精神科Q&A
【0152】 うつ病への説明義務と自殺
Q: 40歳の内科医です。御著書擬態うつ病を読ませていただき、うつ病について最も注意しなければならない点は自殺予防だと実感しました。ところで、精神科のドクターはうつ病と判断された場合に、自殺についてコメントして自殺をしないことを約束してもらうということを、積極的にされているのでしょうか? また、うつ病と診断して治療中に、仮に自殺が発生してしまったら、医師の説明義務違反に問われてしまうのでしょうか? 精神科医としてのご意見をお聞かせ下さい。
林: うつ病では自殺が最大の問題であることはあらためて言うまでもありません。自殺を防止するのがうつ病の治療者の重要な仕事であることもまた言うまでもありません。しかし自殺というものは残念ながら100%防止できるものではないことは、擬態うつ病にもお書きした通りです(p.49から)。そうしますと、ご指摘のように、防止できなかったことの責任はどうなるかという問題が生じます。現にアメリカでは精神科での医療訴訟の件数の第一位は自殺になっています。
訴訟という言葉は陰性の響きを持っており、不幸な争いという側面ばかりに目を向けてしまいがちですが、本来は訴訟という事例を通してより適切な医療を目指すというのが医療に携わる者のあるべき姿でしょう。ところが医療訴訟に関わる議論からは、形式的な免責を求める医療に向かう傾向ばかりが生まれているようです。
ご指摘の「自殺しないことを約束してもらう」というご質問の背景には、そのあたりのご懸念があると拝察しております。
それはともかくまず回答いたしますと、確かに臨床場面ではそうしたことが行われることがしばしばあります。また、それをカルテに明記することが推奨されることもあります。私はつね日頃この風潮には疑問を持っています。いかにも「治療契約を締結した。説明義務は果たした」という形式を保つための方策、もっとはっきり言えば保身医療という感を禁じ得ないのです。関連したこととして、自殺したいと思うことがあるかどうか、必ず患者に質問することが、医療過誤の予防策の第一として強調されることもあります。この質問をしないと注意義務違反に問われるというのがその理由です。けれども、現実には、自殺したいと思うことがあるかと質問することで、病状が悪化することもあり得ます。また、質問の仕方によって反応が違ってくるのも当然でしょう。そういう機微を無視して、「患者は自殺の意志はないと答えた」とカルテに書くことはナンセンスですが、それでも必ずそういう記載をしておかなければならないと教える専門家が多いようです。法廷に出た場合にはこの記載が物を言うのだと教えられれば、不承不承ながら納得せざるを得ないところではあります。
しかし、本来は訴訟から学ぶべきことは、先に言いましたように、治療者の専門家としての義務を明確にすることによって、より良い治療を患者に与える、ということであると私は考えます。ところが実際には、上のカルテ記載の例のように、「専門家としての義務を果たした」という形式を重んじる傾向ばかりが訴訟から生産されているようです。
おそらくご専門の内科の領域でも同様のことが生じていると推察しております。ご教示頂ければ幸いです。
なお、以上は私個人の意見です。より普遍的と思われる見解としては、
高橋祥友
精神科臨床における自殺と倫理・法律上の問題について
精神科診断学 4: 195-202, 1993
があります。
また、さらに広範囲な参考書としては
大谷實
医療行為と法 [新版補正版] (弘文堂法学選書11)
弘文堂 東京 1995年
があり、ここには「診療上の注意義務としては自殺念慮の症状の有無が重要である」と記されています(p.192)。