精神科Q&A

【1588】80歳を目前に統合失調症を発症した父について


Q: 80歳を目前に統合失調症的症状を発症した父親の治療について相談致します。私は40代の長女です。 先ず、父のこれまでの病気経過を述べさせていただき、その後質問事項をかきたく思います。 家族構成は 父(80歳代)と母(70歳代) 地方在住、 兄1人(既婚 子2人)、私(既婚 子1人) 

◇X年前半〜 振り返ればこの年は我が家にとっていろいろな出来事がありました。 先ず、私が高年齢での初めての出産を8月に控えていました。当時私は海外在住でした。出産を控えている事もあって、私に心配させぬようにと母は父の様子の変化を語ることは全くなく、後になって知った次第です。 兄家族は離れた都市に住んでいるのですが、この兄が当時勤めていた会社を辞めるとかで、彼の奥さんの方から再三相談の電話を私と母宛てにもらっていました。我が家は互いに割とドライな関係を保っていて、兄はこれまでも自分の進路などを親に相談するようなこともなかったですし、この時も一切何も語る事はなかったのですが、過剰に?心配していた義姉が私にも母にも相談をもちかけていました。ちょうど同時期に兄と同い年の知り合いが仕事の忙しさのためでしょうか自殺した事があり、私は母を通して父宛に「兄が仕事を辞めたとしても責めないで。。自殺した方の例も持ち出して、こういうご時勢だから・・・」と兄の事情も全く解からぬままにいらぬアドバイスをしてしまいました。年が明けて、二月の頃でしたでしょうか。。。 一方、地方公務員だった父は、80歳を目前に叙勲の話が届き、これまで話をしたこともない国会議員や県会議員の方々から、また前同職のお友達からも祝いの電話や電報などを次々と頂き、ちょっとした興奮気味だったかもしれないということでした。それに加え、叙勲に関係する業者も引っ切り無しに「おめでとうございます」と祝いを述べながら、営業に訪れていたようです。 母によると、五月頃から窓の外を眺めて独りでボウーとしていることが多かったそうです。それまでは、車で10分程の所にある畑で精力的に野菜を育てている毎日(退職後より)でしたが、これまでと全く違うものの、年だし疲れているのだろうか・・・と心配しながら見ていたそうです。 そうこうしているうちに叙勲の件で興奮気味になったような気がすると母は振り返ります。

◇X年10・11月(少々過去のことになり、月日などはうろ覚えです) 11月?、母からの国際電話で父の様子が少しおかしいと聞かされました。日頃から父親優位の家庭だったので、母も自宅の電話(父が近くにいるので)からあまり詳細には語れぬようでした。既に急性期であったでしょう。折をみて電話をもらい少し様子がわかりました。同時にそんな状態の父と話をしたという父の従妹(父がとても信頼している)やご近所の方と電話で連絡をとり詳細を聴き、父の状態がよく分かりました。父の様子・話す内容を聞き、すぐに統合失調症の症状だと思いました。普通なら「どうしたんだろうか」という所ですが、たまたまこの1,2年前の間に二人の統合失調症と思しき日本人主婦の方を存知あげており、関連した医学書や本を何冊か読んでいましたので、すぐにそう思いました。 幻聴に加え、幻視症状も少しあったようです。「息子(兄)が会社で金銭にからみ法を犯して 今拘置所にいる」「以前勤務していた本部から手助けをしてほしいといってきているから、もうすぐ迎えの車がくるはずだ。だから私は出掛ける準備をしなくては。」と言い、着替えて待つ。「情報が届くのだから、玄関のドアを少し開けておかなければ・・」「通りに車が停まっているはずだ。監視している」等々情報・監視などの典型的な妄想とそれ以外の大部分は兄に絡むことでした。 両親の住む街に保健師の親族がいたので、「父が統合失調症のようだという事とかなり症状が悪化しておりどう対処すれば良いかを調べてほしい」旨を電話で伝え調べて戴き、一方兄に連絡して田舎へ急行してもらうことにしました。 いろいろ周りの方の助けを借り、ご近所の元大学病院教授の推薦状を戴き、近所の精神科病棟に医療保護入院となりました。11月末のことでした。 母にとっても兄にとっても初めての体験で説得することは全く出来ず、症状もかなり悪い状態でしたし、勿論病識などなかったので、最悪の状態での強制的な入院でした。 最初はかなり抵抗を試みていたようですが、納得がいかないまでも我慢しながらやり過ごしこの病院を出ることに決めたようで、しぶしぶながらも薬を服用しつつ落ち着いていきました。 12月初め、私も一時帰国して父に会いました。 病院の経験豊富な先生に診て戴け、治療の詳細な状況や説明も受けながら治療して頂き、家族としては本当にありがたく細かく相談・指導にのっていただきました。 診断は年齢が年齢だけに「統合失調症」であると断言するには難しい点も残るが、「統合失調症症状」としての治療になりますという事でした。 入院当初は 12mgのリスパダールの投入で、段階を踏んで8、6mg と減り、退院する頃は4mgほどになったでしょうか。 父は再三退院を要求し、結果的に約2ヶ月後、X+1年の2月初めに退院になりました。 最悪の状態での入院でしたから、父は入院していた病院の先生をあれは「にせ医者だ」といい、病識はほとんどなく、もしかしたら少しはどうかしていたのかもしれないが・・・といったぐらいでした。 公務員(父はその中でも特殊な職種でした)になるには細かい調査が行われていて、精神的病気の家系は絶対になれないのだ。私はそれをパスしているのだから、病気では絶対にあるはずがないだろうという持論です。 私が両親の家に滞在している間は、私の説得で薬を服用していましたが、「薬には副作用があるのだぞ!」と怖い顔をして云うものでした。遠からず、薬を中止するだろうことは予想されました。 退院する時に今後の治療や薬を中止してしまった場合の予想される状況を伺い、病識のない父は、周りは苦労するが また同じ事を繰り返し学習することによってしか分かってもらえないのだろうか・・・歳も歳だし・・・と覚悟しておりました。 私も3月には本帰国し、実家まで数時間の距離の所に住むことになったので、日々電話をすることや何か予兆を感じたら、すぐに帰省し、母と協力して対処しようということにしました。

◇X+1年2月〜 しばらくの間は薬を服用していたものの、案の定、今日は晩酌をした・・とか、風邪薬を飲んだから・・などと云って、薬を飲まない日があり、後はもう必要ないと言い薬を中止してしまいました。母が代理で薬を何度か処方してもらいましたが、結局、退院してから父がその病院に行くことはありませんでした。 薬を中止して以降、3ヶ月ほどは何事もなく順調で、もしかしたら、かなりの低い確率ではあるが完治の可能性もあるのだろうか・・・と祈りましたが。。。

◇X+1年6月〜再発? 常に週に2、3回程は電話しておりましたが電話口での会話では全く気がつきませんでした。「独り言」を云うようになったという母からのSOS電話で帰省し、 2日程様子を観察した後、婿と同席の上で「ボウ〜としていたり、独り言をいったりするよ。いつものお父さんとはホントに違っているよ。」と婿の助けも借りながら、優しく?必死で説得し、「病院で検査してもらおうよ」「お父さんが納得できる病院でいいよ」と選択肢を与え、大学病院の精神科を受診することになりました。 薬物治療が必須ですから、先ずは病院を受診してくれて第一関門突破でした。

◇X+1年7月〜2006年5月それから大学病院の担当医の下、薬物治療を再び開始しました。最初は違う薬から始まり、異常なほどの眠りや口が無意識のうちに動くなどの副作用などもあって、すべてが順調とはいきませんでしたが、その後リスパダール錠剤2mg/日の服用になり見違えるように落ち着きました。この2mg/日がある程度の期間続き、その後薬の量が減り、X+3年5月まで1mg/日を服用していました。

◇X+3年6月〜X+4年12月初旬まで前月の5月に担当医が変わり、最初の一ヶ月は前担当医の処方と同じ1mg/日でしたが、翌月6月より0.5mg/日(1日置きに1mgの錠剤)に減り、そのままほぼ順調に過ごしてきました。勿論その途中何度かはもう私は何ともないし、薬には副作用があるのだぞ・・・と薬をやめたいようなことを口にすることもありましたが、「薬を中断したい気持ち」=要注意 と私たち家族は考え、続けるように励ましてきました。

◇X+4年 12月 再び再発?いつでも予兆は見逃さないようにと思ってはいるものの、かなりの長い期間順調に過ごしていたので、母、私自身、気が緩んでいたことも事実でしょう。 12月10日。母から「少し、SOS 。大丈夫だけれども、出来れば20日ころまでには帰省してもらえないか?」と云う電話がありました。一応薬は飲み続けているということでしたので、三日後帰省しました。 帰省した13日。相当に重症ではないけれど、やはり病気の症状(幻聴=独り言)が充分に現われていました。母によると、12月8, 9日頃が一番ひどく、夜中一晩中ぶつぶつと独り言を云い、母は胸が苦しかったそうです。 「再発した」と思った母は、一応担当医にも電話で連絡をいれ、この頃から以前処方してもらいながら余っていた錠剤を普段の服用とは別に、食事に混ぜて隠して飲ませていました。すぐに薬が効くのか否かは判りませんが、一晩中の独り言は二日間のみで、徐々にではありますが、独り言は減ってきているようでした。 翌14日。 前日とはうって変わり、元気な様子で車を運転し畑仕事をし、だいぶ落ち着いてきたのかな〜と思われましたが・・・ 15日。 大きく気になる点が一つ。私が父の車を貸してほしいと申し出たところ、「君は免許証をもっていないだろう」と主張され、(あれ??)「持っているよ」と伝え私の免許証を提示すると、それを手にとり、注意深く撫でながら「これはこの写真の部分は偽物じゃないか」というので。。。(ああ、表面上は落ち着いてきてはいるが、しっかり幻聴の影響下にあるのだなあ〜)と思い、「これは本物よ。お父さん自身の免許証は何処にあるの?お父さんのと比べてみたら?」と提案しチェックしてもらうと、偶然にも二人ともゴールド免許で同じ色であったため、どうにか偽物説は撤回となりました。また、NHKテレビを観ていて、「これは本当はもうNHKではないのだぞ」とかテレビのニュースの内容を「これは違う。これはもう昔に起こった事件じゃないか。なんで以前の事件を、違うことばかりを何度も放送するのか!」。新聞をみても 同様のことを言う。 上記の辻褄の合わない妄想と彼の様子(それ以降はボーとしていることが多く)や時々 独り言をつぶやいているので、まだかなり病気の中なのだろうと考えていました。 17日。 母と私二人で担当医に会う。(私はこの担当医とは初対面。)今回の父の様子を伝え、また普段の診察では 父はかなり厳しく短気な人なので父の目の前では実際に起こっていること・様子を母は語ることが出来ないのが本当のところであることやまた発症した直後の入院治療のことなどもお話し相談しました。患者自身が病識がない為に 診察時患者の目の前で本当のことを担当医と相談することが難しいのが実情で、こちらサイドにとってでもあるが担当医にとっても診断するのは大変なことであろうなあ〜とこの病気の治療の難しさを改めて感じた面談でした。担当医の指導により、しばらくは 1.5〜2mg/日 で様子を見ましょうということになりました。ほぼ 2mg強以上/日 服用。

◇X+4年12月26日〜X+5年1月3日年末から正月にかけて再び両親のところを訪ね、様子を観察。13〜18日よりは格段に病状は回復しているようでした。確実に独り言は減り、前回は幼い孫の相手は思うように叶いませんでしたが、この時は結構相手もしていました。しかし 未だテレビの情報中身などについて疑いの目で見ているようでしたし、いくつか辻褄の合わぬ事もまだ言ったりもしました。

◇X+5年1月前回担当医と面談してから3週間後の1月初めに 父の通常診察がありました。担当医の診断で、1mg/日(1日置きに2mg)の処方となりました。

◇X+5年2月父はだいぶ良くなってきているようだとはいうものの、あっという間に頼りの薬の処方は減になったと聞かされ少し不安に思い、遠く離れ電話だけをたよりに父の様子を窺っていても埒が明かないので、もう一度帰省。前回よりも 良い状態には感じました。睡眠は多いです。よく寝ます。但し、テレビをジーとボーと観たりすることが多く、また新聞もボーと同じ箇所を眺めてきちんとは読めていないような気がしています。消耗期であるのだろうと思ってはいるのですが、以前よりかなり認知能力が下がっているのではないだろうかと感じているところです。。。 また未だテレビの内容について違和感を持っているようです。普段に自分から口に出すことはなくなったような気はしますが・・先日の国会中継放送の折、ある国会議員が「私は小児科医でもありますが・・・」という件があり、耳の遠い父には聞こえなかったかもと思い、「あの議員は小児科医なのだって。今そう言っていたよ。」と伝えると、「あれはうそだぞ。あの議員は医者じゃないぞ。嘘を言っているのだ。云々。」と剣幕の父。国会議員についての知識は私は全くもってかなわないので、「え?どうして?云々。」と言いつつ、話題に終止符を打ちました。 *病状はだいぶ穏やかになってきてはいますが、まだまだ敏感な反応・状態であるように思えるのですが。。。

以上が、これまでの経過と現状です。父が受診してくれたこの大学病院で担当医の指導を受けながら、この薬物治療を続けていきたいと切に願っているのですが。。。父の病状について、どこか未だ不安に思う部分があり、是非ご意見を伺いたく思っております故、以下の質問にお答え頂ければ幸いです。 
1.現在の父はどういう状態にあると考えたら良いのでしょうか。私の目には未だ予断を許さない再発して未だ完全には落ち着いていないように感じるのですが・・・ 2ヶ月に1度の診察ですが、担当医は充分に診断くださっているのでしょうか? 勿論そう信じたいのですが、大学病院なので担当医は2年に1度くらいで変わりますから無理からぬことですが、発症の経緯や医療保護入院したこと等もご存知なかったことと目にみえて悪い症状の父をご覧になったことはないままここまできておりましたので、どうなのかな〜と少し不安に思っております。 また現在も父が時折テレビの内容などを嘘だと申したりするのは、現在も幻聴があるということなのでしょうか それとも 過去の幻聴の記憶の残骸でそう言っているのでしょうか。 
2.1と関連して この父の状態・時期、薬は1mg/日で充分なのでしょうか?急性期的症状が現われて相談に伺ってから3週間後、薬は減量されました。薬の量をこの相談ページの内容だけで、判断することは難しいとは存じておりますが・・・。私たちのこれまでの体験とイメージからすると1mg/日は症状がしっかり安定してからの量に感じるのですが。 実際のところ、担当医には本当に失礼をして申し訳なく思っているのですが、偶々1mgの錠剤がだいぶ余っていましたので、自分たちの判断で 先生の処方の[2mg/1日置き]以外に間の日に1mgをしばらく続けておりました(つまり、1.5mg/日)。 
3.高齢の父は病識はほとんどなく融通のきかない頑固な性格です。現在の所この病気以外は悪い所はなく元気ぴんぴんです。人間の寿命ばかりは分かりませんが、高齢であることには変わりないので このままの形で薬物治療を続けていければと願っています。症状の悪化を強く感じる時には 父に知らせることなく臨機応変に母が対処しています。時には隠して食事に混ぜて対処してきました。若い年齢であれば治療生活も長くなると思われるので、病識をもてるようにと働きかけたり違う形での対応であるだろうと思いましたが、年齢と性格を考慮し、このような形で対処しております。 但し、一点困っている事があります。父は現在も自動車を運転しております。車を使うのは10分圏内の畑や墓までではあるのですが、退職後に免許を取得したので運転は上手とは云い難い腕前です。健康ならまだしも独り言などの症状がでている時も運転してきました。入院した際の主治医は 薬を服用していれば運転してもまあ大丈夫ですということでしたので、必要ということもあり運転を続けてきました。免許の更新時や車検など切りの良い時期にこれ以上の運転はそろそろ諦めてもらえないだろうかと思っているのですが、自分の考えで生きている現在の父は年々その時期を延ばし考えも頑なになってきています。 車の運転を続けても大丈夫なのでしょうか?また車の運転をそろそろ諦めてもらう上手なアドバイスの仕方などありますでしょうか?最悪の場合は、次回免許更新の際父には内緒で免許交付センターの方に事情を説明し交付が適わぬようにしたい程の気持ちです。
以上、とても長くなってしまい申し訳ありません。が、父を看ているのは基本的に母であり、この母も年々歳をとってきており、父の症状が悪化する度にストレスがかかっているようで心配しています。不安に思っている点について先生のご回答/助言をいただければと願っております。 お忙しいとは存じますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。


林:
1.現在の父はどういう状態にあると考えたら良いのでしょうか。私の目には未だ予断を許さない再発して未だ完全には落ち着いていないように感じるのですが・・・ 

その通りです。

2ヶ月に1度の診察ですが、担当医は充分に診断くださっているのでしょうか? 

それが私にわかるはずはありません。

また現在も父が時折テレビの内容などを嘘だと申したりするのは、現在も幻聴があるということなのでしょうか それとも 過去の幻聴の記憶の残骸でそう言っているのでしょうか。 

統合失調症の症状をすべて幻聴に結びつけるのは誤りですし、また、結びつけてもあまり意味がありません。「時折テレビの内容などを嘘だと言う」のは、「統合失調症の症状がまださかんである」というのが最も正確な描写で、その背景には幻聴があるかもしれないし妄想と言えるかもしれない、あるいはまとめて思考障害というのが正しいかもしれません。いずれにせよあなたのご見解の通り、「未だ予断を許さない再発して未だ完全には落ち着いていない」であることは間違いないでしょう。

2.1と関連して この父の状態・時期、薬は1mg/日で充分なのでしょうか?急性期的症状が現われて相談に伺ってから3週間後、薬は減量されました。

確かに症状と経過からみて、この量は少なすぎると思います。

私たちのこれまでの体験とイメージからすると1mg/日は症状がしっかり安定してからの量に感じるのですが。 実際のところ、担当医には本当に失礼をして申し訳なく思っているのですが、偶々1mgの錠剤がだいぶ余っていましたので、自分たちの判断で 先生の処方の[2mg/1日置き]以外に間の日に1mgをしばらく続けておりました(つまり、1.5mg/日)。 

主治医に無断で薬の量を変えることは、もちろん望ましくありません。このような服用の仕方をしていたことは、どこかのタイミングで主治医にお伝えする必要があるでしょう。

3.高齢の父は病識はほとんどなく融通のきかない頑固な性格です。現在の所この病気以外は悪い所はなく元気ぴんぴんです。人間の寿命ばかりは分かりませんが、高齢であることには変わりないので このままの形で薬物治療を続けていければと願っています。症状の悪化を強く感じる時には 父に知らせることなく臨機応変に母が対処しています。

現実として妥当な対処だと思います。

免許の更新時や車検など切りの良い時期にこれ以上の運転はそろそろ諦めてもらえないだろうかと思っているのですが、自分の考えで生きている現在の父は年々その時期を延ばし考えも頑なになってきています。 車の運転を続けても大丈夫なのでしょうか?

症状から見て、大丈夫とは思えません。そして、運転を諦めさせることが出来るのはご家族しかありません。したがってそれはご家族の責任であると考えるべきです。何としてでもやめさせなければならないとお考えください。




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