精神科Q&A

【0478】息子への執着が異常に強い67歳の母


Q: 私は39歳の産婦人科医です。
実は私の実母のことでご相談があって、メールいたしました。以下に少し長いですが、経過を書いてあります。よろしくご高診のほどお願いいたします。
  
主訴: 母は子供に対する執着がすごい(特に長男)。
家族構成: 母は67歳の専業主婦。70歳の父は健康で、自営業(現役)。子供は長男(私)、長女、次女の三人で、いずれも健康。

 母親に明らかな異常行動がはじまったのは長男が私立中学に合格してからだと長男は記憶している。この頃、母親は長男に対し、「あんたが高い学校に行っているおかげで洋服も買えない」ともらすことが多かった。しかし、その半面で、私立中学に入学したことを自慢に思っていた様子。友人の母親に電話を掛けるようになったのもこの頃からである。子供が友人関係にあると面識がなくても電話を掛け、一方的に友人関係を結んでいた。

 長男が医大に入学し、医者になってから、症状はますます悪化、長男に対する執着も以前より酷くなっていった。

 長男は25歳のときに一度結婚したが、その直後より母の執拗なまでの干渉により半年後別居、その1年後には離婚に追いやられた。このときは長男夫婦は京都、父母は名古屋に住んでいた。母は長男の嫁を良く思わず、電話で罵倒したり、嫁の実家に「育て方が悪い」等さまざまな暴言を吐いていた。嫁の実家の近所の家の電話番号まで調べ、その家に何度も電話をし、嫁の実家の暮らしぶりなどを聞いたりもしていた。そのうち長男宅に、多い時には日に20回ほど無言電話が掛かるようなった。NTTで発信元を調べたところ、すべて名古屋の実家からということが分かった。長男は何度も名古屋に行き「静かに生活をさせてくれるように」と頼んだが全く聞かなかった。一度は実家に話をしに行った長男に向かって、包丁を向けた事もあった。嫁は当時主婦をしていたが、繰り返される電話、手紙(多い時には1週間に4,5通。1通数十枚に及ぶ。内容は暴言の繰り返し。時に字もめちゃめちゃで「今にみておれ」「殺してやる」などの内容。)の上、はじめての都会暮らしになれていなかったこともあって、心労が重なっていった。そのため長男夫婦は少し郊外の家に引っ越した。ところが、そこの家にもふいに訪れたり(長男が仕事で留守にしている昼間)、嫁が訪問を断ると、家の前で周囲に聞こえる大きな声で罵ったりした。そのうち長男宅の前にある家の電話番号まで調べ、母から「(長男夫婦は)どう暮らしていますか?親だから心配でねえ」などという電話を何度も掛けていた。その裏で嫁の実家の親元には毎日のように暴言の電話を繰り返し、そのうち嫁の父親の仕事先にまで「この人は自分の子供もきちんと育てられない」などの内容のファックスを送りつけていた。長男夫婦、嫁の両親は周囲の親戚や仲人である長男の上司に相談し、仲人夫婦の列席のもと、両家が集まり話し合うことに一度はなったのだが、約束の2日前に母側から「体の調子が悪くなったので話し合いには行けない」と一方的に電話が入った。その後も何度か話し合いの場を持とうとしたが、結局毎回反故にしてしまった。長男夫婦は事態の収拾を家裁に持ちかけようとしたが、相談した弁護士のこの例はかなり悪質なために地裁に申し立てた方がよいとの勧めで、「平穏な生活が送れるように長男の職場、嫁の父親の職場へ、急を要しない私的な電話をしないよう」の内容の訴状で訴えを起こした。結局母側は裁判当日になり「体の調子が悪い」などとして裁判を欠席。その後の事態に何ら改善はなく、長男の勤め先への頻繁な電話、訪問は続いた。この間、父親は長男夫婦の婚約当初はあくまで中庸の立場をとっていたが、母親の干渉がひどくなるのに並行するがごとく、父親も全く母親と同じことをいうようになっていた。名古屋の実家には「ふたりの母親」がいる感じだった。結局その後、嫁は流産、心身ともに疲れ果て実家で静養することになり、結婚後2年で長男夫婦の話し合いで離婚することになった。

 その後長男はしばらく名古屋とは絶縁状態となった。

 長男の2度目の結婚話が持ち上がったのを契機に、長男は名古屋の両親と連絡をとるようになった。当初再婚に慎重だった両家のために、何度となく両家の親同士で会う機会を持ち、母も「今回の方は前回に比べてとても気持ちのいい、嘘のない方で気に入った」と言っていた。(前回の嫁の家族が嘘をいったことはなかったのだが、ことあるごとに母は「彼らはうそつきだ」「だまそうと思ってもそうはいくか」など叫んでいた)

 長男の2回目の結婚は結婚後しばらくは平穏に過ぎた。ところが長男の当直で留守な日に必ず嫁に電話があるようになった。まもなく長男夫婦はアメリカに留学したが、その後も1週間に1回以上の割合で30分から長いときには1時間以上の国際電話を掛けてきた。全て長男が仕事で留守にしているときのもので、最初は「元気にしているか」などの内容だったのが次第に「・・・・しなさい」「・・・したほうがよい」から「・・・していないなんてご両親の育て方が悪い」だの「なんでいうことが聞かれないの」などの命令口調に変わってきた。嫁の実家の方にも週に多い時で3,4回、特に急な用事があるわけでもなく、彼らの娘への小言をグチグチと聞かしている。手紙も長男夫婦あてに一通数十枚の分厚いものがよく送られる。嫁の実家にも手紙を送り「息子の居所を隠していただろう」という事実無根の疑いをかけ支離滅裂な内容だった。

 以前の結婚時もそうだったが、長男の嫁の実家への電話、手紙は「ことばの暴力」で埋め尽くされていて、「金目当てで医者と結婚したんやろう」「あんたが子供を生んでも到底医者にはできない」など挙げればキリがなく、とてもここには書けないような、人権を侵害する内容まであった。

 去年の秋に長男夫婦が一時帰国したときのこと、嫁は帰国直前に分かった妊娠のつわりのため、すぐに嫁の実家に移った。母は長男が嫁の実家に泊まることを「嫁の実家に息子を取られる」といつも嫌っていたため当時も長男は嫁の実家に長居せず、すぐに名古屋の実家に顔を出した。翌日、世話になった元の勤め先に長男が挨拶に行っていたときに名古屋から携帯電話があり、母が異常に興奮して「今どこにおるんやああ、嫁の実家に行ってるんやろお。嘘ついても分かるんやぞお」と電話口で何度も何度もどもりながら叫んでいた。父親も「お母さんがおかしくなった。お前のせいやぞ」と興奮した声で叫んでいた。長男は前日に「明日は・・・・へ挨拶しに行くから」と言っていたのだが、1回携帯電話に出なかったのを理由に、長男の説明も聞かず、完全に疑ってかかっていた。このときは長男への電話のあと、嫁の母親の勤め先にまで電話をし、同様な震えたどもり声で「息子をどこに隠したああ」など大声で叫んでいた。

 母の他人への暴言等はたいていの場合、長男と嫁と嫁の実家にあてられることが多く、近所の人や母がいう友達(これも多くは長男の友人の母親)には向けられない。ただ以前は絶対の信頼を置いていたかのように見える医者や知り合いに対して、全く反対の感情を抱くこともしばしばである。何をきっかけでそうなるのかは分からないが、例えば長年「めまい」がするといって医者を転々としているのだが、ある大病院の(神経内科の)医師に対して「なかなかこの先生の診察は(とても高名なので)受けられないのに、診察してもらって自分は光栄だ。ようやく自分にとっての最良の医者を見つけた」といっていたかと思うと「あの医者はちょっと有名だからといって偉そうにしている。患者の顔も見ない。あれでよく診察ができるものだ」と手のひらを返したように反対のことをいったりする。だから同じ医者に定期的に長くかかることは出来ずにいる。殊お金に関しては敏感で、長男が留学中毎月仕送りをしていたにもかかわらず、長男の確定申告の還付金も自分の口座に入れてしまい、長男には1年近くたった今も返さないでいる。

 去年秋、嫁は、つわりの静養のために実家に戻っていた。そのころの入院やらで役所や保険会社から嫁の名前で郵便物が送られてくるので、嫁あての郵便物は嫁の実家へ転送するように届出を出しておいた。嫁は2ヶ月ほどで長男の現在の滞在先のアメリカに移った。ただその後も、嫁あての郵便物は嫁の実家あてに送付し続けたほうがよいだろうとの長男の勧めで、(新たに転送届けは出さず)そのままにして渡米した。ところが嫁の渡米後しばらくして、嫁の実家に郵便局から「(嫁の)郵便物の転送変更届が名古屋あてで新たに出されているんですが、いいんですか?」と連絡があった。嫁の実家は田舎ゆえ一時帰国の際、嫁が「郵便物転送届出」をそれまでの名古屋の長男の実家から、嫁の実家あてに変えたのに、それから3ヶ月も経たぬうちにまた新たな「転送変更届」が出されたことに、郵便局員が不審に思い、親切にも確認の連絡をしてくれたのだった。嫁の実家側は要らぬ触発をしてはいけないと郵便物の再転送届けを出さず、様子を見ている。それから約2ヶ月以上が経つが、名古屋の実家から長男宅に送られてくる郵便物の中に長男あての郵便物が同封され送られてくることはあっても、嫁あての郵便物は(たとえ年賀状でさえも)一通も同封されていない。去年まで毎年のように送ってきてくれていた数人の友人のものさえも今年は無かった。現在までに嫁への郵便物について、そしてその転送届けを勝手に出したことさえも、母親は自ら何も言ってはきていない。

 長男の赴任先があるアメリカの日本領事館にも、全く緊急性のない国際電話を何度も掛けている。長男はちゃんと赴任しているのか、その赴任先はどういう所なのか、そこには日本人の人は他にもいるのか、いたらその人の名前、住所、電話を教えてほしい等々。領事館への電話はたびたび思い出したかのように日に何度も頻繁にかかってくるという。いずれも領事館では取り扱わない種類の依頼で「息子の周りにいる日本人を紹介してくれ」などもあって、領事館側は「ひと探しのようなことはできません」と断っても全く聞いてない様子で同じことを頼んでくると言う。領事館の職員も職務範囲外のことは申し上げられないと断っているそうだが、あまりにも頻回で長時間のために対応に困っておられるとのこと。もちろん長男は赴任前に職場の内容やどのようなところかもちゃんと両親に説明していた。それにもかかわらず現在の職場について「詳細を全く知らせてこない。本当に、ちゃんとしたところで働いているのか?」などと、疑いを持ち、英文科の大学生を誰かに紹介してもらい、長男の勤め先のHPを英語でダウンロードさせ、それを訳させる、などの行動が見られた。

 他にも、母親は、アメリカ大使館、市役所、長男の職場、長男の友人や、仕事の先輩など、次々と連絡をすることをやめなかった。「親ですから心配でねえ」などと相手には話しているという。父親はそういう母親を抑えるどころか、逆に助長しているところがあり、口調も内容も一言一句全く同じになっている。

 母親の連絡する先の多くは長男の友人の母親のところが多く、この傾向は長男が中学に入ったあたりから見られた。当時中学生だった長男自身このことをあまり気持ちのいいものとは思わず、幾度となく「僕の社会を利用して交流を広げるのはやめてくれ。お母さんは自分で自分の社会を切り開いていくべきだ」と母に言っていた。だから大学に入るあたりから長男はなるべく自分がどういう名前の人間と友達なのかは親に言わないようにしてきた。それでも何かのはずみでその友達の名前が知れてしまった場合には、母親はそこの実家に電話をかけ(どういうやりかたで電話番号を知るのかは長男さえも分からないが)、そこの親と友人関係を作ってしまう。彼らにとって母親は「息子さん思いのいいお母さん」であった。

 以上の経過を見て、母親の症状をまとめると以下のようになる。

1.感情が不安定で一定しない
2.思考内容が大きく飛躍したり脱線したり誇大化したりする
3.多弁
4.以前の言動について全く覚えていないことがある(虚言癖?)
5.人に対して猜疑心が強く、また激怒しやすい・攻撃性。信頼できる人がおらず、また、いてもその信頼が長期化しない。自分の言動に対する問題意識が全くない
6.同一人物に対する評価が時期によってまちまち
7.人によって傲慢で見下すような態度に出たかと思うと、別の人には全く違う真摯な態度で接したりと、うまく使い分ける
8.常時の自律神経症状(血圧が高くなりやすい(本人弁)、だるい、めまい、心悸亢進、耳鳴り、頭がふらふらする等)
9.今までのところ自傷行為(自殺企図)はなかった模様。
10. 1日に掛ける電話の回数が膨大で、何時間にも及ぶことが多い。(電話による依存症?)
11.両親が早い時期に亡くなっている(父は母親が小学生時、母は中学生の時くらい。父親はかなり厳格な人物であった様子)
12.お金に対する執着が強く、長男の財産は自分のものだと思っている節がある
13.とにかく執拗。自分がやってうまく行かなくなると夫を使って電話をさせたり、話をしたりさせ、自分の思い通りになるまで執拗に言動を繰り返す。
14.睡眠時間のばらつき
15.既往として、小さな脳梗塞あり(神経内科にてCTを施行し診断された:加齢変化といわれている)

以上。
 長文で申し訳ありませんでしたが、「異常な電話攻撃、手紙攻撃」で私も嫁も心身ともに疲れきっています。また、近くの病院の精神科にこの内容と同じ書面を持って、私の妹が相談にいったのですが、対応した医師は「人格障害という診断を下すのは難しい。また、人格障害だとしても、それは入院で治すとか、薬で治すというものではない。境界型人格障害は20〜30代の人、特に女性に起こるのが特徴で、この母親の年齢からして、また昔から性格的に強いところがあったことからして、病気と診断することはできない」とのご返事だったそうです。

 林先生のご意見をうかがいたく存じます。よろしくお願いいたします。

: お母様は、人格障害と言わざるをえないと思います。
もっとも、相談された医師が、お母様について、
「人格障害という診断を下すのは難しい」
「人格障害だとしても、それは入院で治すとか、薬で治すというものではない」
とおっしゃったことについて、異論はありません。
しかし、
「病気と診断することはできない」
とおっしゃったのは、人格障害は病気でないという意味か、それとも人格障害(という病気)と診断できないという意味か、よくわかりません。どちらかというと後者の意味のようですので、一応そうであるとして話をすすめます。
この医師が、人格障害と診断できないという理由が、67歳というお母様の年齢だとすれば、それには賛成できません。
「境界型人格障害は20〜30代の人、特に女性に起こるのが特徴」
というのはいいとして、だからといって中高年にこの障害が皆無ということにはなりません。若い境界型人格障害の人がそのまま中高年になることもあれば、中高年になってはじめて境界型人格障害の特徴が出てくることも稀にはあります。ですから、お母様の年齢を根拠に、境界型人格障害でない、あるいは人格障害でない、と判断することはできません。したがって、この先生の説明には賛同できません。
 もっとも、この先生は、以上のようなことを承知のうえで、あえて「病気(人格障害)とは診断できない」と説明されたのかもしれません。
 すなわち、お母様をきわめて重篤な人格障害と診断した。人格障害であれ何であれ、「病気」ということをご家族に伝えれば当然治療効果を期待されます。ところがお母様の場合はそれが期待しにくいと判断された。そうなると、医療に過剰な期待をかけられて、結果的にご本人やご家族の不利益になることを避けようとしたとも考えられます。

 質問者が産婦人科医ということで、これに関連して私が思い出すのは、最近ある産婦人科医に聞いた、副腎性器症候群の患者さんの話です。以下は、産婦人科の専門家に私などが説明するのは不適切な内容も含まれていますが、一般の方もお読みになっていることを考えて書いています。失礼の段はお許しください。
副腎性器症候群は、副腎皮質ホルモンの合成酵素のひとつが遺伝的に欠損しているため、本来は女性でありながら、外見的にはほぼ完全に男性になる、あるいは逆に、本来は男性でありながら、外見的にはほぼ完全に女性になる、という病気です。
 最近私が聞いた患者さんの話というのは、無月経を主訴に産婦人科を受診された28歳のある既婚女性のことです。結婚して5年になるこのご夫婦は、妊娠・出産を希望しているため、無月経の診断と治療を求めての受診でした。
 ところが、検査の結果、この「既婚女性」は、副腎性器症候群で、したがって本当は男性だということがわかったのです。
 当然月経があるはずがなく、また言うまでもなく妊娠出産は不可能です。
 一方、ホルモン療法を行えば、男性としての外見に治すことは可能です(これを「治す」というかどうかは別として)。
 この場合、医師はどのように説明するべきでしょうか。
 28年間、自分は女性だと信じていた人に、あなたは実は男性だった、と伝えるべきか否か。
 ご主人に、「あなたの奥様は、実は男性でした」と伝えるべきか否か。
 この産婦人科医がその後どういう説明をされたのか私は聞いていません。また産婦人科医が一般的にこのような場合どのような説明をされるのか私にはわかりません。

 この例をお話ししたのは、いまさら医療ではどうすることもできない場合、どのような説明をするかが難しい問題となるのは、精神科には限らないということを示すためです。
 こうした場合に、どういう説明が「正しい」かについては、いろいろな意見があるとは思いますが、少なくとも単純に事実を説明すればいいというものではないでしょう。
 なお、私が実際の場面でどうしているかはともかく、このサイトにおいては事実を説明するという方針をとっています


 話をご質問のケースに戻します。

 お母様は人格障害と言わざるをえないという話でした。

 人格障害とは何か、というのはそれ自体が非常に難しい問題です。その理由としては、ひとつ間違えば、診断というよりも一種のレッテル貼りになってしまうからです。というのは、倫理的、あるいは道徳的な価値判断から完全に離れて、人格障害の本質を論じることはきわめて難しいからです。

 そこで現代の精神医学では、診断基準を使い、それにあてはまれば人格障害と診断する、あてはまらなければ診断しない、という方法が、一応は正しいとされています。少なくとも公式にはそういう方法をとることになっています。たとえば境界型人格障害であれば、診察室に記載したような基準を用いるわけです。

 この方法は、一見客観的ですが、実のところは診断学の放棄に近いところがあります。本質は何かということは棚上げにしているのです。

 つまり、「人格障害とは何か」という問いに対する答は、「診断基準にあてはまれば、それが人格障害だ」ということになっているのです。

 この問題について話を始めると、人格障害以外の診断についても拡大していき、際限がなくなりますので、今日はやめておきます。

 代わりに、人格障害という概念の歴史について少しお話します。

 人格障害の定義でもっとも有名なのは、シュナイダー(Kurt Schneider, 1887-1967)のものです。それは彼の主著ともいえる、
臨床精神病理学」(Klinische Psychopathologie)
に出ています。
それは、

「当人がその異常性のために苦しむもの、あるいは社会がその異常性のために苦しむもの」

という定義です。

 ただしシュナイダーは人格障害という用語は使っていません。彼の用語は精神病質人格です。そして精神病質人格は、人格異常のひとつであるとしています。

人格異常のシュナイダーによる定義は、

「平均概念の範囲から逸脱した人格」

というものです。

 では人格の平均概念とは何か。どうやって平均を定めるのか。

という問いは、人格障害を離れて、そもそも正常と異常の違いをどう考えるかというより大きな問題に発展します。これも今日は論じないことにします。

 シュナイダーは、人格異常は、

「平均規範であって価値規範などではない」

と明記しています。けれども、さきほどの精神病質人格の定義、すなわち、

「当人がその異常性のために苦しむもの、あるいは社会がその異常性のために苦しむもの」

の中には、価値判断が入っていると考えざるをえないでしょう。苦しむか否かは、社会の状況によって変わってくるからです。

 本来客観的であるべき診断に、価値判断が入ってくるというのは、ある意味で危険なことです。こういうこともあるため、人格障害の診断には慎重にならざるを得ないのです。そこで先に述べたように、中立な(中立に見える)診断基準に単純にあてはめて診断するという方法をとっているともいえます。

 これに関連して、シュナイダーの用語である精神病質人格という言葉は、現代では事実上排除されています。しかし言葉を変えても本質的には何も変わりません。これは他の病名変更も同じことです。

 用語はともかく、ここで私がお伝えしたかったことは、人格障害という概念の、少なくとも一部は、シュナイダーにあるということです。もちろん現代において、このシュナイダーの記載がそのまま通用しているという意味ではありませんが。

 もうひとつだけシュナイダーの主張をご紹介しますと、彼は人格障害を、

「心的資質の異常変異」

であると言っています。つまりこれは

「正常からの偏り」

であって、病気ではない、というのです。

 現代でも、人格障害を病気と呼ぶべきか否かについては議論のあるところです。ただ当時とはっきり違うことは、現代では人格障害の生物学的所見(脳についての所見)についても非常に多くのデータがあるということです。

 話を再度お母様のケースに戻します。

 お母様のケースでは、これだけの極端な言動が続き、周囲を悩ませていれば、人格障害と言わざるを得ないでしょう。

 ただひとつだけ気になるのは、
「小さな脳梗塞の既往がある」
ということです。
 脳梗塞など、脳に器質的な損傷があると、もともとの性格が誇張されることがあります。お母様の言動と脳梗塞の時間的関係が不明ですので何ともいえませんが、もしこの関係があるとすると、器質性の人格変化の可能性があるということになります。
 しかし、お母様のケースに限らず、小さな脳梗塞が認められた場合、それがどこまで行動や精神症状に影響しているかは、推測の域を出ないことが大部分です。

 それから、お母様にかんしては、もうひとつだけ考慮してもいいのは、可能性は低いと思いますが、精神分裂病(統合失調症)です。
 精神分裂病に特異的な症状は何もないではないか、と思われるかもしれませんが、精神分裂病による人格変化で、稀にはこのように極端に自己中心的になることがあります。つまり、若い時期に精神分裂病を発症されて、今は人格変化が残っている状態と考えられるということです。もっとも、精神分裂病の人格変化は、意欲の低下や無為のように、全体的なエネルギーの低下がほとんどで(したがって陰性症状と呼ばれます)、お母様のようなケースはきわめて稀ですので、可能性としては低い(しかしゼロではない)でしょう。

 というような鑑別診断は考えられますが、やはりもっとも可能性の高いのは人格障害でしょう。
 対応としては、

言動が許容範囲を超えたら、厳しい対応を持ってあたる

ということに尽きると思います。【0063】【0233】の回答もご参照ください。もっとも、これらのケースとは違って、あなたの場合は肉親ですので、厳しい対応といっても他人の場合と同じようにはいかない事情はお察しいたしますが、お母様の言動は限度を超えていると思いますので、他人に準じた対応になるのもやむを得ないと思います。

 また、一時は法的手段に踏み切られ、それも空振りに終わったとのことですので、極めて困難であることはよくわかります。しかし、対策としてはこれしかないでしょう。


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