精神科Q&A
【1569】体感幻覚症から統合失調症、さらに認知症に診断が変わった50代の兄
Q: 私は50代男性です。家族は母親(90代)と兄(50代)と3人で、私は大学を卒業後、東京で就職をして、ずっと東京で働いていました。兄は大学卒業後、地元(秋田県)に就職をして、そのまま両親と生活をしていましたが、就職5年後(27歳くらい)くらいにうつ的な症状になり、病院に行ったところ、神経衰弱(当事の診断書にはそう書かれていた)と診断され、やむなく会社を退職し、治療のため、2年近く、自宅療養しました。その後、症状が良くなったので、別の会社に運良く就職でき、10年位、普通に仕事(家具の小売店の営業)をこなし、その間に父親がなくなり、葬式もりっぱに無事行い、私も精神的な病はもう大丈夫と思い、安心して東京で仕事をしていたところ、急に母親から電話がかかってきて、兄が「神経が切れてしまった、もう死んでしまう」というような事を言ってパニックに陥っている。と連絡があったので、あわてて救急車を呼ばせて、そのまま入院する事になってしまいました。
そのときは私も仕事が忙しくて、なかなか田舎に帰れずに、その後の事はほとんど母親に任せてしまって、詳細な事は良く分からないのですが、4ヵ月後に退院(入院中、数回私が見舞いに行っている)をしました。その後、会社に復帰して、別の仕事(配送)にまわされ、そこでがんばっているものと思っていたら、半年もたったところで、仕事中に急に高熱が出て倒れ、救急車で運ばれ、又入院する事になりました。後で、病院に病気の確認をしたのですが、体感幻覚症という病気と言われ、退院後はどうすれば良いかと聞けば、ゆっくり静養する以外ありませんと言われ、本人も家族も兄はしばらくは働かず、ゆっくり自宅でしたいことをすれば良いという事になり、その後は本人も普通に働く事(特に対人関係)にすっかり自信をなくしたみたいで、就職活動は一切行なわなくなりました。私も最初は帰省するたびに、就職活動をしたらどうかと言っていましたが、本人がやる気がないのだから仕方ないと思い、そのままにしておきました。経済的には母親の年金、恩給及び兄の傷害年金(これは全て兄が自分で確認をして、手続をした)でなんとかやっていけましたし、私もその頃にはある程度の収入があったので、少し援助をしながら、やりくりをしていました。又、運良くあまり人間関係を気にせずにできるアルバイトが見つかり、精神的にも安定してきて、定職についてない事を除けば、ほとんど普通の人と変わらない生活をしていましたので、経済的はに私が援助を少しすれば、そのままずっとやっていけるものと確信をしていました。(この期間は15年くらいです)
ところが母親も90歳を過ぎ、いよいよ炊事や洗濯などの日常のことが1人でできなくなってきて、又耳も聞こえなくなり、認知症の症状も少しでるようになり、さらに癌を患い、抗がん剤の投与で通院をしなくてはならない状態(現在は転移もなく、落着いている)になり、兄も不安になったようで、ここ1、2年は頻繁に私に電話をかけてくるようになっていました。(電話の内容が時々、変な内容が多くなっていた)。
私もこれはいよいよ田舎に帰って、母親の面倒をみなくてはいけないと思い、心の準備と田舎でも仕事ができるような準備もしなければと思っていた矢先、兄から電話があり、以下のような事を言い始めました。
「救急車を2台、呼んでくれ。このままだと母親を殺してしまうかもしれない。1台は自分(精神科)、もう1台は母親(外科)のため。」びっくりして、内容を問いただしたところ、「冗談や、今のは聞き流してくれ、こんな事を言ったら、お前がどんな反応をするか試したかっただけだ」と言って、電話を切りました。私はこれはほんとうにまずいのではないかと思い、明日1番で帰省して、状況を確認しようと思っていたところ、再度兄から電話がかかってきて、「さっきのは本当に忘れてくれ、こちらは大丈夫だから、気にしないでくれ」という事でした。それでも、最初に言った事が尋常ではないので、私は翌朝、新幹線で帰省しました。帰省先の最寄の駅から電話をすると、いつものように駅まで車で迎えに来てくれ、いつものような会話をして自宅に着きました。その時は私も正直ほっとしました「なんだ、だいじょうぶじゃない。取り越し苦労だったなぁ。3、4日居て、又東京に帰ろうと思っていました」正直言って、その間、母親の面倒はすべて私がやって、ゆっくりさせてあげれば、大丈夫だろう位の気持ちでいました。
翌日も変わりなく、いつものとおりの会話をして過ごしましたが、翌々日くらいから、ちょうど、母親の介護のためにホームヘルパーの人にきてもらうような段取りをつめていた頃です。ケアマネージャーを呼んで、どのようにすれば良いか、話した後くらいからです。兄の様子が急に変になり、コーラを飲みながら、「これを一気に飲んだら死ねるだろうか?」とか、精神科の薬を毎日飲んでいたのですが、「これを大量に飲めば死ねるかもしれない」とか言い出し、他のどうでも良いような事を何度も何度も夜中に起きてきては私のところに来て話すようになり、何回言っても、同じことを聞きにくるのです。これはやっぱりおかしいと思い、翌朝(日曜日)やっぱり、病院に行ったほうが良いと説得をして、休日に診療している精神神経科(担当医の病院)の外来に一緒に行く事にしました。外来で待っている間も落ち着きがなく、やっぱりおかしいなぁと思いながら、順番が来て、先生(担当医ではない)との話が始まりました。その時も自分の今の状況を話すのも、私から見て、内容が要領を得なくて、これはだめだなぁと思い、当直の先生も私に事実確認をするので、私のほうから追加説明するような状態でした。先生はひと通りの事を聞いて、今日はひとまず、家に帰って、静養するといいかもしれないです。と言われたので、私もあのような状態であれば、母親もいるのに、兄まで面倒を見られないと思い、少し不安な表情をしたところ、その先生が、とりあえず、注射を打っておきましょうと言われました。兄もそれに反応して、「〜ですか」と言うので、先生が良くご存知ですね。それです。たぶん薬の名前だと思いますが、私には何だかわかるはずもありません(兄は病気になった後、本やインターネットで精神科の薬の事を良く知っていた)。その注射を打った瞬間、本当にびっくりしたのですが、人格が変わったようにむちゃくちゃな事(卑猥な事や意味不明な事)を言い出し、暴れるような事態になってしまいました。私はびっくりして、おどおどしていると、その先生や看護師さんが数人加勢して、ベッドに抑えつけて、兄をそのままどこかへ連れて行ってしまいました。
その後、しばらくして、当直の先生が来て、ベッドが空いていないので、とりあえず、精神病棟の診察室に仮入院する事になった旨、告げられました。その後、看護師さんに呼ばれ、再度これまでの状況の説明を求められたので、電話がかかってきてからの一部始終を説明しました。 入院後、担当医の先生及びケースワーカーにも呼ばれ、再度状況説明を求められました。この時点で私は東京へ帰ることは断念して、当分はこちらにいる事を覚悟しました。ただ、兄の状態といつ退院できるかが当然気がかりだったので、3日に一回は様子を伺いに行きました。
最初は兄は例の診察室に鍵をかけられて居ました。入院後、3日くらいで、落ち着きを取り戻して、家の事や母の事などの会話はできるようになりましたが、入院の対応についてすごく不満を言っていました。(診療室だったため、およそ病室らしくない。)2週間後くらいだったと思います。例の診療室から相部屋に移り、家への電話も自由にできるようになり、本人も喜んで、電話をかけてくるようになりました。私もこれは意外に早く退院できるかもしれないと思い、担当医の先生に現在の状況や今後の段取り等について聞いたところ、たぶん2ヶ月程度で退院できるだろうという事でした。とりあえず良かったと思い、ほっとした次第です。その後も3日に一回位の割合で、見舞いに行っていたところ、相部屋に移ってから、どうも変で、どうでも良いような事を何回も電話で頼んできたり、例えば、「お菓子が食べたいので、早く持ってきてくれ」とか、入院時に持っていったジャケットが気に入らないので、別のを早く持ってきてくれ」とかです。内容的にはそんなに変ではないのですが、現在のTPOを考えれば、やはり普通じゃないと思っていました。まぁこれも病気だから仕方ないと思い、その都度対応していたのですが、ある時電話で、私が明日は用事があるから、行けないと言うと、急に不安な声で、「これからも生きていかなければ行けないのに、お菓子がないと死んでしまうじゃないか。頼むよ」って言うのです。「死ぬわけないだろ。何をわけの分からない事言ってるの?」と言うとそのまま電話は切れてしまいました。仕方なく、翌日、適当にお菓子を買ってきて、持って行くと、申し訳ない。本当に面倒かけて、と普通に会話をするので、まぁ大丈夫か?と思って、ひとまず帰りました。それからしばらくすると、外出の許可がおりそうなので、帰れるかもしれないと兄から電話がありました。私は内心、本当に大丈夫なのかな。なんかまだ変なような気がすると思って少し不安でしたが、担当医が大丈夫というなら大丈夫なのだろうと思い、それは良かった。と受入の準備をして、待っていました。ほどなくして、何時頃、帰ると電話があり、帰ってきたのですが、PM4時までに帰らなくてはいけないという事らしく、タクシーで帰ってきて、4時までまだかなり余裕があるにもかかわらず、母親に涙を流して謝ったかと思うと、自分の部屋を確認して、さっさと病院に帰ってしまいました。後で、先生に確認したところ、兄が無理やり頼み込んで、許可をもらったそうです。
そして確か翌日だと思います、電話がかかってきて、その会話の途中から全く、意味不明の事を言い出しました。以下のような事です。「とにかく、自分を守って欲しい。自分が人を殺したり、自分から死んだりする事から。・・・・」「側の看護師の人が自分の急所に何かを突っ込んで、何されるかわからん・・・・・・」何の事だかさっぱり分からず、側の看護師の人に代わってもらい、話をすると「今、精神的に落着いていないので、後はこちらで対処するから、心配しないで下さい。」という事でした。なんだか、又、おかしくなっているどころか、さらに悪化しているように感じ、翌日様子を見に行ったところ、看護師さんがどう対処されたのか分からないのですが、元に戻っていました。ただテレフォンカードを取り上げられて、電話をするのに許可が必要になっていました。病院の対応が一段厳しくなったので、退院の予定が少し延びるのでないかと不安に思って、担当医に確認したところ、たぶん5月中には大丈夫だろうと言われ、ほっとしました。入院したのが3月下旬でしたので、4月末ごろだったと思います。その後も、同じようなタイミングで見舞いに行っていたところ、ある日からロッカーの鍵とプリベートカードが取り上げられ、管理されるようになっていました。看護師に理由を聞くと、喫煙室のライターを病室に持って行ってしまったりするので、危ないので、そのように対応するようにしましたとの事でした。その事を兄に問いただすと、「体感幻覚症はもう治らないから、その結果、病院が燃えてしまうしかない」というような訳の分からない事を言うのです。これはだいぶおかしいと思いましたが、それもカードやロッカーが自由にならない事のストレスによるものだろうと思いました。それから数日たって、兄の病室が個室に替わっていました。看護師さんに理由を尋ねると、急に女性の看護師に抱きついたり、精神的に不安定なので、ひとまず、個室に移す事になりましたとの事でした。それからしばらく経って、薬による対処があったのか、ひとまず、落着いたので、一定の時間個室から出て過ごす事が許されるようになったのですが、今度は他人の病室に入り、裸になったり、その中の物を勝手に持って来たりしたために、又個室での監禁状態になってしまいました。ちょうどその日に私は見舞いに行ったのですが、とても見ていられるような状態ではなく、ベッドに横たわり、「もう僕はあかん。こんな姿、お前に見せたくないので、早く帰ってくれ。」とつぶやいているのです。これはちょっとおかしい、担当医は5月には退院できるだろうと言っていたのに、これでは症状が余計悪化しているではないか。それでも素人が勝手に判断できないので、任せるしかないと思い、良くなる事を祈るしかないと思っていました。
それから数日後、担当医から電話があり、精神的に不安定で暴れる事があるので、身体を拘束するかもしれないので、了解して欲しいという電話があり、あの状態からでは仕方ないかもしれないなぁと思い、様子を伺いに行ったところ、兄の居る場所が看護師の詰め所の奥の個室に替わっていました。担当医に確認したところ、水中毒という症状で、水を大量に飲む事により、意識障害を起こしているとの事でした。(その後、兄の症状が良くなってから、水を大量に飲んだため、水中毒になって、意識障害を起こしたみたいと話したのですが、本人は水なんかそんなに大量に飲むわけないやないか、とずーっと否定して、担当医に対しての不満を言っていました。この時点では兄の言っている事を信じていませんでしたが、今となっては本当に水を飲んでいたのか疑問です。というのも他のおかしな行動は後で症状が良くなって、本人に問いただすと、ちゃんと記憶していて、否定しませんでしたが、水に関しては一貫して否定しています。)私も次から次へと新しい病気の名前が出てきて、わけがわからない状態になってしまいました。ただ、担当医が痴呆ではなく、単なる意識障害なので、大丈夫でしょうとの事でした。この時点で5月の退院は無理と悟り、気長に待つしかないなぁと思うようになりました。ただ、後は時間が解決してくれるのだろうとは思っていました。その後しばらく、看護師の詰所の個室の状態が続き、通常の個室に移りました。通常の個室に移っても、症状は日によって変わり、ある時は本当に普通の人と変わらないような会話ができる事もあり、ある時は具合が悪そうな時がありの状態でした。ただ、徐々に落着きを取り戻して、いよいよ退院への段取りが聞けるかなぁと思っていた時に、担当医が転勤になり替わると言う事を兄から聞き、替わる前に今の状態や引継ぎの事をよろしくお願いしようと思い、話を聞きに行ったところ、統合失調症の症状が悪化して、元の状態になるのは少し難しい。退院も少し時間がかかるだろうと告げられました。「最初は2ヶ月くらいと言っておきながら、転勤する時になって、症状が悪化して、元に戻るのは難しいとは何だよ」と思いましたが、これからの状態によっては良くなる可能性も皆無ではないとも言われ、それが小さな希望としてありました。とにかく何日かかってもいいから、それを祈るしかないと思い、その日は帰りました。その後、9月も終わろうとしている時に、兄から電話があり、やっと相部屋に移れたとの事で電話することも許可され、やっと退院に向けて進行できるなぁと思いました。水中毒の症状もなくなり、その後は順調に行くものと思っていました。ところが、兄からの電話が又、最初の頃と同じように通常からは理解できないような内容の事が頻繁にあるようになりました。例えば「靴下がないので持ってきてくれ(靴下は何束もロッカーの中にあるにも係らず」「置時計を落として壊したので、持ってきてくれ(看護師さんに確認したら、電池が切れていただけ)」「お菓子を盗まれたので、買ってきてくれ(お菓子は見舞いにいく度に売店に一緒に買いに行って、病室の棚に置いておいたが病室内のルールで3時にしか食べられないので、看護師さんがロッカーにしまっていた)」等々。。特にお菓子の件は看護師さんがしまった旨を言っても、同じように「盗まれたので」と毎日繰り返し、頼んでくるのです。これもロッカーがまだ自由にならないので、そのストレスから来るものかなぁ又は私に早く来てくれというサインなのかと思ってみたりしたのですが、やはりなにかおかしいと思い、新しい担当医に確認を取ると同時に現在の状況を確認するために、今日に面談を申し入れました。
するとどうでしょう。。面談の最初に「先週、MRIの検査を行って、脳の前頭葉と側頭葉に梗塞が見られ、認知症と思われる」と言われてしまいました。それもアルツハイマー型ではなく、前頭側頭型認知症で症状が急激に進む可能性もあるとの事でした。確実にそうだとは断言できないが、MRIの画像からはわずかな梗塞が確認できるので、その可能性が強いとの事でした。なんで今更そんな事が言えるの?もちろん統合失調症の症状も重なっているが、こちらから言った事が認知できず、何度も同じことを言う事は認知症によるものだと推測される。との事です。「最初は2ヶ月くらいで退院できると言っておきながら、今になって、認知症でしたではないだろうよ。もっと早く分からなかったのかよ?」と心の中では叫んでいました。統合失調症の症状も重なっているので、それに隠れて分からなかったのだろうとの事でした。さらに認知症の場合は治療しても治らないので、それ専用の施設による介護でしか対応できないとも言われました。私は担当医の治りますよ。という言葉を信じて、6ヶ月以上も希望を持って対応してきたのに、それはないだろう。。私事になりますが、今でも私の住居は埼玉にあり、兄の入院後は母親の介護の為、いつか帰れるだろうと思って、そのままにしてずっとこちらで暮らしているのに、それだったら、もっと早く、埼玉のマンションを早く引き払って、こちらでの生活を考えられたのに。。。
長々と書いてしまって申し訳ありません。以上のことが私の兄に関する内容です。それで先生にお聞きしたい事は以下の事です。
(1)若年性認知症というのは何が原因で起こるのでしょうか?というのは、今更こんな事を言っても仕方ないのですが、兄が統合失調症である事は15年前から判っていました。その時はまだ母親は元気でしたので、介護も要らない状態でしたが、ここ4,5年は介護が必要な状況にありました(現在要介護度1)。それを病気である兄に任せて、私は1人東京で、のんきに暮らしていました。勿論、仕事はしており、お盆、連休、正月はそれぞれ5日以上必ず帰省するようにしていましたが、薄々は帰って、私が面倒をみなくてはいけないと思っていました。そのために結婚もせず、身軽な状態でおり、かつ田舎でも仕事ができるようにと、転職も考え、今は資格を取ってこちらでやれないものかとも思って、猛勉強しております。ただ、今の状態にするのが遅すぎたのではないかと非常に反省しています。母親が介護が必要な状態になった時点で、こちらに帰って、兄のストレスを少しでも緩和できれば、認知症にならずに済んだのかとも思います。兄は仕事(定職)をしていなかったのですが、それで経済的に生活できる状態にありましたので、介護といっても炊事、洗濯、入浴補助位なので、十分こなせるだろう。なんでそのくらいのことができないのかと正直、思っていたのです。現に1昨年前までは十分、やってくれていました。又、今回の入院の投薬によって、それを誘発したと言う事はないのでしょうか?
(2)今回の病院の対応は通常の対応なのでしょうか。精神的な病に関しては、素人は全くわかりません。何度かこのサイトは見させていただいておりましたが、しつこく先生が仰っている事は専門家に任せるしかないという事でした。私もその事はその通りだと思っていました。兄が最初に悪くなった時に見てもらった先生が、名前は忘れましたが、何か有名な先生で、兄が2回目に悪くなって、退院してきた後、その先生を頼って、大阪まで行くというので、私も同行して、話をお伺いに行きましたが、ほとんど何も話していただけなかった記憶があります。私の立場としては家族として今後、どのように対応すれば良いのか、聞きたかったのですが、そのような話をしても、なにかつれない返事しかして頂けなかったような気がします。兄のかかっている病院はずっと地元の病院なのですが、私があった最初の先生も、どういう病気だと聞いたところ、フランス語か何かを言って、日本語では「体感幻覚症」です。何人かに1人の病気ですというだけで、こういう事に注意して下さいとか、こういう風に接して下さいとか、全くといいほど、何も言ってくれませんでした。「ただ当分はゆっくりするしかないですね」だけでした。従って、私はこの種の病気に関する医者に正直、不信感を抱いていましたが、このサイトを見て、今回の兄の入院にあたり、先生の言われているとおり、担当医に任せるしかないと思っておりました。それがこんな結果になってしまいました。病気だから仕方ないと思いますが、精神科の対応ってほんとうにどこもこんなものなのでしょうか?又、看護師の方たちは本当に良くやって頂いておりますが、ロッカーの鍵を自分で管理できない理由として、お菓子を他の人にあげたりするからと言う事で、3時にロッカーから適量分だけ出してくれるという事です。従って、せっかく買ったお菓子を自由に食べることができず、いつもいらいらしていました。果たしてこのルールを厳格にやる必要があるのでしょうか?ロッカーに危険なものがない限り、自由にしたほうがいいのではないかといつも思っていました。まぁ50代にもなって、お菓子がいつでも食べたいというのもかなり変ですけど。。。
(3)今回の認知症という判断は正確なのでしょうか?又、このことを本人に伝えたほうが良いのでしょうか?今でも週に一回は様子を見に行っています。本当に日によって症状が変わっていて、ある時は普通の人と全く変わらないほどにしっかり話します。私はこちらの家のことはずっと兄に任せていましたので、家の中の物の有りかや預金や保険の土地の権利証、親戚の事や近所の事など、ほとんどの事は正確に答えてくれます。それに比較して、先ほどお話したお菓子の件など、全く訳のわからない事を言います。確かに薬の副作用で、手や体の震えがひどく、まともに文字も書けない状態です。これって本当に認知症なのでしょうか? 現在の担当医に、「本人には話したほうが良いのでしょうか?」と聞きましたが、それはどちらでも良いです。どう致しましょうか?という答えでした。こちらが聞いているのに、どうしましょうか?はないでしょう?
(4)担当医は、認知症は治療ができないので、家族が面倒をみられるのであれば、今でも退院してもらっても良いと言っています。但し、統合失調症に対しての薬が今は量が多いので、もう少し少なくしてからでも統合失調症の症状が出なくなる事を確認してからのほうが良いかもしれないとの事でした。認知症の診断が正しくて、その症状も急速に悪化するようであれば、今の状態で、早く家に帰らせて、ある程度自由にさせてあげていいのかなぁとも思います。但し、母親の介護もあるので、万一変な行動をするような事があれば、これも大変だなぁとも思います。退院の時期をどのように判断すれば良いでしょうか? 以上の4点です。他に先生からの何かアドバイスがあれば、それもよろしくお願いします。長々と書いてしまって誠に申し訳ありません。
林: 治療に期待していたのにもかかわらず、経過が思わしくなく、落胆・不満のお気持ちは理解できます。しかしながら、全体として、この【1569】の病院の対応には特に問題となる点はなく、経過の悪さは残念ながらやむを得なかったと考えるしかないと思います。以下、説明いたします。
まずこの【1569】の方の診断として最も考えられるのは統合失調症だと思います。
体感幻覚症から統合失調症、さらに認知症に診断が変わった
とお書きになっていますが、「体感幻覚症」は、このケースでは「体感幻覚」という症状があったことを単に指していると解釈すべきでしょう。おそらくこの時点でこの方の診断名は統合失調症であると医師は考えていたのだと思います。そして統合失調症と診断がほぼ確定していても、最初の段階ではこの診断名を本人や家族に告げないのはよくあることです。
また、その後のMRI検査で、
「脳の前頭葉と側頭葉に梗塞が見られ、認知症と思われる」と言われてしまいました。
とのことですが、この「梗塞」は「萎縮」の聞き違いでしょう。そして、
それもアルツハイマー型ではなく、前頭側頭型認知症で症状が急激に進む可能性もあるとの事でした。確実にそうだとは断言できないが、MRIの画像からはわずかな梗塞が確認できるので、その可能性が強いとの事でした。
その萎縮がこのように「わずか」であるとすれば、前頭側頭型認知症と診断することはまだできないはずです。これも何らかの聞き違いだと思われます。すなわち、「前頭側頭型認知症の可能性もある(「可能性が強い」ではなく)と説明されたのか、MRIだけでなく他の検査所見や症状に基づいて「前頭側頭型認知症の可能性が強い」と説明されたのかのどちらかだと思います。
また、ここへ来て認知症と告げられたことに質問者は不信を持っておられるようですが、この【1569】のケースは、当初は統合失調症に間違いない症状だったと思われますので、前頭側頭型認知症の発症を予測することは不可能です。したがって、仮に本当に前頭側頭型認知症であったとしても、その診断が今になってようやく下されるのはごく自然であり、質問者の不信は不当なものと言えます。
ご質問項目にお答えしますと、
(1) 若年性認知症というのは何が原因で起こるのでしょうか?
このご質問は、上記の理由で、この【1569】のケースにはあまり関係がありません。
ただし、以下のことははっきりと言えます。
母親が介護が必要な状態になった時点で、こちらに帰って、兄のストレスを少しでも緩和できれば、認知症にならずに済んだのかとも思います。
そういうことと認知症は関係ありません。
今回の入院の投薬によって、それを誘発したと言う事はないのでしょうか?
あり得ません。
(2) 今回の病院の対応は通常の対応なのでしょうか。
対応はほぼ適切だったと思います。
この【1569】のケースは、他の患者さんのものを盗ってしまったり、ライターを無断で持ち出すなど、病棟内でかなり問題のある方であったと思われます。だとすれば、ロッカーの鍵の管理などを看護師が行なうのは適切な対応です。病棟という空間の中で集団生活を行なう以上、他の患者さんに迷惑をかける人には、そのような行為を防止する義務が医療の側にはあります。この【1569】の質問者のご指摘のように、そのような管理が本人にとってストレスとなることはあり得ることです。しかし、すべてがうまくいく方法はないのであって、これは納得していただく以外にありません。そして、患者さんのご家族は、その患者さんが他の方々にかけている迷惑を過小評価しがちなものです。
(3) 今回の認知症という判断は正確なのでしょうか?
これはすでにお答えした通りです。もう一度診断名の説明を確認する必要があるでしょう。
現在の担当医に、「本人には話したほうが良いのでしょうか?」と聞きましたが、それはどちらでも良いです。どう致しましょうか?という答えでした。こちらが聞いているのに、どうしましょうか?はないでしょう?
このご質問は誰に向けてのものでしょうか。このようなことを私に言いつけても何の解決にもなりません。
(4) 担当医は、認知症は治療ができないので、家族が面倒をみられるのであれば、今でも退院してもらっても良いと言っています。・・・退院の時期をどのように判断すれば良いでしょうか?
診断名が認知症であれ、統合失調症であれ、いずれにせよ、現在の症状が家庭で対応できるかどうかを退院の時期判断の基準とすべきでしょう。家庭での対応が可能なら、早期に退院すべきです。