精神科Q&A
【1458】交通事故後の高次脳機能障害の診断への疑問
Q: ちょうど一年前、息子(20歳)が交通事故に遭いました。その結果、現在、器質性脳障害と高次脳機能障害と両耳感音性難聴と診断されて、これらの病には因果関係があるものか、それと、脳の検査結果(内容)で今後、加害者の保険会社との後遺症障害の等級を、正確に保険会社が認めてくれるかどうかの質問です。
事故の内容は、簡単に書きますと、息子が自転車で道路を横断中加害者の乗った自動車にはねられ、4-5m飛ばされて頭から道路に激突したというものです。これは、目撃者の方から聞いた話なので、多少の内容の違いがあるかもしれませんが、その時息子は、救急車で病院に行きその時の診断書では、頭部打撲とその他にも数箇所の打撲及び裂傷と書かれていました。一旦自宅に戻り、土日をはさんで、かかりつけの整形外科に入院させようと診察に行った時です、今考えると事故当初から、息子が返事をしない、又、半意識朦朧のような状態でした。看護師さんから耳が聞こえていないのではといわれ耳鼻科に行って両耳感音性難聴と診断され、その後整形外科に入院し耳鼻科にも通う事になりました。それから1ケ月ぐらい経っても息子は、話を理解できない、突然パニックになる、耳鳴りがする、おしっこをお漏らしする、など夢遊病者のようで、まるで別人のような状態が続き、整形外科の主治医の進めもあり、別の病院で脳の精密検査をしてもらう事になりました。
検査結果は頭部MRIでは異常はなかったのですが、脳血流シンチで海馬という所の血流障害があるとの事でした、結局その病院で1ケ月間検査入院となり、退院時の診断書には、高次脳機能障害とかかれてありました。それと、意味は解りませんが前頭葉で流暢性低下、WAIS-V=IQ=57、RAVEN=26/37、MMSE=25/30と書いてありました。その後数箇所病院を変わり現在の精神科の主治医と出会い、そこでリハビリ専門の病院を紹介してもらい、言語、理学、作業のリハビリを行うことになりました。現在も通院しています。ですが息子の病状は一向に回復の兆しは無く、むしろ悪くなっています。そこで、精神科の主治医からもう一度精密検査をした方が良いと言われ、どうせ検査するのなら同じ病院が良いのでと、昨年検査した病院に連絡してもらい、検査は、前回と同じ環境で出来る事になりました。そしてそのデータを現在の主治医に見てもらい、同時に脳神経外科の先生にも見てもらいました、結果は、昨年の脳血流シンチの検査結果より悪くなっている事がわかりました、頭部MRIでは異常は無しでした。
精神科の主治医の話では、高次脳機能障害という病名にとらわれずに、器質性脳障害も視野に入れて考えなければいけないとのお話でした。冒頭の方でご説明しました両耳感音性難聴を診察してもらっている耳鼻科の主治医が難聴の方も高次脳機能障害に何らか関係しているのではとのお話です、
ここで、先生にご質問します。先ずは、脳血流シンチでの血流障害だけで高次脳機能障害と判断出来るのでしょうか、又、脳の障害で難聴になる事はあるのでしょうか。
長文になりましたが、先生からの良きアドバイスをお待ちしております。
林: まず、言うまでもないことですが、息子さんの今の症状は、交通事故による脳損傷が原因です。そして、脳の機能のうち、高次の機能が障害されています。これだけで、高次脳機能障害という診断はほぼ確定します。これだけはっきりした原因があり、神経心理学的検査(.メールに結果が書かれているRaven, WAISなどを神経心理学的検査といいます)でこれだけはっきりした成績低下があれば、本当は他の検査はしなくても診断は明らかです。といっても、このようなケースでMRIや SPECT(脳血流シンチ)を行わないことは普通はありえません。ですから、この【1458】のケースの検査や診断手順はごく標準的なもので、異を唱える部分はありません。ですから、
脳血流シンチでの血流障害だけで高次脳機能障害と判断出来るのでしょうか
このご質問にはあまり意味がありません。決して脳血流シンチだけで高次脳機能障害と診断されているわけではないからです。
脳の障害で難聴になる事はあるのでしょうか。
当然あります。耳は頭についているのですから、当然です。
ところで、
精神科の主治医の話では、高次脳機能障害という病名にとらわれずに、器質性脳障害も視野に入れて考えなければいけないとのお話でした。
この説明はちょっと首をかしげたくなるところですが、おそらくこれは質問者が主治医の説明を聞き誤ったのだと思います。しかしそれは無理のないことかもしれません。高次脳機能障害という言葉は、医学的な意味と、行政的な意味(つまり、治療費などの公的な支援の対象となる場合の意味)が、やや異なるからです。
それはともかく正確に言いますと、
・ 器質性脳障害とは、脳にはっきりした病変があって出る脳障害です。事故による脳損傷ももちろん含まれます。
・ 高次脳機能障害とは、器質性脳障害のうち、脳の高次機能が障害されるものを言います。
つまり高次脳機能障害は器質性脳障害に含まれます。なので「高次脳機能障害という病名にとらわれずに、器質性脳障害も視野に入れて考えなければいけない」という説明には違和感があるのですが、厳密には正しい説明で、この【1458】のケースでいえば、難聴は高次脳機能障害以外の器質性脳障害としてとらえるべきだということになるでしょう。
ところでこのケース、MRIが正常なのに(つまり、目に見えるような脳損傷がないのに)、かなりの高次脳機能障害が現れていることに疑問を持たれるかもしれません。「脳血流シンチだけで高次脳機能障害と診断できるのか」というご質問の背景には、「たいした脳損傷がないように見えるのに、こんなに症状があるのはおかしいのではないか」という疑問がおそらくあるのではないかと思います。
実はこれは交通事故などの脳損傷でよくあることで、びまん性軸索損傷と呼ばれる損傷が、脳内の広い範囲に渡って生じているのです。それは、「拡散テンソルMRI」という、MRIの特殊な方法で検査すると目で見ることも出来ます(「拡散テンソルMRI」は、一般には病院では出来ない検査です)。
かつて、まだびまん性軸索損傷というものがあるとわかっていなかった時代には、交通事故などの後のわずかな高次脳機能障害が、脳損傷の直接の症状なのか、それとも心因性の症状なのか(つまり、交通事故というトラウマによるPTSD的なもの)がどうしてもわからず、決着がつかなかったことがありました。(これは、事故の補償金にかかわる重大事項です)
現代でもそれがわからないことは時にありますが、この【1458】の症状は明らかな高次脳機能障害であり、脳血流シンチの異常所見もありますから(そういう意味で、この検査にも大きな意義があります)、診断は確定していて疑いはないと言えます。