精神科Q&A

【1932】兄からの性的虐待の夢。いろいろな記憶が曖昧。現実感がない。


Q: 22歳女性です。私は、約一年前位に解離性障害と診断されました。二重人格の一歩手前とも言われました。(が、現在は通院しておりません、経済的困難のためです。)
主治医には、以下の事を話しました。
・ 鏡の中の自分は、違和感があること。
・ 自分の名前に違和感があり、胸がざわつくこと。
・ ある一部分の出来事の記憶がないこと。(薄っすらと覚えてはいるが、現実に起こったか否かが分からなくなっている)
・ 世界から切り離されている感覚。(自分が自分でない感覚)
・ 入眠時、幻聴があること。
上記の症状は、現在も続いています。それで、最近気になっている事が生じましたので、メールをした次第です。 まず、 @悪夢を見る。A最近(大分前から?)、一人称を「私」と言ったり「あたし」と言ったり、「俺」や「僕」と言ったりしたい衝動に駆られる。Bこの世が終われば良いと思う。そして、その前に私自身が終わりたい。C死にたい、面倒臭い、やる気がない。D「愛」という感情が良くわからない。E現実と夢の境界が曖昧。F記憶保持困難。G入眠時幻聴。 と言った症状があり、最近になってこの症状が強く出ている様な気がします。

以下から番号に沿って、補足・質問を行います。 
@性的虐待を受けたであろう、場面が幾度となく繰り返され、夢の中で何度となく見ました。その結末は皆一緒で、現実と同じ結末でした。その出来事でとった、両親の行動も夢に出てきます。此処で聞きたいのは、性的虐待は実兄からで恐らく幼稚園児位からあったかと思います。ですが、実兄とは三つ?離れており、その年で性行為等出来るのでしょうか?また、この悪夢の意味は何なのでしょうか? 

A一人称を変える衝動、と言うのは意図的ではないです。一人称が変わると、私は冷静になれたり、感情的になれたりします(目線が変わる?と言った感じでしょうか)私は私を見ており、滑稽だとさえ感じます。そして、一人称が変わると、更に自分という概念はなく、私は「器」と称されます。これは、妄想ですか?逃避ですか? 

B・C何時からか、この世が終われば良いのに、と思っています。でも、本当はそんな事は望んでおらず(多少、世界は醜く・汚れており、滑稽だとは感じますが)、私自身の世界を終わらせたいのです。自分は生きている価値はなく、将来なんて見える筈もない。何が楽しく、何が退屈で、「自分」という概念が消えている今、本当は私は生きていないのではないか、と思っているからです。死にたくないけど、生きたくもない。弱いからその考えに至るのでしょうか? 

D私の家庭は、決して恵まれているものではありませんでした。借金が出来たのは、貴方達を産んだから。だから、借金は子供達が払うのが当然の義務。そう考えている両親の元で育ち、手が痛くなるから、と箒で殴られ、箸が頬をかすめ、怒鳴り声が絶えず、と同時に笑い声も絶えず、不思議で贔屓がある環境でした。私には、「愛」が分かりません。家族でさえ、血の繋がりがなければ赤の他人と幼少時代から考えてきた私にとって、普通と正常の境界線も分からないまま。どうしたら、「普通」を手にいれられるのでしょうか? 

E現実と夢の境界がとても曖昧です。常に現実感はなく、物語の傍観者であり、此処でこうしてPCに向かっている私も、果たして本当の私であるのかどうか。それさえも曖昧です。私は、誰だろう?実は夢ではなかろうか、と考えてしまいます。私は、本当に「私」なのでしょうか?自分の名前に違和感を覚えながら生きる私は、本当の「私」なのでしょうか? 

F例えば、買った本を棚に戻した筈が、何処に戻したか忘れていたり、恋人との会話を覚えていなかったり、一緒に見た筈のテレビを覚えていなかったりしています。(絶対に一緒に見た、と恋人は言い張りますが、私は全く記憶にないです。誰か他の人と勘違いしているのでは?と思っているのですが)また、家族に関する記憶や、幼稚園、小中学生、その当時の気持ち・思考・行動、全てが靄に掛かっており、卒業式や入学式などの記憶も曖昧、または欠けています。この症状は、診断時にもあり、益々悪化した気がします。自力で何とかできないものでしょうか? 

G入眠時の幻聴は、時たまあり、翌朝は身体が酷くだるく、気分も悪くなります。幻聴は、男の子の声であったり、女の人、男の人様々です。時には、頑張り過ぎですよ、と優しく言われたり、生きたいと叫んでいたり泣いていたり喧嘩していたり(幻聴同士で)忙しい幻聴ですが、不快でありません。ただ、自分が自分を見下ろしている感覚や、手足が自由に動かせず、ザーザーと砂嵐の耳鳴り?があるのが不快です。この入眠時幻聴は、和らげる事は出来ませんでしょうか?(砂嵐が、始まりの合図みたいです) 

なお、
@の中で、「実兄とは三つ?離れており〜」と書きましたが、私の記憶が曖昧です。性的虐待が起こった部分の記憶が欠けており、完全に思い出せない部分と曖昧で靄が掛かっている部分があるためです。(F参照のこと) 

最後に、二重人格一歩手前とは、どういう意味なのでしょうか? 解離性障害の事を簡潔に説明している、という意味か。それとも、何かのきっかけがあれば、二重人格になってしまうよ、という警告の意味か。林先生は、どう思われますでしょうか?ご意見をお聞かせ下さい。 長文になりましたが、以上の事が気になります。本当は病院に言って主治医に話すべき事だとは思いますが、経済的困難で、時間が取れない事もあり、難しいと思われます。 以上、お忙しいとは思いますが、ご意見頂けたら幸いです。


林: 質問者の現在の状態は、解離性障害といっていいでしょう。そして、解離性障害は、幼少時の虐待と関連する可能性があります。
但し、【1931】までで解説してきた通り、幼少時の虐待の記憶は、その内容が事実かどうかの判断が難しいものです。それを念頭においたうえで、順序として、質問者が記憶している内容は事実と仮定して説明を始めることにします。

まず現在の症状ですが、

A一人称を変える衝動、と言うのは意図的ではないです。一人称が変わると、私は冷静になれたり、感情的になれたりします(目線が変わる?と言った感じでしょうか)私は私を見ており、滑稽だとさえ感じます。そして、一人称が変わると、更に自分という概念はなく、私は「器」と称されます。これは、妄想ですか?逃避ですか? 

これは解離の色彩がある症状です。「色彩がある」という意味は、解離であるとは言い切れないまでも、その傾向があるということです。そしてこの【1932】の質問者には、以下に述べるように解離と判断できる症状が複数ありますので、このAについても、解離と解釈するのが妥当といえます。

B・C何時からか、この世が終われば良いのに、と思っています。でも、本当はそんな事は望んでおらず(多少、世界は醜く・汚れており、滑稽だとは感じますが)、私自身の世界を終わらせたいのです。自分は生きている価値はなく、将来なんて見える筈もない。何が楽しく、何が退屈で、「自分」という概念が消えている今、本当は私は生きていないのではないか、と思っているからです。死にたくないけど、生きたくもない。弱いからその考えに至るのでしょうか? 

これも解離の色彩がある症状です。このうち、「本当は私は生きていないのではないか、と思っている」は、離人の一種といえます。離人は、解離性障害でしばしば見られる症状です。


E現実と夢の境界がとても曖昧です。常に現実感はなく、物語の傍観者であり、此処でこうしてPCに向かっている私も、果たして本当の私であるのかどうか。それさえも曖昧です。私は、誰だろう?実は夢ではなかろうか、と考えてしまいます。私は、本当に「私」なのでしょうか?自分の名前に違和感を覚えながら生きる私は、本当の「私」なのでしょうか? 

これも上記ABCと同様、解離ないし離人といえます。

F例えば、買った本を棚に戻した筈が、何処に戻したか忘れていたり、恋人との会話を覚えていなかったり、一緒に見た筈のテレビを覚えていなかったりしています。(絶対に一緒に見た、と恋人は言い張りますが、私は全く記憶にないです。誰か他の人と勘違いしているのでは?と思っているのですが)

上記とあわせ、解離性健忘と判断できます。


また、家族に関する記憶や、幼稚園、小中学生、その当時の気持ち・思考・行動、全てが靄に掛かっており、卒業式や入学式などの記憶も曖昧、または欠けています。この症状は、診断時にもあり、益々悪化した気がします。

これも解離性健忘です。今回の更新(2011.1.5.)の中にも同様の健忘の例が多数ありますのでご参照ください。

G入眠時の幻聴は、時たまあり、翌朝は身体が酷くだるく、気分も悪くなります。幻聴は、男の子の声であったり、女の人、男の人様々です。時には、頑張り過ぎですよ、と優しく言われたり、生きたいと叫んでいたり泣いていたり喧嘩していたり(幻聴同士で)忙しい幻聴ですが、不快でありません。ただ、自分が自分を見下ろしている感覚や、手足が自由に動かせず、ザーザーと砂嵐の耳鳴り?があるのが不快です。

一般的には入眠時幻覚は病的なものではありませんが、この【1932】のケースでは、他の解離症状とあわせ、解離の一種とみるのが妥当です。 

約一年前位に解離性障害と診断されました。二重人格の一歩手前とも言われました。

とのこと、現在もその状態と判断できますので、少なくとも一年前から今のような症状があったと思われます。

二重人格一歩手前とは、どういう意味なのでしょうか? 解離性障害の事を簡潔に説明している、という意味か。それとも、何かのきっかけがあれば、二重人格になってしまうよ、という警告の意味か。

どちらも正しいと思います。解離性障害であることはまず確実で、それを言い換えたともいえますし、今後、二重人格(解離性同一性障害)に発展していく可能性もあると思います。

そして幼少時についてですが、

C私の家庭は、決して恵まれているものではありませんでした。借金が出来たのは、貴方達を産んだから。だから、借金は子供達が払うのが当然の義務。そう考えている両親の元で育ち、手が痛くなるから、と箒で殴られ、箸が頬をかすめ、怒鳴り声が絶えず、と同時に笑い声も絶えず、不思議で贔屓がある環境でした。

このような家庭環境が、現在の解離性障害の発症に影響したとみることが可能です。

そして当然ながらこの性的虐待の夢についても検討する必要があります。

@性的虐待を受けたであろう、場面が幾度となく繰り返され、夢の中で何度となく見ました。その結末は皆一緒で、現実と同じ結末でした。その出来事でとった、両親の行動も夢に出てきます。此処で聞きたいのは、性的虐待は実兄からで恐らく幼稚園児位からあったかと思います。ですが、実兄とは三つ?離れており、その年で性行為等出来るのでしょうか?また、この悪夢の意味は何なのでしょうか? 

この文章には今ひとつわからない点があります。というのは、「現実と同じ結末でした」という一文からは、夢の内容が事実あったことかどうかがわからない、と質問者は考えているように読めますが、その一方で、「その結末は皆一緒で、現実と同じ結末でした。」という一文からは、この性的虐待そのものは現実にあったことと質問者は確信しておられるのでしょうか。この一文の「現実」の意味が今ひとつわかりかねます。
しかしメールの後のほうでこの出来事について、

@の中で、「実兄とは三つ?離れており〜」と書きましたが、私の記憶が曖昧です。性的虐待が起こった部分の記憶が欠けており、完全に思い出せない部分と曖昧で靄が掛かっている部分があるためです。

と書かれていますので、おそらくこの性的虐待については「曖昧な記憶」として持っておられるのだと思います。
このように、性的虐待についての記憶が曖昧というケースはしばしばあります。
 質問者は、この年齢では性行為ができないはずなのになぜ? という疑問を持っておられますが、性的虐待についての研究によれば、虐待そのものがあったこと、そしてその内容の記憶が正しくても、その虐待の時期についての記憶が誤っていることはしばしばあるとされていますので、時期についての質問者の疑問はもっともではあるものの、それをもって記憶そのものが誤っているとまではいえません。


◇ ◇ ◇

【1901】から【1948】までの回答は一連の流れになっています。【1901】、【1902】・・・【1948】という順にお読みください。

この【1932】では、実兄からの性的虐待の夢について

この悪夢の意味は何なのでしょうか? 

という質問がなされています。
この質問は、「悪夢の内容が実際にあったかどうかわからないのだが、この悪夢の意味は何か」という意味なのか、「実際にあったことを繰り返し夢に見ることにはどういう意味があるのか」という意味なのかが不明ですが、とりあえずそのことは措くとして、性的虐待の悪夢について若干触れておくことにします。

「繰り返し夢に見る」ということは、その内容が実際に体験されたことかどうかはともかくとして、その夢の内容が心の中で大きな意味を持っているということまでははっきりといえます。
そこから先は意見の分かれるところですが、このような性的虐待の悪夢は、抑圧された記憶の現れという見方をする立場もあります。そのような立場の代表はフロイトで、フロイトの「夢判断」は、文庫本として読むこともできます。

現代においても、夢の内容を精神療法に取り入れるという方法論が取られることもあります。論文になっているものもいくつもあり、比較的最近のものとしては

永井幸代
腹痛に悩む女性の治療  ----- 性的虐待の夢と記憶 -----
精神分析研究 52 (4): 418-423, 2008年


があります。
ここには、精神療法のセッションを繰り返すうちに、父親からの性的虐待の夢を見るようになってきた様子が描かれています。そしてその夢の詳細を確認するという作業が精神療法の一貫として行われ、それと並行して症状が軽くなっていったことが記載されています。
 この過程は、ごく単純に解釈すれば、「幼少時の性的虐待が、大人になってからの症状の原因になっていた。その性的虐待の記憶は抑圧されていた(忘却されていた)が、精神療法によって、まず夢としてよみがえり、その記憶内容に直面化し現実的に処理することで、症状の軽快につながった」ということができ、フロイトの理論によく適合するものです。

ただしこれは一例とその解釈にすぎません。
次の【1933】以下も虐待の記憶についての問題を続けます。


(2011.1.5.)


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