精神科Q&A

【2334】統合失調症で入院治療を受け、今は公私ともに安定しています


Q: 私の統合失調症の経過について、他の方へのなんらかの参考になればと思いメールさせて頂く事にしました。 私は現在38歳の女性です。発症していたのは今から考えれば中学生の頃からだと思います。中学2年生の頃から高校1年生にかけて殆ど毎日万引きをしていました。今考えればストレスからだと思っています。学校でも家でも優等生で、高校も県内屈指の進学校に進学しました。二回捕まり、それから、暫くして万引きは収まりました。高校に入って、友達はそれなりにいましたが相手はたぶん友達、若しくは親友と思っていてくれたかと思いますが私は誰にも心を開く事はありませんでした。友達にも家族にも。。高校3年生の4月に母親が統合失調症にかかり、精神病院に入院しました。学校の友達、先生にも誰にもこのことは言いませんでした。信用するしないという問題ではなく、相談するという選択肢が私の頭にはありませんでした。その後、家族の面倒を見ながら、退院した母親の面倒も見ながらでしたが某難関私大に現役で合格しました。合格してから、一年生では、一応、サークルには所属していましたが夏休みなどは一日家にひきこもり、深夜テレビを見て、だらだらと生活をしていました。二年生に入り、母親の面倒は一生見なければならない、そのためには手に職をつけて、一生、一人で生きていかなければならない。という、考えから、公認会計士受験の為の予備校に入りました。それからは、殆ど、勉強一筋の生活になりました。二年生の秋から大学でゼミに所属するようになり、そこには同じような野心を持った仲間が沢山いたこと、又、ゼミの研究テーマも会計士の勉強にリンクするもので、ゼミ、専門学校の勉強ともにとても充実した生活でした(表面上は)。ただ、この頃から不眠が酷くなり、3日位眠れず活動し、4日目に24時間眠り続けるという生活になってきました。活動というのは朝5時まで勉強し、その後専門学校に行くため、6時に家を出て、専門学校で勉強、その後大学に行き、また専門学校の自習室で22時くらいまで勉強、眠れなければ朝まで勉強してと、これの繰り返しでした。当時、まだネットも無かった時代ですし、情報不足で、不眠症で病院にかからなければという意識はあったのですが、何科にかかればいいのかも分かりませんでした。3年生で記念受験で受けた税理士の簿記論にゼミでただ一人受かりました。3年生の終わり頃、冬だったと思うのですが、帰宅途中に通り魔に襲われレイプされました。その後、激やせし、心配してくれる人は沢山いたのですが誰にもなにがあったのかは話しませんでした。そして、大学4年生の4月に、とうとう、おかしくなりました。アイルトン・セナが事故で亡くなった時に、私に連絡を取ろうとしているという妄想にとりつかれました。このころの記憶はあまりありません。夕方、家を出て、買いものなどして、そのまま学校方面に向かい、時々公衆電話から友達に訳の分からない電話をしていたようです。その頃、私の事をとてもよく思ってくれた先輩には「今から死ぬ」と言ったらしく、その日は家に帰ったのですが家の前に心配した先輩がいました。そして、やはり、次の日もおかしく、訳の分からない電話をかけまくり、その先輩にもかけたようで、彼が自宅にきて私の父母にそれを話し、そこで私の家族は初めて私がおかしい事に気づきました。その後の記憶も曖昧なのですがGW明けに病院に連れていかれたらしく、医療保護入院となり保護室に入れられたようです。おそらく、家族からの要望だと思うのですが、新聞だけは入れてもらっていたようです。その新聞を見て、広告のマンションなどの不動産物件を見てどこかの物件で私が家族の面倒を見ると主治医に言ったのは覚えています。それで、新聞も取り上げられたような気がします。結局、8月まで入院。その後、大学には一日行きましたが、精神的にもとても無理で、主治医の薦めで暫くデイケアに通う事になりました。その頃、前述した先輩とお付き合いもはじまりました。なんとなく。その後、彼の薦めで、週1回の進学塾の受付のアルバイトをしたのですが経営状態の悪化で3ヶ月ほどでやめる事になりました。その半年後くらいに予備校の営業に契約社員で採用して頂いたのですがこれは一ヶ月しかつとまりませんでした。その後、家庭教師センターで半年程、アルバイトしました。そこの責任者の方にかわいがってもらったのですが、他のスタッフとの人間関係と私の事務処理能力のなさから、人間関係はあまり良くなく、辞めると言って引き留めてはもらったのですが、結局、そこも経営状態の悪化で辞めました。その後暫くして、彼から辞めてしまった大学に再入学したらどうかと提案されましたが、私は行きたくありませんでした。彼の助けで何とか再入学はできたのですが学校にたどりつくだけで本当に大変でした。ただ、私の大学は入るのはものすごく大変だけれども、卒業するのはそんなに難しくないタイプの大学だったので、奇跡的に一年で全ての単位を取得し、卒業しました。その在学中に彼と結婚することになり、身内のみで挙式も行い新婚旅行にも行きました。その頃の精神状態はひたすら鬱で一日布団から出られず、週末彼の仕事の休みの時のみ起きられる。家事は殆どできず寝たきりという状況でした。今、思えば、こんな私を放り出すことなく、面倒を見てくれた彼には本当に感謝しています。大学卒業までは、実家の今まで通っていた病院に母に行ってもらって、薬だけ宅配便で送ってもらっていました。その後、大学の健康センターの紹介で個人のクリニックに転院しました。投薬内容を少しずつかえ、インプロメン中心の投薬から、インプロメンを完全に切って、ジプレキサとパキシル中心の処方にかわり、この頃から、だんだん人間らしい生活を送る事ができるようになりました。暫くは専業主婦のまま、近所のスポーツクラブに入会し、友達もでき、心の中には私は病人だという意識はものすごくありましたが、表面上はそれなりの生活を送れるようになってきました。その頃、彼はお父様が社長の会社で働いていたのですが、お母様が私に経理を見て欲しいとおっしゃり、固辞したのですが、結局は経理の仕事をするようになりました。今から7年前のことです。最初はPCも使えない、社会人としての常識もなく、ホントに酷い仕事ぶりでした。彼の叱咤激励で又主治医の先生の助けでここ2年くらいで漸くもう自分は立ち直ったのかもと思うようになりました。パキシル、ジプレキサともに処方のMAXを使用していたのですが今は4分の1位の量になりました。ベゲタミンを飲まなければ眠れなかったですがここ2,3年は睡眠薬も殆ど飲まず、又、会社もお父様お母様も引退しているのですが出張の多い彼にかわり会社もとりしきっています。こんな私がいいのだろうかという疑問は常にありますが。。先生は必要最低限まで減薬していく方針です。そして、先生は私が立ち直った大きな要素は彼の愛情だと言っています。周りに恵まれれば普通の生活に戻れる可能性もあるのだと思うので参考までに私の状況をお知らせしました。後、もう一つは今の仕事が、会計士の勉強の知識を最大限に生かせる仕事でしかも一人の作業で営業的要素が少ない事もあると思います。今、私は薬を止めるつもりはありません。でも、今の現状には満足しているとともに周りの方々にとても感謝して毎日生活しています。統合失調症にかかっても、幸せな生活にたどりつく事ができるという事を一例としてお伝えできれば幸いです。乱筆乱文失礼しました。林先生の更なるご活躍を祈念します。最後まで読んで頂きありがとうございました。


林: 貴重なご報告をありがとうございました。このサイトをお読みになっている統合失調症のご本人・ご家族にとって、大きな励みになる実体験のご報告であることは間違いありません。これからも症状が安定し、さらに幸福な人生になることを願っています。

(2012.12.5.)


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