精神科Q&A
【1253】統合失調症の治療を開始した17歳の息子が悪性症候群で入院した
Q:
息子は今年1月旅行先で発病し治療を続けていましたが、6月に入院しました。息子の病状と病院の対応が適切だったのか、少なからず疑問を持っています。先生のご意見をお聞きしたくメールいたしました。長くなりますが、どうか最後まで読んでください。
息子は1月中旬修学旅行先で元気がなくなり、ホテルから飛び降りました。幸い雪が積もっていて怪我はなく自力で歩いて戻ってきたそうです。すぐ迎えに行きました。息子は無口であまり語りませんでしたが、自分は病気ではないか、病気だからみんなが気を使っているのではないか、お母さんは何か隠してるだろう、父親も自分が病気だから家を出て行ったんじゃないかなどと言いました。そんなことは絶対にないので何か父親のことで悩んでいたのだろうかと思っていました。自宅に帰ってから、テレビを見ていると自分が見るとニュースのキャスターが話をやめると変なことを言い出しました。翌日、心療内科につれていき息子の様子を説明すると、統合失調症の疑いがあるのでここではなく精神科に行くように進められました。精神科では、自殺の可能性があるので入院を勧められましたが、息子が自殺なんか絶対あり得ない、入院も絶対嫌だと言うので、家でしっかり見るということで薬をもらって帰りました。薬は、リスパダール2mlと不眠時にブロチゾラム1錠、不穏時リスパダール1mlでした。その時には、はっきり病名は言われませんでしたが、実は、父親が20年ほど前に統合失調症を発病し、現在も入院しています。息子は、父親は病気だとは思っていますがどんな病気かまでは知りません。その後、薬を飲み続け、テレビを見て変なことも言わなくなり、少し元気がないくらいで、あとはあまり心配することもなく、静かに過ごしていました。旅行のときの事もふり返って、みんなが自分を避けているようだったことや、食堂で周りから避けられ、ひそひそ悪口を言われているようだったこと、そしてみんなから避けられどうしていいかわからず、非常階段を上がりここから落ちるとどうなるかなと下を見ていると滑って落ちたのだと説明しました。
1ヶ月ほどしてリスパダール5mlになり、そわそわすると言うので、ジプレキサ5mgリスパダール1mlに変わり、また、1ヶ月ほどして肝機能が悪くなったのでセロクエル100mgに変わりました。4月に入り、友達が家を訪ねてくれ一緒に食事に行ったりカラオケに行ったりした後、学校に行きたいと言い出したので始業式の日に行ったのですが、新しいクラスに馴染めず、また自分を避けている、悪口を言っている人がいると言い出しました。その後友達と数人で食事に行ったのですが、そこでも落ち着かず、自分がいるとしらける、空気が悪くなるから早く帰りたいといって店を出て、その後けいれんを起こし倒れてしまったそうです。すぐ私が駆けつけ、病院に連絡したら、過呼吸だといわれビニール袋で応急処置をしたら、意識が戻りました。それから状態がとても悪くなり、周りの人が自分のことを噂している、自分の考えが人に伝わっている、自分は特別な存在ではないかなどと言うようになりました。
病院に連れて行き、また入院を勧められましたが、本人が父親のようにずっと病院に入って出られなくなると言って強く拒むので、先生も無理に入院させるのはかえってよくないかもしれない、お母さんが2週間ほど仕事が休めるのなら家で様子をみましょうということで、また、家でみることにしました。リスパダール5mlアキネトン2錠ヒルナミン10mgブロチゾラムM0,25で少しずつ落ち着いてきて自分の考えが伝わるということも言わなくなりました。しかし、5月の連休後友達と会うかどうかでまた不安定になり,リスパダール8mlアキネトン4錠ブロチゾラムM0,25デバス0,5mgヒベルナ25mgと薬が増えました。まだ落ち着かないので4日後ランドセン0,5が4錠増えました。不眠時にヒルナミン10mgスローハイム7,5が1錠です。目が少し半開きのようになり、1日の半分は寝ているようになりました。先生はいい傾向だといわれ落ち着いてきたので1週間ごとに薬を減らしていき、リスパダール6mlアキネトン1錠ランドセン3錠ヒベルナ2錠になりました。
そんな矢先、友達からクラス会の誘いがあり迷った挙句断りましたが、気落ちしていたので温泉に連れて行きました。とても喜び元気が出てきてよかったと思っていたのですが、段々おかしなことを言い出すようになってしまいました。自分は、元気が出てもう病気は治ったから病院は行かなくていい。人の気持ちが読めるようになった。お母さんとも心が読み合える。家に戻ってもこの状態はますます悪くなり、食事が食べられなくなって、体が少し硬くなり仰向けになるときばたんと倒れたり、ろれつが回りにくくなってよだれが出るようになりました。本人は絶対病院へは行かないと言い張りましたが、何とか説得して連れて行きました。主治医の診察日ではなかったため別の先生に診ていただいたら、悪性症候群です。薬が強すぎるから自分はこれ以上怖くて薬は出せません。このままだと体を壊して取り返しのつかないことになりますよ。入院をすべきです。家で見るのは無理ですといわれました。息子は当然帰ると言い張りましたが、もう入院させることにしました。今は隔離室で亜昏迷状態、食事も摂らず、点滴をずっとしているそうです。尿も出ないので管で出しているとのことです。
長々と書きましたが、1月の発病からすぐに統合失調症と気づき治療を始めたことは、最良のことだったと思うのですが、結果的には悪性症候群で入院ということになったのは、どうしてなのかという思いが強くあります。同じ病院で医師による見解が違うのはとても不安です。状態が悪くなるたびに出された薬は妥当だったのでしょうか。息子は出された薬は嫌がらずまじめに飲み続けました。私も主治医を信じて治療のために絶対飲まなくてはならないと思い、息子にもそう言い続けてきました。入院させてくださいといったときの息子の信じられないといった顔や、私と離れるとき手を握って離さなかった姿が頭から離れません。息子を思うと涙が出てどうしょうもありません。もっといい経過をたどるにはどうすればよかったのでしょうか。今の病院で治療を続けていて大丈夫なのでしょうか。是非先生のご意見をお聞かせください。
林: まず診断は統合失調症に間違いないでしょう。薬物療法も適切であったと思います。にもかかわらず、現在は重症 (少なくとも外見上は重症に見える) な状態になってしまった。ご家族の不安は十分理解できます。しかし、このメールでは最も重要な点がわかりませんので、回答はほとんど不可能です。すなわち、
悪性症候群です。薬が強すぎるから自分はこれ以上怖くて薬は出せません。
と医師に言われたとのことですが、この医師がそう診断した根拠は何でしょうか。悪性症候群は、症状を診ただけではまず診断は不可能です。血液検査がなされたはずだと思いますが、その結果はどうだったのでしょうか。その情報がなければ、この診断の正否については何も言えません。
同じ病院で医師による見解が違うのはとても不安です。
これについても、おっしゃる意味がよくわかりません。そもそも見解が違ったのでしょうか。仮に入院の時点で悪性症候群だったとして、それはその時点で初めてそうなったのであって、それまでは悪性症候群ではなかったのではないでしょうか。同じ時点での診断が違うのでなければ、「医師の見解が違う」とは言えません。
以上のように、肝心な点が不明なのですが、仮に今の状態が悪性症候群だとしますと、
もっといい経過をたどるにはどうすればよかったのでしょうか。
最初、あるいは二回目に入院を勧められた時点で入院すべきだった・・・と今は言うことができますが、それは結果論にすぎないと思います。ご本人の意思を尊重して自宅での治療を選択されたのは、その時点では正しい選択だったと言えるでしょう。
もうひとつ振り返るとすれば、
家に戻ってもこの状態はますます悪くなり、食事が食べられなくなって、体が少し硬くなり仰向けになるときばたんと倒れたり、ろれつが回りにくくなってよだれが出るようになりました。本人は絶対病院へは行かないと言い張りましたが、何とか説得して連れて行きました。
上記、変調が認められてから病院に連れて行くまで、どのくらいの日数があったのでしょうか。少しでも早く連れて行かれれば、より良い経過になったかもしれません。
けれども、これも結果論にすぎません。
すぐに連れて行かれなかったのは、ここでも本人の意思を尊重するなど、それなりの理由があったことと推察されます。受診が遅れたのはやむを得なかったのでしょう。
また、悪性症候群そのものに関しては、その発生は予測できないので、残念ながら運が悪かったと言うしかないでしょう。現在のご本人の苦しみを目の当たりにしておられるご家族にとっては、「運が悪かった」などと言われればお怒りになるかもしれませんが、事実は事実です。予測できない稀な副作用の発生は、運が悪かったという以外にはありません。
以上、結果をみてから振り返れば、こうすればよかったと思われる点はありますが、どれも結果論にすぎず、治療もご家族の対応も適切だったと思います。にもかかわらず、かなり悪い経過になってしまった。残念ながら、病気とはそういうものです。いくら適切に対応しても、100%の方が良い経過になるわけではありません。
今の病院で治療を続けていて大丈夫なのでしょうか。
これまでの経過からすると、今後の経過も予断を許しません。
しかし、病院をかえなければならない根拠はないと思います。これまでの治療は適切と判断できるからです。