精神科Q&A

【0514】メールカウンセリングとインフォームドコンセント


Q: 22歳女性です。最近インターネットを使ったメールカウンセリングを始めたのですが、医師からの返信で気になることがありました。
 宛先が私の他にもあって、それはその病院に関連している事務局のアドレスなのですが、そこにも転送されているのです。プライバシーの管理はどうなっているのか、医師以外にも閲覧されているのかと思うと不安になりました。たとえ、メールがはがき程度の安全性しかないものだとしても、他に転送するというのは次元の違う話だと思うのですが。。。。後日医師にも聞いてみようと思うのですが、すごく不安です。
 そこのクリニックではじめて面接をしたとき、何のことわりもなく、学生のような研修生のような人が同席していて、私はそれがいやだったので、退席してもらったのですが、「他に人がいると気になりますか?」と聞かれて、「あたりまえだろう!」と腹が立った記憶まで思い出されました。こちらはとてもプライベートな秘密の日記を共有するような気分で診察室を訪れているのですから。インフォームドコンセントが行き届いていないな、と思いましたが、たいていの病院ではなあなあになっているのでしょうか?


: メールカウンセリング、あるいはインターネットセラピー。それが正確にはどういうものを指すのか、法的な位置づけがどうなっているのか、私は実はよくわかりません。イメージとしては、メールを交換するという形で行うカウンセリングが頭に浮かびます。おそらくそこまでは間違いないと思います。けれどもあなたのご質問にも関連して重要なのは、法的位置づけということです。つまりこれは医療として認められているのか、いないのか。医療として法的に認められているものであれば、医療者には守秘義務が発生しますから、あなたが書かれているように、メールを無断で他に転送するというのは、その時点で違法行為でしょう。

 しかし、私の推測では、メールカウンセリングは今の日本では医療として認められていないと思います。

 電話による診療は認められています。保険にも電話再診という規定があります。それならメールも認めていいと思われるかもしれませんが、誰が書いているか、誰が読んでいるかわからない、それもいつ読んでいるのかわからないメールが、正式な医療とは、少なくとも私なら認めません。が認めようが認めまいが、そんなことより法律がどうかということになりますが、認められていないと私は推測しています。

 ですから、おそらくあなたのケースでは、メールカウンセリングを開始する際に、契約のような形で双方が合意する約束を取り交わしているのだと思います(料金を含めて)。その契約の中に、あなたが実際に経験されたような、メールの転送のことが記されていたかどうかがポイントになると思います。「あなたの医療にかかわる医療関係者の間では、カウンセリングのメール内容を共有する」とか、そういったことが記されていたのではないでしょうか。もし記されていないのに転送されていたとなると、もしかすると守秘義務違反が成り立つかもしれません(メールカウンセリングが正式な医療であるなしにかかわらず、医療者が患者の秘密を漏洩すれば、やはり守秘義務違反になるでしょう)。また、法的に守秘義務違反が成り立たないとしても、倫理的な問題があるのは当然です。


 なお、私は、メールカウンセリング、あるいはインターネットセラピーは、現時点ではお勧めできません。もちろん必要としている人がいらっしゃるということはよくわかります。医師やカウンセラーの治療を受けたくても、地理的に困難な場合。あるいは、症状そのものなどのため、家から外に出ることができない場合。その他にもいくつかのケースがあると思いますが、いずれにせよ直接の診療を受けられない、または受けにくい方がいらっしゃるのはよくわかります。

 しかし、現時点では、勧められません。

 インターネットや電子メールが日本で一般的になってから、まだ数年しかたっていないというのがその大きな理由です。数年しかたっていないということは、診療をする側の医師などにも(メールによるカウンセリングを、いま仮に「診療」と呼んでいます)、十分な経験の蓄積がないということです。

 もっとも、そんなことを言っていたら、いつまでたっても進歩がないのは明らかなので、先駆的なことを取り入れようとする医師やカウンセラーが、メールを活用しようという姿勢は大いに評価できると思います。

 けれども、先駆的ということは当然失敗の危険もはらんでいるわけですので、その治療を受ける側には、それなりの覚悟が必要です。ですから、どうしても他に方法がない場合を除き、医療をメールやネットに求めるのは、避けたほうがいいと思います。あなたのケースでは、実際に受診もされていますし、特にメールを使わなければならない必然性はないのではないでしょうか。だとすれば、直接の診療だけによる治療を続けたほうがいいと思います。


 それからもうひとつのご質問、あなたの受診したクリニックでの研修生(らしき人の同席)の件です。

 もしあなたが退席を求めても退席されなかったのであれば、問題だと考えてもいいでしょう。(「考えてもいい」というのは、問題ではないという考え方もあるということですが)

 あなたのケースでは、あなたの求めに応じて退席されたのですから、問題ないと考えるべきだと思います。

 あなたは研修生が同席していたことについて、

インフォームドコンセントが行き届いていないな、と思いました

と言っておられますが、このあなたの認識は間違っています。「完全に間違っています」といっていいと思います。

 インフォームドコンセントというのは、「説明と同意」と訳されているように、診療内容について、医療者から十分な説明をし、医療を受ける側がそれに同意したうえで、診療が行われる、といった意味です。それ以上でもそれ以下でもありません。

 といっても、診療内容の文字通りすべてを、医療者が説明することは不可能です。ですから、患者さんの側にも、疑問な点はなんでも質問することが求められることになります。質問しなければ、納得したものと解釈されるでしょう。(重大なことは別です。質問される・されないにかかわらず、説明の必要があることもあります)

 というのが理屈ですが、明らかにこれは従来の日本の医療にはなじまないものです。疑問な点はなんでも質問せよ、と言われても、実際には質問できない、というケースが多いことは、私のサイトへの質問内容を見てもよくわかります。

 それでも昔に比べると、患者から医師への質問はかなりなされるようになっているとは思いますが、なんでも質問するということからはほど遠いでしょう。

 ですから現実の医療場面では、昔に比べるとずっとよく説明するようになったけれど、インフォームドコンセントという言葉を堂々と使えるかというと、そうは言えないというのが大部分だと思います。

 ただし、ご質問との関連からいいますと、インフォームドコンセントという考え方からすると、「患者の気持ちを察して、いちばんいい方法でやってほしい」、そういう姿勢は通用しなくなってきたということは言えます。わかりやすい例は、末期ガンなど、不治の病の告知です。事実を告知することが、患者さんにとっていいことか悪いことか、これは簡単には答えられないことです。しかし、告知しなかったことで、あとから、不誠実と非難されるケースも出てきていますので、インフォームドコンセントという名のもとに、あっさり告知がなされることもあります。これはむしろインフォームドコンセントという言葉の悪用に近いとも思いますが。

 ですからさっき、現実の医療場面では、インフォームドコンセントという言葉を堂々と使えるほどにはなっていない、と言いましたが、それは、だから悪いとかまだ不十分だという意味ではありません。複雑な事情が錯綜した結果として出てきている現実は、そのまま認めるべきだと思います。

 それはともかく、つまりこの【0514】の質問者の方にお伝えしたいのは、「気持ちを察して」というやり方は、インフォームドコンセントではないということです。

 あなたのケースでは、研修生には同席してほしくないという気持ちを察してほしかった、ということだと読みとれます。それはインフォームドコンセントの考え方からすれば、これは間違いなのです。研修生に同席してほしくないという気持ちを、言葉にしてあなたが伝えなければいけないのです。

 つい長い説明になりましたが、

診察室に他の人がいると気になる

というあなたの感じられていることはもっともだと思います。

しかし、それに続く

インフォームドコンセントが行き届いていないな、と思いました

は、完全に間違いですので、その説明をしていてつい長くなってしまいました。

 なお、付け加えますと、今後、日本の病院で、診察に研修医が同席することは、多くなるでしょう。医師の研修制度が変わり、研修の場がこれまでの大学病院から一般の病院に移行するためです。そして研修医の必修科目に精神科が採用されていますので、一般の病院や精神病院の診療場面への研修医の同席は、間違いなく多くなるはずです。


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