精神科Q&A

 【1098】私のうつ病は復職を検討する段階まで回復しているのでしょうか


Q: うつ病治療中の39歳の女性です。公務員で現在休職中です。独身で、両親は健在ですが実家は遠方にあり、一人暮らしです。

2度目の休職が1年半ほどになり、給付金の停止が近づいており、復職を考えなくてはならない状況なのですが、ある程度の回復はしているものの、前の復職の失敗から職場への抵抗、不安がぬぐえず踏み切れない状態です。主治医には相談していますが、「私の気持ち次第」のような答えしかえられません。前の復職時の主治医の対応への疑問もあって、主治医を変えたほうがよいのかとも思いますが、休職中であること、現在その病院でブプロピオン治験を受けており(まもなく終了予定)、決断できずにいます。復職の不安は完全になくすことはできないものなのだから、方法を模索して始めてみるべきではないかと思う気持ちもあって復職プログラムの資料を取り寄せたりしてもいます。 

先生にお聞きしたいことは、

(1) 主治医の治療方法が妥当であったのか。今後適切な治療を期待できるのか。
(2) 今現在の私の症状が復職を検討していいだけの段階に回復しているのか。

という2点です。

発病は7年前で、近くのクリニックに通院を始めて数ヵ月後、医師の指示で初めて3ヶ月仕事を休みました。そのときは休養中にほとんど症状も消え、また元のように元気になったと感じました。しかし1年ほどで前触れなく症状が始まり休職となりました。2年目くらいからは寝込むようなことはなくなりましたが、主治医が症状に改善が見られないと新しい薬を追加していったため、次第に量が増え、朝晩10錠近い量を飲むようになりました。主治医には症状が完全に消えるまで復職は無理と言われており、自分でも仕事への意欲はわいてきませんでした。しかし3年目休職可能期間も少なくなり次第にあせりも感じ、国立の専門病院に移りました。

新しい(現在の)主治医は、まず飲んでいた大量の薬をやめました。ひどい離脱症状に襲われ、1ヶ月余りは生きた心地がしませんでしたが2ヶ月ほどでその症状が取れてくると、長い間なかった食欲などが回復し、次第に元気になっていきました。新年度の復職をしようということになり、自分でも意欲がわいてきました。

そして3年前の4月に復職を果たしました。リハビリ期間など特に取りませんでしたが、長いブランクに不安を感じながらも、当初職場にも仕事にも問題なくなじめたように思えました。しかし、後で振り返ってみると、気持ちの上では張り切っていても実際かなり負担を感じていたようでした。特に上司である係長が新任で、業務に不慣れで苦労しており、残業などは避けていましたが、つい手や口を出して、いらぬ責任まで背負い込んでいたような気がします。

主治医は認知行動療法の立場で、毎日の仕事の取り組み方なども、「その日できる量の仕事を優先順位をつけて箇条書きし、一つ一つ片付けていく」といった具体的な指導を受けていました。また行動を活性化する方針を採っていて、プライベートで楽しみを積極的に予定に組み入れるなど指導を受け、習い事を始めたり、旅行を計画したりしました。休養だけではよくならなかった経験から、その方針はもっともと思われました。薬はパキシルが基本でリーマス、ノリトレンが加わることがありました。またリタリンも処方されていました。

当初は問題なかったのですが、6月には早朝覚醒が始まり、帰宅後はぐったり、休日は起き上がれないという状態になってきました。7月に引越しをしたのですが、荷物の整理がどうにも進まずに苦労しました。9月に楽しみにいていた海外旅行から帰ると急速に悪化し、遅刻、休みが始まってしまいました。症状が始まってからも「一人でいるより出勤したほうが病状の改善のためにはいい」というのが主治医の考えで、朝辛くても出勤すれば何とかなるのだから、とにかく出勤するよう言われました。実家から電話をしてもらい、外で朝食を取るようになどアドバイスも受け、毎朝必死に努力しましたが、それでも休んでしまうと「また休んでしまった」と自己嫌悪を抱え布団にもぐることになりました。思い切って1週間ほど実家に戻ったりして、多少持ち直したこともありましたが、次第に出勤しても仕事に集中できなくなっていき、強い眠気でリタリンが1日3錠手放せなくなりました。

また勤務に支障が出たころから、係長との関係がギクシャクしてきました。もともと気が小さい人で、うつ病を病気と捉えられないらしく、必要以上に心配し干渉してくるのに、始めのうちは申し訳ない思いで我慢してきましたが、耐えられずこちらがそれに抗しようとすると、逆に衝撃を受け「心配しているのにわからないのか」と感情を露にしました。私が休むことでこうむる負担、重圧をストレートに表せない分、屈折した形で噴出させていたのかもしれません。こうしているうち年度末に緊張と不安が嵩じ、とうとう4月早々に係長との言い争いをきっかけに出勤できなくなり、3ヶ月近く休みました。

自信は全然なかったのですが、また休職するわけには行かないと思い、主治医から背中を押されるように、何とか自分の気持ちを納得させ、出勤することになりました。午後半日勤務から段階的に増やしていくということになりましたが、相変わらず余裕のない係長とは、短時間勤務のうちはなんとか乗り切れましたが、フル勤務になると、ことごとく話が噛み合わず、言い争いが頻発しました。もちろん私の方にうつから来る頑固さや不安、焦燥など問題があったのです。職場でキレては落ち込み、そのたびに数日出勤できなくなりました。感情のコントロールはどんどん利かなくなっていき、嗚咽が止まらなくなったり、何時間も泣き続けたりしました。主治医には職場で問題を起こすたびに、「このままでは人間的に信用を失ってしまうのでは」と訴えましたが、休むようにという言葉はありませんでした。

このころになると、とにかく「仕事を続けなければ」「再び休職したら終わりだ」という思いしかありませんでした。絶望の後、また何とか仕事にいく僅かな取っ掛かりを見つけては自分を叱咤していました。ちょっとでもやる気を見せると主治医が肯定的に取ってくれるので、それを励みにしていたようなところもあります。部屋はぐちゃぐちゃで郵便物も管理できない状況でしたが、元気になるためにと旅行を計画し、飛行機に乗り遅れたりと散々な思いをして帰ってきたりしました。このころのことは、今になって振り返ってみても記憶がぼんやりしていて、すぐには思い出せないような感じです。気力を無理やり振り絞っていたせいか、意欲があっても、ひどい緊張や動悸などの症状が現れ、仕事を妨げるようになりました。

翌年(昨年)4月、職場で最後のヒステリーを起こし、頭を机に打ち付け、窓から飛び降りたいという衝動を必死に抑えている自分に気づき、もう限界だと思いました。それから休職となりました。主治医には「4月に人事異動があれば何とかなると思っていたんだけど・・」と言われました。「よくがんばりましたよ」とも言われましたが、私には何も考える余裕はなく、とにかく休みたいと思い実家に戻りました。

休み始めは、仕事に行かなくていいということで楽になり、緊張が解け、イライラもなくなりましたが、それまで隠れていたのか、悲しみなど気持ちの沈み込みは強くなりました。不眠も顕著になり、毎朝2時、3時と目覚め強い不快感で4時には耐え切れず起きてボーっとしていました。昼間は思いついたように庭仕事をしたりし、時に母に誘われて買物など行きましたが、積極的に外出する気は起きず、ほとんど布団の中ですごす日もが多かったです。職場のことは一切考えることを拒否していました。

それでも5ヶ月ほどで多少は改善し、生活しやすい感じになったので、一人でも何とかできると判断して自宅に戻り、主治医の勧めでブプロピオンの治験を受けてみることにしました。始めて間もなく睡眠が改善し、久しくなかった熟睡感が得られるようになりました。1月ほどやや躁気味になりましたが、1月ほどで落ち着き、次第に部屋の片付けなども進められるようになり、年末ごろにはだいぶ回復した感じが得られました。吐気など副作用がありましたが、量を調整しておおむね落ち着いてきました。

回復とともに失敗した復職について振り返ってみるようにもなりました。それはとても苦しい作業で、最初は係長への怒りがこみ上げて来るのを抑えられませんでした。それでも、次第に相手の立場や自分の病状など冷静に状況を捉えられるようになって、先に述べてきたような見解に落ち着いていきました。ただもとの職場への復帰は到底続かないと思いました。

3月ごろから上司(係長ではなくその上の課長補佐)と接触し、職場の異動の可否を含めて相談を始めました。まだ職場に対して抵抗感があり、出向くには緊張を伴いました。課長補佐との関係はそれまで悪くはなかったので、最初は親身になってくれそうで期待がもてたのですが、うつ病についての考え方が情緒的で、職場としての対応を求める私とは話が今一つ噛み合わず、何度か行き違いが生じるうち、私自身が不安から焦燥を感じるようになりました。もともと話が明瞭でなく、含みを持たせた話し方をする人でしたが、私の口調がちょっとムキになったりすると、自分の考えを述べるのを避けて何度も同じ質問をしたりするので、ますます真意がわからなくなり、不安で冷静に話をするのが困難になってしまいました。これ以上人間関係を壊したくはなかったですし、同時に体調のほうも低下していっているような具合で、いったん復職話は棚上げにしてしまいました。

ここへきて先に述べたように、主治医の態度への疑問にしばしば囚われるようになりました。

サイトや書物等で聞きかじった程度の知識ですが、私の症状や考え方、行動は復職に失敗するうつ病患者の典型的なパターンのように思えます。私の場合服薬を続け、主治医にはきちんと症状を伝えていたつもりでした。再発してしまったら、まず休養が必要というのが大方の医師の意見と思われますが、主治医の考えはそれと異なるのか、あるいはそこまでひどくないと判断されたのか。認知療法について林先生は、うつ病の症状がある時期には慎重であるべきとのお考えを【1012】で述べておられていました。認知療法の効果は諸説あるようですが、私の症状はどう見ても、それで回復が望めるレベルではなかったように思えます。

当初私としては、そのときの主治医の判断・対応が適切でなかったにしても、今後の戦略があるのであれば、信頼して受診を続けるべきだろうと考えていました。それで治験開始後、回復していく過程では疑問は表面化しなかったのですが、状況が暗礁に乗りあげてしまうと考えざるを得ません。様々な悩み不安の中でも今一番知りたいことは、自分が復職を進めていい時期(状態)なのかということですが、そこに絞ってたずねてみても、「症状は主観の問題なのでこちらでは決められない」ということでした。主治医は「休んでいるだけではよくならない」「辛さは辛さとしてやるべきことをやってみる」といったことを以前から言っているので、復職すべきとの考えなのだと思いますが、私が前の悪化時の対応への疑問、今後の不安を述べたりするので明言を避けているのだろうかと思ったりします。私としては自分で判断する目安、よりどころがほしいわけで、絶対大丈夫という保障を得たいわけではないのですが。また私の質問に対し、認知療法の技法だと思うのですが、逆に質問され答えているうち、かえって話が広がりすぎてしまい納得いかないまま、時間切れということも続き、もやもやしたものがたまっていくようにも感じています。 

現在の私の症状はざっと以下のようです。

@ 生活は食事、睡眠などおおむね規則正しく、家事もそこそここなしていますが、朝目を覚ました時は不快感があり動き始めるまで1時間くらいかかります。朝のうちは何かを考え始めると必ず悲観的な方向に向かってしまうので避けるようにして、億劫ながらも体を動かし家事を片付けています。気持ちが楽になり、何かしようと積極的になるのは昼近くなってからです。

A 外出は今は週3回程度買物、週1回ヨガ教室、月2、3回友人と食事などで会っています。月1〜2回泊まりがけや1日がかりの遠出もしますが、翌日の疲れは避けられない感じです。

B 思考力、判断力、決断力などは体調に左右されますが、調子がいい時なら、9割程度は回復しているように思えます。

C 親しい友人とは会うと楽しく過ごせますが、自分から連絡するのに躊躇したり、会う前に緊張したりすることもあります。会合などに出て、知らない人も含めると自分の態度が変に思われなかったかと気に病んだりすることもあります。 

D 比較的元気な時でも、想定外のことに即座に対応できない傾向があります。あとで考えると何とかなるような状況でも、当座は「もうだめだ」と考えてしまい、しばらく立ち直るにはまで時間を要します。特に対人関係で相手の意外な態度に接したりすると、不安や不信感が急速に大きくなって、冷静な態度が取れなくなってしまいます。

E 低調な時は些細なこと、また特に理由もなく不安に陥って半日ぐらい続くことがあります。また緊張が起こって深呼吸などしても数時間おさまらなくなったりします。気晴らしによって振り払えることがありますが、仕事など義務的なことには集中できなくなります。また原因を避ける(その場所に行かない、その話題を考えないなど)ようになります。

F 調子の波は2〜3週間で上下しているようにも思えます。

どうすべきかは最終的には自分で判断するべきことであることはわかっているつもりでおります。ただ判断の指標がほしいのです。よろしくお願いいたします。


林: 結論から言いますと、あなたの主治医の治療方針には賛成できません。
その理由は、まず、これです。

新しい(現在の)主治医は、まず飲んでいた大量の薬をやめました。

一定期間飲んでいた大量の薬を突然やめるというのは、時には大変危険な結果を招くこともあります(もっとも、あなたが飲んでいた量が記載されていませんので、どれだけ大量であったかはわかりませんが。「10錠近い」と書かれていますが、薬の量は錠数だけからは判断できません。たとえ10錠でも1錠あたりに含まれている量が少なければ決して大量とはいえません)。事実、あなたには苦しい離脱症状が現れたわけですから、一歩間違えばもっと大変なことになったかもしれません。たとえその時点で飲んでいる薬が不適切であると判断したとしても、減らすのは徐々に行うのが医師であれば常識です。薬を突然やめさせたという一点だけをとっても、あなたの今の主治医は独自の見解に基づいた治療をする医師であることが窺われます。

主治医は認知行動療法の立場で、

もちろんこれは一理ある立場ではあります。
ただし、うつ病の診断が確実で、かつ、現在うつ病の症状がある程度以上ある場合には、認知療法は適切でないと私は考えます。薬物療法を中心として、一定以上まで回復したら、その時点で認知療法的アプローチを行うべきだと思います。つまり、

認知療法について林先生は、うつ病の症状がある時期には慎重であるべきとのお考えを【1012】で述べておられていました。

あなたが【1012】でお読みになった通りです。

もっとも、それに反対する立場も一理あるところです。あなたのメールを読む限りでは、あなたの主治医の先生は認知療法をかなり得意とされているようです。おそらく認知療法で何人ものうつ病の方を改善の方向に持っていかれたことがあるのでしょう。けれども、結果からみてあなたは改善していないわけですから、

認知療法の効果は諸説あるようですが、私の症状はどう見ても、それで回復が望めるレベルではなかったように思えます。

このあなたのお考えの通りだと思います。

結果をみてからなら何とでも言えますので、気がひけるのですが、あなたの主治医の先生の治療には賛成できない点がいくつもあります。最大のものはこれです。

様々な悩み不安の中でも今一番知りたいことは、自分が復職を進めていい時期(状態)なのかということですが、そこに絞ってたずねてみても、「症状は主観の問題なのでこちらでは決められない」ということでした。

現在のあなたにはうつ病の症状がかなりあるのは確実です。そういう時期に、本人に何らかの決定を迫るのは、してはいけないことの代表ともいえることです。
 また、今の症状をみますと、まだ休養が必要な時期であることが読み取れます。したがって、

主治医は「休んでいるだけではよくならない」「辛さは辛さとしてやるべきことをやってみる」といったことを以前から言っているので、復職すべきとの考えなのだと思いますが、

この考えも、今のあなたに対しては誤りだと思います。
 さらにいえば、

また私の質問に対し、認知療法の技法だと思うのですが、逆に質問され答えているうち、かえって話が広がりすぎてしまい納得いかないまま、時間切れということも続き、もやもやしたものがたまっていくようにも感じています。

これも納得し難い治療法です。うつ病である程度以上の症状がある時期に、話を広げていくのは、病状を悪化させることはあっても、改善させることはまずないものです。この意味で私は、笠原嘉先生の軽症うつ病 (タイトルは「軽症」うつ病ですが、これは軽症に限らずうつ病全般についての本です) の151ページの

「心の治療はできることなら「あまり深くメスをいれないですませる」のが名医(?)だと私自身は思っています。人の心の深層に首を突っ込むのは、どうしても必要な場合だけでよい。心の治療家はそういう自戒をもたないと、街の催眠術師と変わらなくなります」

という考え方に全面的に賛成です。

というわけで、結論はこの回答の冒頭に記した通りです。あなたの主治医の治療方針には私は賛成できません。「休養、服薬」という、シンプルなうつ病治療の基本に立ち返るべきだと思います。そのようにされれば、あなたのうつ病は回復に向かうでしょう。今の治療は軌道修正する必要があると思います。あなたの主治医の先生にそれを求めたいところですが、実際はなかなか難しいかもしれません。回答の中にも書きましたが、おそらくこの先生は認知療法を得意とされているのでしょう。自分の治療方針が失敗に終わったとき、傷をできるだけ大きくしないで軌道修正できることも医師の重要な技術の一つですが、経過全体をみますと、それは期待しにくいように思えます(決して私ならそれが出来ると言っているわけではありません。治療方針変更にはなかなか踏み切れないものです)。そうしますと、今からでも病院を変えたほうがいいと私は思います。


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