精神科Q&A

【1432】脳内のもう一人の自分


Q私は20代後半の女です。
趣味もあり、家庭も持ち、大事な子供も居ます。
とても愛しい子供です、大事に大事にしたいのですが、私は死にたくてなりません。
子供の将来ために、私が死ぬことが重要に思えます。
かと言って自傷行為はしません。痛いことがとても嫌いだからです。

しかし薬物中毒で5年も前から市販薬を飲み続けています。
吐き気を催しますが、何故か続いています。

私は他人と喋るとき、喋る自分と脳内や心にいるもう一人の私が喋る言葉が食い違い、とても困ります。
そんな脳内の私をもう一人の私として認識しなければならないのでしょうか。
今は認識しようと頑張っていますが。
もう一人の私はとても冷酷で死にたがりで困っています。認めたくありません。
けれど認識しないと、狭間で苦しむのです。
会話相手をまず信用しません。何故なら私が、私自身が信用するに値しないからです。信用したくても出来ません。苦しいです。
けれど自分を信用できない人間が他人を信用出来るわけがありません。
それもこれも脳内や心に巣食うもう一人の私の所為です。
こうやって文章を打っている私も、実際は本当の私なのか疑問です。
ただ、理性があるのです。
決して奇異な行為はしません。
子供も居ますし、理性を保つ私を監視する私が居ますし
理性が保てているので病気ではないと思ってはいます。

けれど問題は最初に書いた「死にたがる」事です。

私が死んでも子供が悲しまないように、子供にいろいろな事を、私が幼い頃に得られなかったものを全て与えたいと思い、もう既に「死にたい」と言うことも伝えてあります。
それを教育上、良くないと思っている私もいるのです。
そしてそんな私はやはり死ぬべきだと考えます。
一体私は何なのでしょうか?
一貫性の無い私に私がとてもとても疲れるのです。

人間少なからず、思っている事と言っている事が違うんだと思います。
それを皆はどう処理しているのか聞いても教えてくれません。
それか思っていた通りの回答でウンザリします。
(例えば割り切っているだとか気にしないだとか。)
それでも口では「なるほど、分かった。」などと言ったりします。
私がこうなので、他人もこうなのでは…と思うと信用出来ません。
こんな私に育てられて子供が可哀想で仕方ありません。

どちらが本当の私で、何故私は生きたいと思えないのか。
愛しい人だって居るのだと言うのに。
私は一体、何なのか、毎日思い悩みます。
やはり病院には行くべきでしょうか、理性は保てているのに。



林: 自分の中のもう一人の自分。これは、普通にも使われる表現である一方、統合失調症の自我障害、あるいは解離性同一性障害の、重要な特徴でもあります。
するとそれは正常な意識か、それとも病気か。
残念ながら、これはこのメールの文章だけでは判断できません。
一つの指標は、「もう一人の自分」というのが、単なるたとえなのか、それとも明確に他者を、あるいは別人格を、意識しているかどうかということですが、これも直接診察してお話をよく聴いてみないとわかりかねることです。
なお、

理性が保てているので病気ではないと思ってはいます。

それは病気かどうかを区別する根拠は決してなりません。
病気でも理性が保てているケースは数限りなくあります。
また逆に、理性が保てていない場合、自分ではそれがわからないのが常ですので、本人の「理性が保てている」という言葉には、診断的には意味がありません。

結論として、あなたが病気か否かは判断できません。
その判断のために、病院に行くべきだと思います。


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