精神科Q&A

【1447】従兄弟が自殺してしまいました。私にできたことは?


Q: 私は30代の女性です。先日、従兄弟(20代・男性)が自殺をしてしましました。

従兄弟とは幼い頃はよく遊んだのですが、家庭の事情でここ10年以上、ほとんど会う機会がなくなっていました。従兄弟の親が別居することになり母親に引き取られたためです。
しかし、その母親から虐待を受けていたということで数年前から父親(私の父と兄弟です)と一緒に住むことになりました。

それからは法事などで会う機会はできたのですが、彼の目はうつろであまり目を合わせることもなく会話もこちらが投げかけたことに対し一言二言返し終わってしまうという状態でなかなかコミュニケーションがとりづらく、恥ずかしながら彼の心境を推し量ろうとする努力もせず、疎遠気味となっていました。

また、この数年、叔父(従兄弟の父)から私の父(従兄弟の父の兄)を通して聞く話では彼は数年前から
「強迫的に手を何十回も手洗い、うがいを繰り返す」
「道ですれ違う人がみな自分のことを笑っている」
「道ですれ違う人がみな私のことをバカといっていく」
「家の前に停まっている車が自分のことを見張っている」
「一日中家に引きこもっている」
などと言っていたということでした。

私や父はすぐに統合失調症を疑い、叔父に対して従兄弟の積極的な精神科受診を勧めたのですが叔父は「息子の心の問題はそんな簡単なものではなく、以前かかった精神科でも中途半端なカウンセリングなどに辟易した」という想いがあるようで受診にはあまり積極的ではなかった様子でした。
もちろん叔父も幻聴のような症状には気づいてはいましたが、「彼の苦悩は幼児期から思春期の虐待による心的ダメージが基盤となっており、そこを中心にケアしないことには苦悩から開放されない」と考えているようでした。

病院にも通ってはいたようですが、親も本人も苦悩が病気から来ていると思われることに不快を抱いていたようです。そのため、服薬がきちんとされていたかは疑問です。

叔父も考えを曲げない人でしたし、何より息子の味方でいたかったのだと思います。
「精神病によるもの」と受け止められることを嫌い、自分の傷を理解してくれる人がほしい、という息子の理解者になってあげたかったのだと思います。
亡くなった後も叔父は「精神病」という言葉は一切避け、幼児期の虐待が辛かったんだろう、と受け止めています。

もちろん統合失調症様の症状がたとえ薬で治まっても、抱える心的外傷は想像しがたいほど辛いものなのだろう、ということは私も分かっていたつもりではありました。。
しかし心のフォローは心のフォロー、病的な症状には薬できちんと対応しないと悪循環になってしまうんじゃないかな、などとアドバイスをしたこともありましたが、ほとんどは聞き流されていたように思います。

自殺は思いもがけないタイミングでの実行でしたが、後になって思うと兆候がなかったわけではありません。
前日から叔父の留守時に錯乱状態となり父に助けをもとめて電話をし、強迫的に「想い出の場所に連れて行って」と訴え、一晩中父親の腕にしがみついていたといいます。

この時点で叔父の賛同を得られなくとも入院させてしまった方がよかったのでしょうか。

私は医療関係の仕事をしていて、多少精神医学も習っていたため、この「思いがけない自殺」の可能性もまったく予測していなかったわけではないんですが、でも、やはり、油断してしまっていました。
この事件のことは事後報告であったため、私はかかわりようがなかったのですが。

私は親戚一族の中でも学力があるほうではなく、特に発言力が強いタイプではなかったため、私のアドバイスに叔父や従兄弟も耳を傾けるわけもなく、もっと積極的な治療を促していくことができなかったのですがそれでも、なにかしら私にできることがあったかもしれないと思い、彼の命を救うことができたのではないかと思うと悔やまれてなりません。

もう二度と遭遇したくない状況ですが、もしまた同じようなケースに出くわした時、第三者という立場からどのように彼らをスムーズに治療に取り組んでもらえるようにすることができるのかアドバイスをいただければ、今後の参考にしていきたいとおもいます。どうぞご助言よろしくお願いします。


林: 診断は統合失調症(精神分裂病)で、自殺という最悪の帰結になった。治療が十分になされなかった統合失調症の経過の、一つの典型例です。
とまとめてしまうとあまりに素っ気なく、場合によってはなんと人間味のない解説だとご批判を受けることもあるかもしれません。しかし、事実は事実としてまず指摘しておきたいと思います。この【1447】は、ごくありふれた典型例です。数年前から統合失調症の症状が認められていたことは明らかで、しかしご家族が病気を理解しようとせず、治療に懐疑的であれば、このような帰結になることは、その時点でかなり強く推定できたことです。つまり、自殺は起こるべくして起こった事態であると言えます。【0632】【1172】などもご参照ください。

叔父も考えを曲げない人でしたし、何より息子の味方でいたかったのだと思います。

それはその通りなのでしょう。けれども、ご本人の意思とは裏腹に、叔父様は息子さんの味方ではなかったと言わざるを得ません。敵であったと言うことさえ可能かもしれません。

「彼の苦悩は幼児期から思春期の虐待による心的ダメージが基盤となっており、そこを中心にケアしないことには苦悩から開放されない」と考えているようでした。

息子さんについて心からの心配に基づく考えであることに疑問を差し挟む余地はありません。けれども、この考えには二つの大きな問題があります。
第一は、「・・・心的ダメージが基盤となっており、そこを中心にケアしないことには苦悩から開放されない」が、仮に事実だとしても、その具体的で有効なケアの方法がない以上、この考え方は本人を見捨てていることと同義です。
第二は、この考えは誤りだということです。いや、非常に深い意味では、誤りとはいえず、それどころか、最も真実に近いかもしれません。それでもいま「誤り」と断言したのは、精神医学の長い歴史の中で、統合失調症の成因について、虐待を重視する説もあったことはあったものの、結局はおおむね否定されているからです。つまり、過去の虐待についていかに深くかかわりそのトラウマの解消に努力しても、統合失調症は治らないことは、疑いのない事実です。それを無視して、「自分の息子に関しては例外である」ともし主張したとしても、その結果が良いものになり得ないことは明らかです。

亡くなった後も叔父は「精神病」という言葉は一切避け、幼児期の虐待が辛かったんだろう、と受け止めています。

もちろんこれも誤りです。これは統合失調症という精神病による自殺です。
けれども、その人にとっては一回限りの人生です。すでに最愛の息子さんを失ってしまった今、残りの人生でこのような誤りを信じ続けることを批判しても何もならないでしょう。

しかし、他の人々、現在、統合失調症のご家族を持つ人々、統合失調症の人にかかわっている人々にとっては、そうではありません。病気についての思い込みや無知を修正せず、単純な信念に基づいて行動すれば、助けられたはずの統合失調症の人を助けられず、次々に自殺者を生み出すことになります。

なにかしら私にできることがあったかもしれないと思い、

こうして貴重な体験を公表していただくことが、多くの人々の病気に対する正しい認識を深めます。多くの読者、たとえば【1435】の質問者にとって、この【1447】は、大きな意味を持つものになるでしょう。
従兄弟という立場のあなたにとって、できることには限界があり、事実、限界近くまであなたは努力されたと思います。結果は残念なものでしたが、これをお読みになった方々が、その結果を生かしていただけると信じます。


精神科Q&Aに戻る

ホームページに戻る