精神科Q&A

【1603】私の父はアルコール依存症から回復しました


Q: 25歳、女です。 最初に書いておきますが、これは質問ではありません。このサイトのアルコール依存症に関する質問などを見ていて、もし現在アルコール依存症の方、または家族の方に参考になればと思い、メールをさせていただきました。ですので、もっと事態が逼迫しているたくさんの人々の質問を優先していただき、もしこのメールが役に立つことがあれば、原文そのままでも、適当に変えていただいても結構ですので、どうぞお使い下さい。
 私の父はアルコール依存症でしたが、今は安定した状態で、正常な生活を送っています。父の過去を知らない人からは、アルコール依存症だったとは想像できないか、または、アルコール依存症だったとしても今は完治しているとしか見えないでしょう。しかしアルコール依存症というのは完治することなく、一生付き合っていく病気だと聞いたので、表題のような表現になりました。
 父の経歴を書きますと、飲酒を始めたのは15歳ぐらいの時だったようです。最近聞いた話ですが、地域の行事でお酒を一気飲みして、庭で倒れたことがあったそうで、今思えばその頃からどんどんお酒の飲み方がおかしくなっていったと言っていました。その後から母と結婚するまでの間のことは、詳しく聞いていませんのでよくわかりませんが、親に隠れてお酒を飲んだり、飲むたびに暴れたりしていたようです。 母の話では結婚した当時からよく飲む人だとは思っていたそうで、毎日瓶ビール(大瓶)を4本ぐらい、多いときにはもっと飲んでいたと言っていました。もともと経済的にも余裕がなく、結婚してすぐに母が姉を妊娠し、「これから子供にもお金がかかるからお酒を控えて欲しい」と頼んだところ、表面的には了承し、母の前では少しは減りましたが、母が診察に行ったりしている間に異常に飲んでいたみたいで、ひどいときには帰ったらビールが1ケースなくなっていることもあったそうです。 姉が生まれて、私がその一年後に生まれました。母は経済的な理由で、一度は辞めていた仕事をもう一度始めました。それから(その前にも多少あったみたいですが)父は、飲んで私や姉に暴力を振るったり、茶碗を割るなど、暴れるようになりました。元々あまり子供は好きじゃないみたいで、ヒステリックな性格でもあるようですが、お酒を飲んだときは特にひどくて、手が付けられませんでした。母に手をあげることは無く、姉も聞き分けがよかったので、あまり直接暴力を受ける被害にはあわなかったのですが(殴られる私をかばいながら育ったという意味では、精神的には私より被害を受けていたかもしれません)、私は幼い頃からマイペースでしたので、父の意に沿わないことが多かったらしく、よく殴られていたのを覚えています。 私たちが成長するにつれて父の酒量は徐々に増え、近所の家に飲んで文句を言いにいったり、飲み歩いて帰ってこなかったり、私たちや母がしばらく家をあけることがあると、飲んで出勤し大ケガをしたりするようになりました。それは父の両親が亡くなってから余計にエスカレートし、ついに父は肝硬変になってしまいました。そのことをきっかけに医者からお酒をやめるよう言われ、父は私たちの見ている前では一切お酒を飲まなくなりました。しかし明らかに父はお酒を飲み続けていました。小学生だった姉と私は、「友達が来た場合父が帰ってくる前に必ず帰ってもらい、おもちゃは片付けておく」「母が夜勤の日は、夜トイレに行きたくなったら必ず2人で行く」「父にお酒を飲んでいる様子が見られたらお互いに合図して、できるかぎり父に近づかない」など、自分たちの中でルールを作り、被害を最小限にとどめるようにしていました。 しかしそんなことは根本的な問題の解決には到底なりえず、私が小学5年生のときに決定的な事件が起こりました。その日父は夜になっても帰って来ず、明け方、妙なうなり声に母が気づいて外に出たところ、父は泥酔しきって庭のみぞに頭を突っ込んだまま倒れていました。意識はほとんどなく、失禁し、身体中に黄疸が出ていたそうです。次の日、母が父を市民病院に連れて行き、一度はよくなっていた肝硬変がまた悪化していて、しばらく入院しているうちに禁断症状が出て、病院を抜け出してお酒を買いに行くなどしたため、「この人はこの病院で見られるような患者ではない」と言われ、その後精神病院に入院しました。 退院した後、薬を飲みながらAAという組織に入り、やっとお酒をやめる努力を始めた父でしたが、今まで子供のためと思って我慢してきた母は、先に書いた事件までの経緯で、もうとっくに我慢の限界を超えていました。そして私たちはある日突然家を出たのです。私が15歳のときでした。父にとっては本当に突然のことだったはずです。前の日まで普通に生活していたのが、次の日父が仕事に行っている間に荷物を全てまとめ、夕方父が帰ってくるまでの間に出てきました。 いきなり全ての接触を切ってしまうのはきっと父にとってショックが大きすぎ、未来に希望が見えなくなって、逆にまたお酒を飲んで私たちを逆恨みするようになっても困るということで、母とは離婚ではなく別居状態にし、月に一度は家族みんなで食事会をするという取り決めをし、私たちの入学式や何かの行事があれば声をかけるようにはしました。相当ショックだったと思いますが、父はそれから変わりました。あれから10年たった今もその生活は続いています。父は元々孤独を好み友達も多くなかったのですが、今はAAの仲間とうまく付き合い、仕事にも通い、今は月に1回ではありませんがたまに会ったりメール交換もしています。家のお金を無断で持ち出してお酒を買っていた父が、生活費の足しにと母や私たちにお小遣いもくれるようになりました。姉の結婚式にも参加し、そのとき向こうの親戚からお酒を勧められても、きっぱりと断っていました。 父は、今になってようやく私たちの思春期のころの記憶がはっきりしてきた気がすると言います。その頃確かに生活していたことは覚えているけど、何だかいつも意識がはっきりしていないような気がしていたとも言います。一滴でも飲んだ瞬間に逆戻りしてしまうということもしっかり認識していて、「日一日(その日一日飲まないこと)」とよく言うけれど、「今、この瞬間」飲んでいないこと、それを続けることがアルコール依存症にとっては大事なことだとよく言っています。母はまだ飲んでいるかもしれないという思いが拭いきれないようですが、私はきっと父は今はもう飲んでいないと思っています。 非常に長くなりましたが、今現在アルコール依存症で苦しんでおられる方や、ご家族の方で、未来に希望が見えないという方がいらっしゃるとしたら、どうかあきらめないで欲しいと思います。現に私の父はアルコール依存症から抜け出した・・とは一生言えないでしょうが、少なくともあの苦しみの時期からは抜け出し、今は良好な状態を保っています。本来父が持っている優しく温厚な性格や、ピュアで気楽な性質も最近になってよく見えるようになりました。そのときには残酷かもしれないと思うことでも、後々それが本人にとってよかったということもあります。我が家の場合、あの決断(家出)がよかったと本当に確信を持てたのは、それから8年もたった姉の結婚式の後でした。どうかあきらめないで下さい。 長々と書いてしまいすみません。このメールがサイトに載っても載らなくても、もし先生の受け持ち患者さんに同じような状況の人がいれば、ぜひ成功例として話していただければ・・と思います。読んでいただきありがとうございました。


林: 貴重な体験のご報告をありがとうございました。

そして私たちはある日突然家を出たのです。

これは当時、苦渋にあふれた大きなご決断だったこととお察し申し上げます。
ある意味失礼な表現ですが、大きな賭けに出られたということが出来るかと思います。
そして、

相当ショックだったと思いますが、父はそれから変わりました。

賭けに勝利された。
これ以後も、

あれから10年たった今もその生活は続いています。父は元々孤独を好み友達も多くなかったのですが、今はAAの仲間とうまく付き合い、仕事にも通い、今は月に1回ではありませんがたまに会ったりメール交換もしています。家のお金を無断で持ち出してお酒を買っていた父が、生活費の足しにと母や私たちにお小遣いもくれるようになりました。姉の結婚式にも参加し、そのとき向こうの親戚からお酒を勧められても、きっぱりと断っていました。

という状況からは、賭けに勝利されたといって差し支えないでしょう。
何より大きいのは、その状況にあっても、油断することなく、

しかしアルコール依存症というのは完治することなく、一生付き合っていく病気だと聞いたので

このような認識を持ち続けておられていることです。これからもご本人、ご家族ともに、この認識を持ち続けることで(一生持ち続けるという意味です)、回復はさらに深まっていくでしょう。

以前【1101】で私は、「家族が本人を見捨てる」ことが、回復の可能性につながり得るという回答をいたしました。この【1603】はその実例といえるでしょう。【1101】にお書きしたとおり、本人にとってはこれは底つき体験にあたります。アルコール依存症からの回復に、底つき体験が必ず必要というわけではありません。また、底つき体験が回復の万能薬になるわけでもありません。「家族が本人を見捨てる」のは、ひとつの賭けです。賭けである限り、負けることもあります。これも【1101】にお書きしたことですが、アルコールや薬物依存では、

慢性的な破滅を選ぶか、急激な破滅のリスクがあったとしても、活路を見出すべく行動するか。

このどちらかの選択を迫られることがあり、後者の選択は賭けであって、勝利することも敗北することもあり、前者の選択は緩慢に進む敗北を待つだけといえます。勝利の実例をお知らせいただいたこの【1603】の質問者にあらためて感謝申し上げます。


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