精神科Q&A

【2214】不定期に来る一時的な気分の落ちこみと、「させられ体験」のような現象


Q: 私は20歳のフリーターで現在一人暮しをしている男です。今回相談したいのは、不定期に来る一時的な気分の落ちこみについてです。
 
 落ちこみのパターンは大体いつも似ています。些細なことをきっかけに学校や仕事を休みます。大抵は朝起きた時の倦怠感などが原因です。一日中ベッドから出ず、歯を磨く、顔を洗う、風呂に入る、などの日常行為が全てストップしてしまいます。食欲は減退しているのかはわかりませんが、不規則になり一日一食になることも。外出を拒み、電話や携帯メールなどの外部との接触を断ちます。休んだこと、落ちこんでいる自分を、人から非難されているように感じ、自責の念にかられます。落ち込みが酷くなると、死んでしまいたいと思うようになります。

 最近ではカッターナイフで手首を傷つけてしまいました。高校以来自傷行為は止めていたのですが…。楽になりたい一心で、気づいたら過去に処方された睡眠薬と安定剤の錠剤をあさり、大量にあるだけ飲み干しました。死ぬことばかり考え、実際にビニール袋で口と鼻を覆いテープで隙間を塞ぎました。窒息死したかったのですが、結局できませんでした。
 
 程度の差こそあれ、この状態がここ3、4年間続き、1年に3度ほど襲ってきます。しかし1ヶ月以上この状態が続くことは稀で、早ければ1週間で元の社会生活に戻れることもあります。
 
 つい数ヶ月前、大学を中退したのですが、辞めた原因の一つは上記の落ち込みです。私は一人っ子で、両親から寵愛されて育ちました。大学進学のため地方から出て、初めて都会で一人暮しを始めてもうすぐ2年になります。環境の変化による影響もあったかもしれませんが、とにかく学業も仕事も、突然起きる急激な気分の落ちこみのせいで、なかなかうまくいかないのです。普段の自分は、ごく普通の健全な社会生活を営んでいると思います。人間関係で悩むことはありませんし、むしろ他人からは好かれて、楽しい、面白いなどと言われる事も多いですが…。リストカットなど、同じ自分がしたこととは思えないほどに。
 
精神科との付き合いは、もう6年前から、中学の時の不登校がきっかけでした。その時の診断は、「抑うつ状態」「適応障害」と記憶しています。自ら進んで1ヶ月ほど入院もしました。入院を経てから状態は少しずつ良くなりましたが、その後もしばしば気分が不安定になることは続き(落ちこんで酒を大量に飲んだり、イライラして物を壊したりなど)、違う病院を転々としました。しかし「自律神経失調症」と言われる事が多く、明確な病名はつきませんでした。
 
 この状態が何の障害でも病気でもなければ、単に自分の性格上の問題なのか。根気が足りないだけなのか。原因がわからず、ずっと悩んできました。
実家の母からは精神科の受診を勧められても「自分は正常なんだ。病気でもないのに、医者にかかったところで何も変わらない」とかたくなになってしまいます。「障害があるのかも…」と思う気持ちは自分の弱さの現れだと思う反面、いっそのこと病気になってしまいたいとも思うのです。そうすれば苦しみをそのせいに出来るから。
 
今は平常心を取り戻しつつありますが、どん底の時とのギャップで自分自身が不安定です。私は今後どうしていけばいいでしょうか。 

それからもうひとつ、実は、気分の落ち込みとは全く関連性のないような話なのですが、4ヶ月くらい前に今までなかったような体験をしました。その日、早朝にいきなり目が覚めて、同時にとても恐ろしい感覚に襲われたのです。自分の体が自分のものでないような感覚で、動悸が激しくなり、目を開けるのがとても恐かったです。何かがそこにいるかもしれない…。今まで味わったことのない感覚だったので、瞬時に「自分に何かが憑いている」と直感しました。そしたら、急に涙が滝のように溢れてきて、わめかずにはいられないのです。嗚咽を伴って、わんわん泣きまくりました。しかし、あれは明らかに自分が泣いているのではありませんでした。私は何も悲しい、辛いなどの感情はなく全く冷静でしたから。それからも体の感覚はおかしいままで、なかなか憑いたものが出ていきませんでした。徐々に恐怖が薄れてきていたので「でていけ!」とか言ったりしているうちに、元に戻りました。
 それからも、何の脈略もなく涙が溢れて泣き出すことがありましたが、いつもそれは自分の意思ではないのです。体も自分のもではない不思議な感覚で。
 私としては、20歳過ぎてきっと第6感のようなものが鋭くなってきたのではないかと考え始めました。実家にいるときに仏壇の前でお経を唱えている時など、また何かが自分に降りてきて一時的に口の左側がひきつってしまい、顔面麻痺のようになったこともあります。
 私は、そういう体験を「新たな自分の発見」としてむしろ楽しんでいて、色々な人に体験談を話していました。そしたらある日、電車に乗っていると頭にガンガンとある意識が伝わってきたんです。聴覚として聞こえるわけではないのですが「そういうことはあまり人に話すもんじゃない」って響きが頭に。それも初めての経験で、面白いなぁと思ったんですけど。
 最近来た強烈なものは、ある日シャワーを浴びているときのことです。いつもの気配を感じたと思ったら、こんどは口の右側が重力に引っ張られるようにひん曲がってしまったんです。私は「ああ、来たな」と思い、タイミングが悪かったので「ちょっと、あとにしてくれる?上がった後ちゃんと聞くから!」と声に出して言いました。そしたら右ほほは元に戻りました。
 上がって一息ついてから「さぁ、どうぞ」と言って待っていたら、またまた口がひん曲がり始めました。その力がいつもより強くて、首までその方向に引っ張られました。そして、自分をどこかへ誘導したいようなのです。そして誘導されるままに、玄関の靴箱のところに行き「この中だ」というようなメッセージが伝わってきました。何か気味が悪かったのですが、言われるままに開けると洗濯洗剤のセットがありました。それがここにあるのは、前から知っていたので、「こんなことでわざわざ降りてこなくても…」って思いました。もう自分がわかりきっているようなことでも、おせっかいにも心配してくれるのでしょう。もしかしたら、死んだ祖母かもしれないと思い始めました。

 しかし、今回これとは関連のない、自分の気分の落ちこみについて調べていたところ、統合失調症のコーナーの「させられ体験」というものを発見して、ギョッとしてしまいました。かなりの衝撃で、気分が一気に興奮し不安定になってしまいすぐ母親に電話しました。泣くわ怒鳴るわで、受話器を投げつけカッターでまた手首を切ってしまいました。私が経験していたのは「させられ体験」なのでしょうか。気分の落ちこみと何か関連はあるのでしょうか。落ちこんだ時にもあれが降りてきてベッドに寝かせようとして助けてくれることもあったんですが…。 



林: まず経過を簡潔に整理してみましょう。

(1) 中学生の頃から精神の変調あり。
最初は不登校で始まった。精神科に入院し、「抑うつ状態」「適応障害」と診断されたらしい。退院後も精神が不安定だったが、明確な診断はつかないまま経過した。

(2) 高校生の頃から、不定期に気分の落ち込みあり。
この落ち込みは、普段の明るく健康な状態とははっきり違っている。

(3) 20歳頃から、「自分の意思とは違うことが自分に起きている」とでもいうべき体験が繰り返されるようになった。
具体的には、「自分に何かが憑いている」「何の脈略もなく涙が溢れて泣き出す」「電車に乗っていると頭にガンガンとある意識が伝わってきた」「誘導されるままに、玄関の靴箱のところに行き「この中だ」というようなメッセージが伝わってきました」など。時には体が動かされる体験を伴う。(「口がひんまがる」など。・・・但し、客観的にみて本当に口が曲がっていたかどうかは不明)

そして質問の要点は、この体験が「させられ体験」にあたるのか、ということです。

しかし、質問者が上記のうちのどの現象を指して、「させられ体験」に似ている(または一致している)と考えておられるのかが不明ですので、残念ながらその質問には直接的には回答不能です。

そこで、経過全体について回答することにいたします。
ひとことでお答えすると、
【2214】のこれまでの経過は、統合失調症の発症(または前駆期)の疑いあり
ということになります。
まず、統合失調症の最初期(または前駆期)には、上記(1)のように、「精神的に不安定、しかしどの診断名にもはっきりとはあてはまらない」という形を取ることがしばしばあります。
 一方、(2)の内容は、それだけを独立して取り出してみれば、気分障害(うつ病)の色彩があるものです。けれども、それに先立つ(1)、そしてその後に続く(3)とあわせてみれば、統合失調症の初期(または前駆期)の症状としても矛盾はありません。
 そして(3)にまとめた様々な体験は、自我障害として理解することが可能です。質問者ご自身の表現である「自分の意思でない」が、まさに自我障害という概念にあたるもので、本来は揺らぐことのない「自分の思考は自分のもの、自分の行動は自分のもの」という、人間にとって自明の前提が崩れるのが自我障害で、これは統合失調症の症状すべての基礎にある本質であるというのが有力な考え方です。
 「させられ体験」も、自我障害のひとつの表れとして位置づけることのできる症状です。上記(3)の中の一部または全部をさせられ体験と呼ぶかどうかは、おそらく診断した医師によっても違ってくるでしょう。しかしどれも自我障害の一つの症状であるという点においては揺るぎません。

したがって、はじまりが統合失調症の最初期(または前駆期)として矛盾がないこと、そこから数年経過した現在、自我障害がかなりはっきりと認められることから、
【2214】のこれまでの経過は、統合失調症の発症(または前駆期)の疑いあり
という判断が導かれることになります。

但し、「疑い」を「確定診断」に発展させるためには、まだまだ慎重を要します。この点をめぐる複雑な問題は、【2000】から【2078】、(特に偽陽性についての【2007】【2072】などの説明)をご参照ください。

また、この【2214】では逆に統合失調症らしくない点として、

私は、そういう体験を「新たな自分の発見」としてむしろ楽しんでいて、色々な人に体験談を話していました。そしたらある日、電車に乗っていると頭にガンガンとある意識が伝わってきたんです。聴覚として聞こえるわけではないのですが「そういうことはあまり人に話すもんじゃない」って響きが頭に。それも初めての経験で、面白いなぁと思ったんですけど。

という自覚を挙げることができます。
統合失調症の初期の体験は、ご本人にとって非常に恐ろしいものであるのが常です。それに対してこの【2214】では、むしろこの体験を楽しむ姿勢が見られている。
但し他方、恐怖している表現も認められますので、この不均衡を統合失調症らしいと言えないこともありません。

なお、「自分の意思でない」「自分の体が自分のものでないような感覚」などは、解離でも認められる体験です。
解離と診断するためのひとつのポイントは、背景に強い心理的な葛藤があることです。この【2214】ではそれが認められません。
 しかし解離の背景にある心理的な葛藤は、本人には意識されないこともしばしばあります。このため、実際の臨床でもこの葛藤が見出せないことはよくありますので、ましてメールではそこまで読み取るのは不可能といっていいでしょう。

(2012.3.5.)


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