精神科Q&A

 【1462】自分は統合失調症かもしれない。しかし完全な病識を持てるまで治療の決心がつかない。


Q:20代前半の男性です。
先日精神科の医師から統合失調症の疑いがあると告げられたのですが、その医師からはこの病気の症状や、早期治療が必要なことといった重要な説明を全くして頂けず、正直信頼しかねています。

そこでできるだけ自分で診断の妥当性を検討したく思い、情報を集め、貴ウェブサイトのQ&Aも詳しく読んでみました。
すると【1329】の訴えに見られる両価性の概念というものが自分にもあることに気付きました。
頭の中の2極化した概念について、現在自分としてはどちらに重きを置いているのか、その判断基準がいつしかどこかへ消えてしまったようか感じがして、自分の考えで行動しているという感覚が殆どありません。
瞬間瞬間でどの意見を採用したらよいのか自分でわからず、面と向かった会話や電話の後は自分が妙なことを言ったのではないかという不安が強くのこり、何時間も考え込んでしまうことがあります。
その対策に、朝起きて自分の考えをメモしておいても、夕方に見るとそれが他人の意見のような気がしてしまいます。
根本的な人生観についてもそうで、私の場合、本来誰にも備わっている動物的本能を、道徳教育の名のもとに無理やり抑圧しておきながら、充分に教育されなかった不幸な人たち(環境や経済的理由により)が、その本能的欲求と道徳的拘束の矛盾に耐えられず、衝動的な犯罪を起こしてしまうようなケースに対し、教育を失敗した社会が彼らを刑罰して滅ぼしてしまうこと。つまり社会の罪を個人の罪としておしつけるような体制。
また道徳的に発達した人が、家族へ負担をかけてしまうからという理由で自殺するといった事件を社会が嘲笑するようなこと(社会的に道徳心を植えつけられた人が、その良心のために苦しむことを、当の社会が嘲笑するということ)などさまざまな矛盾が存在し、しかも皆それを承知で平気にしていることなどが気になってしまい、自分でもどちらの立場をとるべきかわからなくなっています。
物事の2面性ということは当たり前のことであり、人の行動に善悪など無いのに、自分の道徳的意見を押し通していること、それが社会にまかり通っていることなどを知ったりすると混乱してしまいます。
悩み相談などで自殺したいといおうものなら引き止められ、相談者の意思は抹殺され、被相談者の意思が尊重されることになるわけで、これでは被相談者のみが利益を受ける可能性もあるなどと考えてしまいます。別の面もあることはわかっているのですが、では自分はどの意見なのかといわれると困惑してしまいます。自分の意見が他人のものに思えます。

また1ヶ月ほど前に、「自分の思考がどこかへ消えてしまった、他人の考えで体が動いていることが恐ろしい」といった内容のうわ言を言ったそうです(家族がそういっています)。

まだ妙な感覚は色々あるのですが、長くなるので重要と思われることだけ(統合失調症の症状といえるようなものだけ)書かせていただきました。
ただし典型的な症状といわれる幻覚幻聴は全くありません(自覚しにくいことは承知していますが)。ただ人前に出るのが異常に怖くなっており、テレビ・ラジオも賑やかな番組だと視聴するのがとても辛いです。人ごみの中で顔をしかめることが多く、外出は最低限のことしかしたくない状態です。今も外で人の声がしていますが異常に怖いです。

病名の診断については他の医師に診察を受けることも検討していますが、人と対面すると自分の中の多くの意見から適当に選び出してとりつくろうようなことになりやすく(自分ではそのときは異常に気がつきません)、書面での相談も必要かと思っています。しかし、またその考えも自分で考えたことなのかわかりかねるのでとにかくできるだけ多くの手がかりを得ておきたいと思い、質問させていただきました。
本当に統合失調であれば早くに治療を、ということなので不安になっています。会社への連絡の問題も控えており焦ってきています。
しかし誤診で薬を飲んでしまった悲劇といった情報も目にしてしまい、自分で確実に病識を持つまで治療を受ける決心がつかないのです。
家族にも統合失調症の疑いがあることはまだ言っていません。敵味方の区別もつきかね、近しい人ほどこのことを打ち明けにくいです。
自分の心すら自分に味方していないような不安があります。真剣に考えて行動したことが余計に自分を追い込んでいる気がしています。
会社や家族のためにも治療を受けねばならないとは思うのですが、私の人生なのに彼らのために行動しなければならないのでしょうか?
彼らは私の一番いいようにしろというのですが、本当にそうした場合彼らが納得しないのは明白です。
私が本心に従って潔白な行動をとったら周囲が破滅するという状況になっている気がします。うそをつくほうが社会的に立派な行為なのでしょうか。
道徳は個人のためでなく社会のための概念ということを理解しなくてはいけないのでしょうか。
正直いまは彼らの存在が負担になっているのですが、どうすればいいか困っています。
脳神経科も受信したのですが、症状を話したら腫れ物に接するような対応をされたりして、実際の病院に行くのが怖くなっています。

この相談内容については何度も読み返しましたので、自分の本心だと思います。
お忙しいところ恐縮ですが、宜しければ林先生のご意見を頂けたらと思います。


林: 医師から統合失調症の「疑い」と告げられたとのこと、「疑い」といってもニュアンス的には「実はほぼ確実に統合失調症」という場合から、「可能性は低いがもしかすると統合失調症かもしれない」という場合まで、かなりの幅がありますので、何とも言えないところではありますが、このメールの内容からは、むしろあなたが統合失調症である可能性は低いように思います。
まず症状ですが、詳細に書いていただいている両価性のこと、もう一つは

また1ヶ月ほど前に、「自分の思考がどこかへ消えてしまった、他人の考えで体が動いていることが恐ろしい」といった内容のうわ言を言ったそうです(家族がそういっています)。

これですが、うわ言ということは、寝ぼけのような状態でのことでしょうか? だとすると、診断のための情報としての価値は低いということになります。

それからもう一つは、

人前に出るのが異常に怖くなっており、テレビ・ラジオも賑やかな番組だと視聴するのがとても辛いです。人ごみの中で顔をしかめることが多く、外出は最低限のことしかしたくない状態です。今も外で人の声がしていますが異常に怖いです。

これらは確かに統合失調症の初期に見られる症状ですが、まだかなり漠然としていて、決め手にはなりえません。ここは、

まだ妙な感覚は色々あるのですが、長くなるので重要と思われることだけ(統合失調症の症状といえるようなものだけ)書かせていただきました。

この「妙な感覚」の具体的情報がほしいところでした。それがあれば判断は変わってくるかもしれません。
が、とりあえずその情報なしで回答するとすれば、先に言ったとおり、あなたが統合失調症である可能性はむしろ低いと思います。

というのは、仮に今のあなたが統合失調症の発症の初期にあるとすると、このメールに書かれているようなご自分に対する洞察を持てることはきわめて稀だからです。それは両価性についてもそうですが(【1329】にもお書きしたように、両価性自体、統合失調症の人から明確に語られることは少ないものです)、症状全体についてもいえます。(たとえば【1329】のメールと比べれば、洞察の質の違いは一目瞭然でしょう。これは【1329】の質問者とこの【1462】の質問者の知的能力の違いという見方もできますが、いかに知的能力が高くても、統合失調症が発症した場合、初期の未治療の段階で、自己の症状をここまで洞察できることは滅多にありません)。

したがって、この【1462】は、たとえば統合失調症型パーソナリティ障害 Schizotypal personality disorderなどが疑われると思います。

とはいうものの、統合失調症の可能性はもちろん残されています。そして、特に統合失調症では、

自分で確実に病識を持つまで治療を受ける決心がつかないのです。

この姿勢は間違っています。精神科Q&Aの統合失調症の内容をお読みになればおわかりと思いますが、「確実に病識を持つ」ことが、統合失調症の人に出来るとすれば、それは治療の結果として初めてあり得ることであって、逆に病識を持つことを治療開始の条件にしようとするのは非現実的な理想論にすぎず、その先には悲劇しかありません。

なお、

その医師からはこの病気の症状や、早期治療が必要なことといった重要な説明を全くして頂けず、正直信頼しかねています。

とのことですが、仮に主治医があなたを統合失調症と診断していた場合、初診の時点で症状や経過・治療の説明をするとは限りません。したがって、このことをもってこの医師を信頼しないというのは間違っています。
 引き続き、この医師の診療を受け続けることをお勧めします。


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