精神科Q&A

【0075】 精神障害者の犯罪について


・・もう少し解説します

「精神障害者は怖い、危険だ」という考え方と関係することとして、「精神障害者が何をしても無罪というのはおかしい」という意見がよく聞かれます。これは、2つの大きな誤解に基づく意見であると言えます。まず第一に、精神障害者だからといって無罪になることはほとんどありません。無罪になるのは、@精神鑑定で心神喪失(責任能力なし)と判定され、しかもA裁判でその鑑定結果が採用された時に限ります。それは確かにあり得ることですが、現在の日本では事実上はほとんどありません。また第二に、精神障害のために責任能力なしと判定された場合に無罪になるのは日本に限ったことではなく、ほとんどの先進国で同じです。つまり、逆に、責任能力がなくても構わずに刑罰を科する方が不合理と考えられるわけです。
 このように、精神障害と犯罪に関しては様々な誤解がありますが、では誤解をとけば解決するかというと、残念ながらそうはいかないと思います。今の日本には、大きく分けて三つの問題点があると思います。


第一は、精神障害者が事件を起こして裁判で責任能力なしと認められて無罪になったあとの法律が整備されていないということです(この状況は2005年に変わりました。次ページ、および次々ページをお読みください)。ドイツやイギリスなどには、無罪になったあとも司法が監督する形で必ず入院治療が行われます。つまり、無罪といっても、文字通りの無罪放免で司法の手を離れるわけではないのです。これに対して現在の日本の法律では、無罪になると完全に司法の手を離れてしまいます。そして、「自傷他害のおそれのある精神障害者」として措置入院(そちにゅういん)という形で指定病院に入院するのがほとんどですが、措置入院は刑法には全く関係ありません。措置入院は、精神保健福祉法という、医療の法律で定められた制度による入院です。ですから治療と社会復帰がその目的です。そうでなければ、「おそれ」だけで人を拘束することができるはずがありません。また「おそれ」というのは厳密には予測不可能ですから、医療である限りは早目に社会復帰を目指すのは当然のこととなります。このやり方は、文字通り自傷他害の「おそれ」だけの人には適切と思われますが、実際に重大な事件を起こした人にも適切と考える人は少ないと思います。


第二の問題は、起訴する・しないの決定が不合理だということです。事件の「容疑者」は、検察に起訴されてはじめて「被告」となります。起訴する・しないは、検察官が決めるのですが、日本ではいったん起訴されると有罪率は99パーセントです。つまり、無罪になりそうな人は最初から起訴されないということになります。容疑者が精神障害の場合(またはその疑いがある場合)には、起訴前鑑定というものが行われるのが普通です。これは通常は起訴後の鑑定に比べると簡単なものですが、この時点で責任能力が疑わしいと、あえて起訴はしないことが多いというのが現実です。このことは、早く治療を開始することができるという意味では合理的ですが、被害者の気持ちとしては納得できないものが残ることでしょう。それにより、精神障害者に対する見方が悪くなるのも避け難いかもしれません。また、起訴されなければそれは有罪でも無罪でもありませんから、精神障害者の犯罪率には当然カウントされないというのも無視できない事実です。


第三は、精神障害の範囲が広すぎるということです。狭い意味での「病気」でない人でも、性格の極端なかたよりや、逸脱した行動があれば、精神障害に含めるというのが現在の考え方です。国際的な分類法でもそうなっています。たとえば、2000年の5月の連休にバスジャック事件がありました。犯人は精神病院入院中で、社会復帰の準備のために外泊中に事件を起こしたのですが、この犯人は狭い意味での精神病ではなかったということで、そもそも精神病院で対応するべきであったかということも議論されています(2000年6月の公衆衛生審議会で議論されています。議事録は厚生労働省のHPに公開されています)。また、それより前には「行為障害」の少年が大きな事件を起こしたことがありました。「行為障害」は、確かに精神障害の分類の中にありますが、その内容は「非行少年」とほぼ同じです。非行は精神医療の対象でしょうか? それから、精神障害の分類には「反社会的人格障害」というのもあり、これは違法行為をよく行うというのも診断の根拠になっています。ということは当然犯罪率は高いわけで、これなどは「犯罪率が高いから精神障害の範囲に入れられる」という本末転倒に近いことになっています。このように、精神障害の範囲を広く認めることによって様々な問題が生まれ、狭い意味の「病気」の人まで偏見を持たれることにつながっていると言えます。しかし、もしたとえば「行為障害」を精神科がみないということにすると、ではどこで誰がみてくれるのか、ということになってしまいます。そういう問題があるため、法律をはじめとする色々な矛盾は認めつつも、社会的義務として精神病院が「病気」でない人も受け入れているというのが現実です。

以上のような問題は確かにあるのですが、どんな人でも、「治療すれば治る可能性があるか」と問われれば、医者は「ある」と答えます。たとえその可能性が0.1パーセントでも、それを信じて努力するのが治療する者の義務でしょう。「自傷他害のおそれ」があってもこの原則は変わりません。けれども、実際に事件を起こした人に対してもそれでいいのかとなると、これは難しい問題で、もしそれではだめだというのであれば、それは法律で明記しなければならないことです。ですから、上にあげた三つの問題のうち最大のものは一番目の、「無罪になったあとに法律が整備されていない」ということだと私は思います。重大な事件を起こしたのに無罪になった場合、その人をその後どう扱うのか、これを法律できちんと定めない限り、水面下に問題はいつまでも存在し、時には水面に大きく飛び出してくることになるでしょう。
このページの一番はじめに、「精神障害者だから無罪というのはおかしい」という考え方は誤りであると書きました。確かに誤りです。しかし、文字通り「無罪放免」になったら誰も納得しないのは明らかです。


責任能力と刑法の関係については、
刑法入門講義 前田雅英著 成文堂
によく書かれています。

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