精神科Q&A

【0606】脳の異質感について


Q: 私は31歳の男性です。もともと三人家族ですが、現在は以下にお話しする理由で、母と二人で暮らしています。

私は精神病を患って10年、自覚して5年、現在自宅で2年目の静養期間にあります。
大学入学後、対人恐怖や慢性的うつ症状、考え込み、不眠などの状態に陥り、不登校傾向を続け、精神科に通院しながら、卒業に7年がかかりました。
なんとか就職したものの、やはり大学生活以上に社会適応は困難であり、1年足らず勤めたものの、不眠やうつが続き、立ち上がれない朝が来ました。その後精神科に3週間の入院をし、仕事や辞め、現在の自宅静養に至っております。

治療は仕事を辞めてから1年続けましたが、主治医の転勤を期に中断しました。
睡眠薬の処方とカウンセリングでしたが、症状が安定してきたので、自宅静養に落ちつくことにしました。

精神科では、病名を得るまでにしばらく時間がかかりましたが、境界型人格障害の可能性が高いとの診断を受けました。今、私もこの診断に妥当性を感じています。

落ち着いてきた今、自己分析できることを挙げさせて頂きます。

1.私が苦しみ始めるのは、必ずなんらかのコミュニティーに身を置いてからであるということです。
  大学、サークル、アルバイト、職場、どこに身を置いても、同じように悩み始め、
  考え込み、うつ、不眠に陥りました。外部環境(社会)に問題がある訳ではなく、
  自己の内側の対人能力、社会適応能力の問題だと自覚しました。
  静養して、外部環境との関わりを持たずにいることで、強いストレスがなくなり、不眠などの症状は治まりました。

2.考え込み始めると、思考が渦を巻いて止まらなくなる。3日間眠れなくなる程続きます。
  この症状が重くなると、まばたき一つせずに天井を呆然と見つめ、幻聴に至ることもありました。

3.薬物療法は効いたという実感がない。
  通院当初はうつ病治療を続けましたが、抗うつ剤は効きませんでした。
  僕自身、これは、より性格的な、人格的な問題なんだろうと自覚しました。
  効果がないことから、薬物療法はやめました。

4.「境界型人格障害」らしい面
  ・常に虚しさを帯同している。無気力。無感動。無表情。
  ・自分がないと感じる。自在感や自明感の欠如。
  ・共同主観の欠落。これは主治医に指摘された点です。
  ・自意識過剰。他者からの評価が気になる。
  ・嘘をつく。他者との関係を悪化させないことに注力し、突発的に自分を取り繕い、
   作り上げた虚飾の言葉や態度でその場をしのぐ。自己顕示欲も働いている。
   本心などというものはもはや無い。後に必ず自己嫌悪に陥る。

5.「境界型人格障害」らしくない面
  ・他者への攻撃性はありません。
  ・また自傷行為や自殺願望などもないと思います。自分を責めてアルコールに溺れる
   ことはありましたし、死にたいと思ったこともありますが、実際に行動に移したことはありませんでした。

これらの症状から、境界型人格障害の傾向が強いということは自他の認識が一致する所で
あることと思います。

2年間も外部環境にさらされることなく、家族の認識もある程度得られ、落ち着いてこの病気の根本原因を見つめていくうちに、気がついたことがあります。
つまり、負荷のかかっていない、まっさらな自分の奥底に潜む、潜在的な異常状態のようなものです。

それは、「脳の一部分の機能停止」感覚です。
この感覚は、思えば15歳くらいの頃からあったものです。今になって始まったことではありません。異常だとの認識は無かったのです。他人の脳の状態などと比較できないですし、読み書き計算、論理的思考などには支障は無かったため、自分でもおかしいとは気づきませんでした。

位置的には、目と鼻の付け根の奥の辺り、頭部の中央部分あたりだと感じています。
機能停止感覚という表現はまさに「感覚」であり、実際に停止しているかどうかはわかりません。
他の表現をするならば、機能硬直感、血の固まりがあるような異質感、あるいは逆にぽっかり何も無いような空洞感、といった感覚なのです。「痛い」というものではありません。
この感覚は常にあります。体調の変化や、うつ症状があろうとなかろうと、常にあるものです。そして消え去ることはありません。

あるお医者様が、
「健康な体は、その存在に無自覚なものだ。誰も心臓や肝臓の存在に無自覚である。痛みや違和感を覚えて初めて、その存在を実感する。」
という事を言っておられるのを耳にしましたが、なるほど、ということは、私が脳の一部に覚えるこの異質感というものは、やはりなんらかの脳の異常状態の実感なのではないかと思えるのです。

また、精神科で知り合った50代の女性が同じようなことを訴えていました。
「頭の奥のほうに、‘わっか,のようなものがあり、それがとれない。」と言っておりました。
この方の病名などは知りえませんでしたが、対人恐怖やうつ症状など、私と同じような症状を持った方でありました。

では、この脳の一部分に感じる異質感と、境界型人格障害との関係はあるのでしょうか?
この点が、林先生に何卒お尋ねしたいことであります。

ここから先は、私なりの仮説です。
私は15歳前後の頃から、心から笑ったり、泣いたり、自分の感情を表出したりすることがありませんでした。
感動したり、共感したりすることが無い。意欲、覇気たるものが湧き上がることもありませんでした。
写真に残る私の顔は、15歳あたりから、無表情なものばかりです。

私の脳に起きた異変とは、漠然とした表現ですが、「感情」的な部分を司る脳神経の機能停止、機能硬直、機能萎縮のような事態ではないのでしょうか。
私は、「感じる」という能力を失っているのではないでしょうか。
感情表出ができない、感情共有ができない、これが対人関係を築けない最大の原因であり、
自在感や共同主観を失った、境界性人格障害の根本原因ではないでしょうか。

感情を押し殺していった少年期のことを、実はしっかりと覚えているのです。
そのことについて、触れさせて頂きたいと思います。

それは不条理な父との葛藤の歴史です。
父は威圧的で暴力的、利己的で思いやりのかけらもない、手に負えない人間でした。
私が小さいときから、とっかえひっかえ女をつくり、家には月に2度ほどしか帰ってきませんでした。帰ると怒鳴り散らし、母は怯えていました。子供の私はいつも逃げるように部屋に隠れていました。飼っていた猫をマンション3階から投げ飛ばした時、母と二人で家出をしたことを思い出します。

父の威圧と強権さは私の青年期に影を落とし続けることになりました。
「お前は東大に行け。」 
小学4年生のころ唐突に突きつけられた命題でした。
父権的で男尊的、権力志向的な発想から、一人息子に課したことだったのでしょう。私は塾に行かされることとなりました。しかし、この頃の私はまだ健全な感情がありました。
友達と野球などをしてよく遊び、活発に生きていました。反発することができたのです。
「僕は東大なんか行きたくない!塾にも行きたくない!友達と遊んでいたい!」
怒鳴られても反発することができました。
結局、勉強に身が入らず、中学受験は失敗に終わりました。
しかし、その結果を受けての父の発言が、私の心に深く突き刺さりました。
私に対する、目一杯のあざけりと見放しの意を含んだ、悪魔のような言葉でした。

「お前は駄目な奴だったんだな。ハッハッ。何の才能もないんだな。もうお前には
なんの期待もしないからな。ハッハッ。」
嫌味な笑みを浮かべながら、小さなゴミを投げ捨てるかのような態度で言い放ち、部屋を出て行きました。隣室からは私への父のあざけりの笑いがいつまでも聞こえていました。

私は、あの時ほど、悔しく悲しい気持ちに襲われ夜通し泣き続けたことはありません。
悔しい気持ちと同時に、見捨てられたような悲しい気持ちだったと覚えています。

その後も、父の家族に対する裏切りや暴力は続きました。
私は、父への憎しみ、恐怖感、不信感を拭い去ることなく抱き続けました。
しかし、私は反発する力を次第に失っていきました。恐怖感や、あの悲しみが、自分の正義感や猛々しさを押し殺していってしまったのでないかと思います。

ただ一点、私の中で屈辱感との戦いが始まったことが変化としてあげられることです。
「自力で東大にいくしかない。父を見返すというより、傷ついた自尊心を取り戻すために。」
そんな思いで、次第に一人黙々と勉強に打ち込むようになっていきました。
中学3年間は勉強に自我同一し、進学高校に合格し、理数系を専攻し、好きな野球をやめて本を選び、物理や哲学の世界に一人邁進していきました。
ただし、決して喜びに満ちて心から笑うことはありませんでした。次第に友達付き合いも減り、活発だった頃の面影が薄れていく、そんな中学高校の6年間を過ごしていきました。

そして東大に合格しました。
僕の現実世界における戦いは終わりました。合格発表の胴上げの光景を傍観し、うれしいなどという実感は無く、心身が呆然とし、ただ疲れきった青白い無表情な男が、母により写真に収められました。

人との関わりを持たず、感情的なものを押し殺していった私の歴史は、ここまでの述懐で十分だと思います。その後のことは冒頭に述べたとおりです。
大学での勉強が続かなくなったのは、僕の心に、真に物理や化学に対する現実的な課題が無かったからです。心にはもはや何も無かったのだと思います。
コミュニティーへの適応が出来ない、内向的で考え込みがちな、生きることに目的や意味の見出せない無気力な男が、朦朧としながら7年間の大学生活を送ることになりました。

現在、父と母は別居し、私は母と同居しています。父への憎しみなどの思いは長い時間をかけて、磨耗してしまいました。これは母も同じようです。父は依然として、何人目になるかわからない女を見つけ、せっせと貢いでいます。社会的立場から、離婚には応じない相変わらず自分勝手な人間です。
今さら誰も怒りはしません。いつからか、家族は父を見放しました。

話が長くなりまして、大変申し訳ありません。
林先生にお尋ねしたかった脳の関係のことから、話が反れてしまったように思わるかもしれませんが、今述べた家庭環境の歴史は、全く無関連なことではないことだとご理解いただけると思います。

私の仮説を総じてまとめさせて頂きます。
「父への憎しみや恐怖は、私の内側で、自らの感情や性を憎しみ否定しようという歪んだ方向へと働き、他者と関わりを持たない受験勉強という孤独な作業も手伝って、歪んだ人格を築いていってしまった。脳の中央部に残る異質感、機能硬直感は、自分の感情を押し殺そうとした戦いの痕跡であり、その後の社会不適応、感情表出や感情共有を阻害する原因、つまり境界型人格障害の原因となっている。」

「脳の異質感」を持ち込まなくても、家庭環境起因説でもって、私の病気を解釈することは可能ですし、これまでのカウンセリングでは確かにそうでした。
しかし、私には、この脳の異質感、機能硬直感という感覚を治し、取り除かない限り、感情が蘇ることも、意欲が湧き上がることもないのではないかと、落ち着いた今、痛切に感じているのです。

従って治療というのも、ある種、脳内に劇的な作用を施すような「体験」的なもの、脳の硬直感を解き放つような、押し縮み込まれた感情を解放するような、なにかが必要なのではないか、そんな風に思っております。
あるいは、脳神経学的に、こうした症状に効果のある薬物はあるのでしょうか?

林先生のご見解を何卒お聞かせ願いますでしょうか。
私の説明では、病状認識などについて、他にも大切な点が抜け落ちているかもしれませんし、仮説自体が間違っているのかもしれません。
先生の総括的なご見解を何卒お聞かせ願いたいと、心よりお願い申し上げます。

最後に、当サイトを開いて、私の他にもたくさんの方が様々な要因でそれぞれの精神病に悩んでいるということを、改めて知りました。
私のこの質問が、私と同じような苦しみを感じている人たちの、何らかの参考になればと願います。

この病気の苦しみ、虚しさは、たとえるならば、
「生きるという大きな川、その流れについていけなくなり、泳げなくなり、溺れそうになって岸に逃れ、座り込んで呆然としているような状態だと感じています。
多くの健康な人たちは、川の中で日々流れに乗って生き生きと泳いでいるように思います。
自分だけは、生きるという川に入っていけない、飛び込んでも流れに乗れずに、溺れてしまう。」
そんな感覚を感じている人は私だけではないかもしれません。

一言で言うなら、「生きていることの実感に触れられない。」ということだと思います。

重ね重ね、ご見解よろしくお願いいたします。
長々と、大変失礼いたしました。


: 大変詳細にあなたご自身のことを書いていただきありがとうございました。深い病理が感じ取れる内容で、あなたの苦悩が皮膚に伝わってくるような印象を受けました。全体をあなたは以下のようにまとめておられます。

私の仮説を総じてまとめさせて頂きます。
「父への憎しみや恐怖は、私の内側で、自らの感情や性を憎しみ否定しようという歪んだ方向へと働き、他者と関わりを持たない受験勉強という孤独な作業も手伝って、歪んだ人格を築いていってしまった。脳の中央部に残る異質感、機能硬直感は、自分の感情を押し殺そうとした戦いの痕跡であり、その後の社会不適応、感情表出や感情共有を阻害する原因、つまり境界型人格障害の原因となっている。」


あなたの人格形成についてのこのまとめは、的を得たもののように思えます。
 ただし、水を差すようで申し訳ないのですが、あなたのメールの文章全体がこのまとめに集約する形で書かれている、別の言い方をすれば、このような仮説を持っておられるあなたがお書きになるこれまでの経過を読む限りにおいては、あなたの仮説が的を得たもののように思えるのは当然とも言えますので、本当はあなた以外の方からの客観的な情報が欲しいところです。(もちろんこれはメールで相談を受けるという形を取る限りは避けがたい問題です。この問題については、【0584】でも触れました。あなた自身も「病状認識などについて、他にも大切な点が抜け落ちているかもしれません」と、この点について冷静な洞察を持っておられますね。)

それはともかく、ここではご質問のタイトルにもなっている、脳の異質感について回答したいと思います。まず、脳の異質感についてのあなたの記載を抜粋してみます。

位置的には、目と鼻の付け根の奥の辺り、頭部の中央部分あたりだと感じています。
機能停止感覚という表現はまさに「感覚」であり、実際に停止しているかどうかはわかりません。
他の表現をするならば、機能硬直感、血の固まりがあるような異質感、あるいは逆にぽっかり何も無いような空洞感、といった感覚なのです。「痛い」というものではありません。
この感覚は常にあります。体調の変化や、うつ症状があろうとなかろうと、常にあるものです。そして消え去ることはありません。

私の脳に起きた異変とは、漠然とした表現ですが、「感情」的な部分を司る脳神経の機能停止、機能硬直、機能萎縮のような事態ではないのでしょうか。


あなたが自覚しておられる脳の異質感そのものは、よくわかるように思います。しかし、単刀直入にお答えしますと、このような異質感が、
「感情」的な部分を司る脳神経の機能停止、機能硬直、機能萎縮
ということは、医学的には通常はあり得ません。
脳神経のどの部位であれ、その機能障害が局所的な異質感として自覚的にとらえられることは、通常はあり得ません。

いま「通常は」と言ったのは、慎重かつ控えめな表現であって、「あり得ません」と言い切ってもいいと思います。そうです、医学的な常識としては、あり得ないと言っていいでしょう。ただ、自覚的な症状というものはあくまでも主観的なもので、厳密には他人には絶対に把握できないものであるため、客観的な科学の一分野と一応は考えられる医学には限界があるという理由から、「通常は」という表現をとっているとご理解ください。

そして、医学的にはあり得ない自覚症状を強く訴え続けるという病態は、心気症状という用語でまとめられています。その中で、身体の一部の違和感や異質感を訴え続けるのは、一般にはセネストパチーと呼ばれています。これに似たものとして、Monosymptomatic hypochondriacal psychosis があります。日本語の定訳はないのですが、とりあえず単一症候性心気精神病とここでは呼ぶことにします。

単一症候性心気精神病のひとつの大きな特徴は、患者さん本人が症状について独自の解釈をすることで、その多くは妄想的です。というより、妄想的な解釈をされている場合に単一症候性心気精神病と呼ぶ、といったほうが正しいでしょう。

このような説明をしてくると、あなたの感じておられる脳の異質感は、単一症候性心気精神病だと私が言っているようですが、そうではありません。あなたの解釈は、妄想的といえるレベルのものではなさそうだからです。

あなたの解釈をもう一度見てみましょう。

脳の中央部に残る異質感、機能硬直感は、自分の感情を押し殺そうとした戦いの痕跡であり、その後の社会不適応、感情表出や感情共有を阻害する原因、つまり境界型人格障害の原因となっている。

私には、この脳の異質感、機能硬直感という感覚を治し、取り除かない限り、感情が蘇ることも、意欲が湧き上がることもないのではないかと、落ち着いた今、痛切に感じているのです。


これらは、妄想的解釈とは言いきれないと思います。
もし、この解釈についてのあなたの確信度が極めて強く、いかなる説明を受けてもこの解釈に拘泥されれば、妄想的と言ってもいいでしょう。しかし、現時点では、そうは言い切れないと思います。(もちろんこれはメールの文面からの印象に過ぎませんが)

従って治療というのも、ある種、脳内に劇的な作用を施すような「体験」的なもの、脳の硬直感を解き放つような、押し縮み込まれた感情を解放するような、なにかが必要なのではないか、そんな風に思っております。
あるいは、脳神経学的に、こうした症状に効果のある薬物はあるのでしょうか?


ここでも同じことが言えます。もしあなたが、「こうした症状に効果のある薬物」を執拗に求められれば、妄想的であると診断せざるを得ないでしょう。

以上、あまり明快でない回答で恐縮ですが、ポイントとしては、あなたの感じておられる脳の異質感が、脳の特定部位の機能障害を反映しているとか、さらには境界型人格障害の背景にある、という解釈は、医学的には考えられません。もちろん先に述べましたように、ことに主観的症状については今の医学が絶対に正しいとは言えませんが、もしあなたがあなたの解釈にこだわり続ければ、妄想と判断せざるを得ないでしょう。

続きを読む (2004.10.5.)


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