精神科Q&A

 

自分が出来ることの限界を設定することに抵抗を感じられるかもしれません。あなたは、

私の包容力の不足がその女性をかえって苦しめているようにも感じています。

とお書きになっています。この文脈からいうと、限界を設定することは、包容力の不足を認めることだととられるかもしれません。

しかし、そう解釈するかどうかは非常に難しいところです。
 限界を設定せず、あなた自身が限りない忍耐力を発揮して何もかも受け入れ続ければ、もしかするとこの方は安定するかもしれません。しかし、それは二人の関係という限りにおいてになると思います。それは、結局あなた自身が、外部に対しては境界型人格障害であるのと同じようにふるまうことになるかもしれません。しばしばそういう人はいます。
【0009】でご紹介した、「こころの悩み」の精神医学の境界型人格障害の章「境目にいる人達」 に描写されている「お助けおじさん」はまさにその典型と言えます。精神科を受診する境界型人格障害の方には、友人と称するこのようなタイプの人が付き添われることが時々あるものです。
 こういう人が、境界型人格障害の方にとってプラスになっているのかマイナスになっているのかは難しいところでしょう。(このように書くと、暗にマイナスであると言っているようですが、そうではなく、本当に難しいと思います。ただ、医療の側からいうと、こういう「お助けおじさん」的な人は、治療経過においてはマイナスになることは間違いありません。過度の依存を助長させ、そこから脱する機会をことごとく奪っているからです。しかし、本人にとってそれが本当にマイナスかどうかは、とても長い時間単位で考えなければわからないことでしょう。ただし、それには「お助けおじさん」が、とても長い期間にわたってその境界型人格障害の方を支える必要があることが条件ですが)

 包容力とは、相手を受け入れるということでしょう。しかし、それはどこまでなのか。すべて受け入れるのが包容力なのか。これは、境界型人格障害の文脈を離れて、そもそも包容力とは何なのかという問題を考えざるを得ないでしょう。


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