばれることもあります)によって、障害による欠点をかなり見事に補い、社会に適応していらっしゃいます。
しかしおそらく、常に普通の人よりもずっとたくさんの注意を払い続けなければならないせいで、とても疲れやすいのが難点です。
とおっしゃるとおり、これは第三者から見て取れるよりも、はるかにご本人にとってはエネルギーを要することであるとお察し、敬服いたします。アスペルガー障害をはじめとする発達障害の方は、障害の本質を説明され、理解されても(そこまでがまた大変なのに加えて)、現に行動を修正するとなると、相当の努力を強いられ、そしてなかなかうまくいかないケースも少なくないものです。
そこでご質問の件ですが、
診断が降りたところで直接的なメリットはないような気がするのですが、
自分自身を勝手にアスペルガー症候群であると決めつけて生きるのは間違っているのかな、という不安もあります。
どちらももっともです。一般には、多くのアスペルガー障害の方にとって、診断を受け、支援を受けることは大きなメリットになりますが、この【1682】の質問者は、すでに自力で相当な対応をされているので、これ以上のメリットが得られるかどうかは判断が難しいです。
私は、これから先、生きて行くために、他人の支援を求めるべきでしょうか?
わかりません。支援がプラスになる面があることは確かでしょう。しかし、それがかえってご自分の努力を弱めることも考えられますし、自尊心を損なうことも考えられます。したがって、
発達障害者支援センターなどに行って相談するべきだと思われますか?
それがこの質問者にとって、どこまでプラスになるか、私にはお答えできません。
ただ一つ言えることは、このメールに書かれているような質問者の経験を、他の発達障害の方々に肉声でお伝えすることは、その方々にとって、非常に大きな励み、プラスになると思います。発達障害支援センターで、そのような場が得られる可能性はあるでしょう。
私はアスペルガー症候群であるという判断は正しいでしょうか?
正直なところ、私には自分がどれくらい「普通でない」のか見当がつかないので、それが一番お聞きしたいのです。
これはメールだけではわかりません。もしこれが最大の関心事なのであれば、精神科を受診し、診断を受けることをお勧めします。