羊をめぐる冒険

ふと思い立って、村上春樹『羊をめぐる冒険』の英訳本を読んでみた。

A Wild Sheep Chase
Haruki Murakami
translated by
Alfred Birnbaum
Vintage eBooks
Kindle版

1

この作品の「羊」は、特殊な羊である。ターゲットとなった人間に取り憑いて、意のままに操る。但しその人間は、特異な傑出した能力を発揮する。その能力を活用した行動が、羊の意図を実現させるのだ。取り憑かれた人間として作品中に最初に登場するのは、非常に強大な右翼団体のトップである老人だ。彼の脳には巨大な血瘤がある。彼の腹心の部下が語る。

(p.162  村上春樹『羊をめぐる冒険』 1982/2003. 講談社)
もうひとつ、血瘤に関して奇妙な事実がある。つまり1936年の春を境にして、先生はいわばべつの人間に生まれ変わったんだ。
・・・
しかし1936年の夏に刑務所を出ると同時に先生はあらゆる面で右翼のトップにおどり出たんだ。人心を掌握するカリスマ性、綿密な論理性、熱狂的な反応を呼びおこす演説能力、政治的な予知能力、決断力、そして何よりも大衆の持つ弱点をてこにして社会を動かしていける能力だ。

One more curious fact about the blood cyst. Starting from the spring of 1936, the Boss was proverbially born again, a new man.

Yet by the summer of 1936, when he was released from prison, he had risen to the top, in every sense of the word, of the right wing. He had charisma, a solid ideology, powers of speech making to command a passionate response, political savvy, decisiveness, and above all the ability to steer society by using the weaknesses of the masses for leverage.

つまりはこういうことだ。

p.163
血瘤の話に戻ろう。私が言いたいのは、血瘤が生じた時期と彼が奇跡的な自己変革を遂げた時期が実に一致しているということだ。

To return to the cyst, what I mean to say is that the period in which the cyst appeared coincided precisely with the period in which he underwent a miraculous self-transformation.

時期の一致。すると因果関係があるのか。

p.163
「あなたの仮説によれば」と僕は言った。「血瘤と自己変革のあいだに因果関係はなく、位置的にはパラレルで、その上に謎のファクターがあるということですね」
「君は実にわかりがいい」と男は言った。「明確にして簡潔だ」

“In your hypothesis,” I said, “there was no causal relationship between the cyst and the self-transformation; instead the two were governed in parallel by some mysterious overriding factor.”
“You catch quickly,” said the man. “Precise and to the point.”

この部分、英文のほうが論旨明確であるが、これは日本語と英語の言語としての特性を反映しているとみるべきであろう。原文のほう、「位置的にパラレル」という表現には一瞬困惑する。空間的に一致しているような印象を受けるからだ。だがここでパラレルなのは「血瘤」と「自己変換」だから、時間的な一致が「位置的にパラレル」と表現されていることは明らかであるが、それにしても困惑は解消しきれない。「位置的にパラレル」にあたる訳文は “governed in parallel” で、すなわち「血瘤」と「自己変革」には因果関係はなく、この二つの原因となる第三の因子があり、その結果として「血瘤」と「自己変革」が発生していることが、” the two were governed in parallel by some mysterious overriding factor.” と明確に記述されている。

その第三の因子が、羊である。ここから羊をめぐる冒険が始まるのであるが、では「血瘤」と「自己変革」には本当に因果関係はないのか。そういうことは医学的にあり得ないのか。小説では、米軍の医師が精密に診察・検査している。以下の引用部分、「彼ら」とは米軍情報部の医師団である。

p.161
第二の可能性は右翼のトップとしての彼のエキセントリシティーと血瘤との相関関係の解明だ。これはあとで君にも説明するが、面白い着想だった。しかし結局のところ彼らにも何もわからなかったと思う。生きていること自体が不可解なのに、どうしてそんなことがわかる? もちろん、解剖でもしてみなくちゃわかりはしない。それで、これもデッド・エンドさ。

The second possibility was to lay bare an interrelationship between his marked eccentricity as the leader of the right wing and the blood cyst. I will go more into this with you later, but it is a more bemusing turn of thought. Though I doubt they ever learned anything. Did they really imagine they could uncover something of that order when the more basic fact of his living remained a mystery?  Short of an autopsy, there was no way they would find anything out. Here, then, another dead end.

医学的には説明がつかない。だからこそ第三の因子としての羊が出て来るのだが、ここまでの事実だけに目を向ければ、これは、脳内に病変が出来たことによって、特異な能力を発揮するようになった症例である。
そういう症例は世の中に実在する。「獲得性サヴァン」と名づけられている。
順序として、獲得性でないサヴァン、すなわち、先天的なサヴァンについての話から始めよう。

2

サヴァン症候群 savant syndrome(単にサヴァンと呼ばれることもある)とは、かなり重篤な脳の障害というハンディキャップを持ちながら、一方で特定の分野に傑出した才能を持つ人々のことを指す。サヴァンは非常に稀なものだが、存在自体は19世紀から知られていた。但し研究が本格化したのは比較的最近のことである。
サヴァンで知られている才能としては、次のようなものが挙げられる。

・たとえば記憶。
記憶力の傑出は、サヴァンで最もよく知られている特性である。
映画『レインマン』の主人公レイモンド・バビットのモデルであるキム・ピークが比較的有名である。彼は脳梁欠損など先天的にかなり重篤な脳障害を持っているが、これまでに読んだ本9000冊をすべて暗記しているという。『レインマン』でも、カジノで、カードをすべて暗記して大勝ちするという場面があった。19世紀の医学文献の中にも、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を一語一句違わずに暗唱するケースが記されている。そのほか最近では、電話帳をすべて暗記しているケースや、全米の道の名をすべて記憶しているケースなどがある。

精神科Q&Aでは、 【1773】幼少時のアスペルガー障害であるとの診断と現在抱える問題のメールに、

私の父親は驚異的な記憶力を持っており、母はそんな父を「サヴァン症候群」だとよく言っていました。

という記述がある。この父親は、

父は変わり者で、自己中心的ですが、努力家での働き者です。コミュニュケーション能力は子供から見ても欠如しており、何を質問しようと会話が成り立たず滔々とうんちくを並べるだけです。子供騙しの変な造語でごまかされます。奇異な行動が多く何年でもボロぞうきんのようになって も同じ物だけを着たがります。「勉強なんて教科書を丸暗記すれば良いじゃないか!」が口癖で、記憶力は良いです。現在父親は離婚、トラブルで親戚中との仲 もこじらせ失踪中。

であるという。
この【1773】の質問者はアスペルガーか、あるいはアスペルガーでないとしても何らかの発達障害であることはほぼ確実と思われ( 【1773】に非常に詳細な記述がある)、父親もおそらくそうなのであろう。サヴァンの大部分は、何らかの発達障害(自閉症スペクトラムといってもよい)に伴うものである。
また、サヴァンの中には、一度目で見たものを、あたかも写真に撮って脳内に保存したかのように細部まで記憶してしまうという「直感像」と呼ばれる現象が見られることもある。

・たとえば絵画や彫刻。
非常に写実的で、細部の描写に優れた作品が、芸術的な才能を持つサヴァンの特徴である。

・たとえば音楽。
絶対音感を持っていたり、一度聴いただけの音楽を完璧に演奏するケースがある。

・ たとえば計算。
カレンダー計算能力がよく知られている。たとえば「1914年6月22日は何曜日か?」という質問に瞬時に正答する。そのほか、桁数の多いかけ算を暗算で解いてしまうケースもある。

・たとえば言語。
年齢相当よりもはるかに優れた読みの能力を持つ場合があり、「読字過剰 hyperlexia」と呼ばれている。但し同時にコミュニケーションに障害があるケースが多いので、総合的な言語能力は高いとは言えない。先に挙げた精神科Q&A【1773】の父親の描写、

コミュニュケーション能力は子供から見ても欠如しており、何を質問しようと会話が成り立たず滔々とうんちくを並べるだけです。子供騙しの変な造語でごまかされます。

発達障害ではこのようなケースがしばしばある。すなわち、言葉数が多く流暢によどみなく話すので、一見するとコミュニケーション能力が優れているようだが、実質的にはむしろ障害がある、というパターンである。

以上ここまで、先天性サヴァン症候群についてであった。

3

ここからが本題、獲得性サヴァンの話である。
先天性サヴァン症候群は、稀とはいうものの、医学界では19世紀から知られていた。
では、後天的なサヴァンというものは存在するのか?
言い換えれば、

脳に損傷を受けた結果、何らかの才能が開花することはあるのか?

答えは イエス だ。
幼少時に脳損傷を受けた結果、何らかの傑出した才能を持つようになったのであれば、メカニズムとしては先天性サヴァンとそれほど大きくは変わらないと予想される。そうしたケースが実在することは1980年の論文 (Brink T: Idiot savant with unusual mechanical ability. American Journal of Psychiatry 137: 250-251, 1980)で報告されている。我が国の有名な版画家、山下清(1922-1971)も、おそらく獲得性サヴァンであると思われる。彼は3歳時に「重い消化不良」によって「3ヶ月間、高熱にうなされて、歩けなくなる程の重態」となり、以後、「言語障害・知的障害」になったという経歴を持つ(山下清公式HPより)。したがってこの時に何らかの脳障害を被ったと強く推認できる。そして彼の創作スタイルは、放浪中に見た「風物を自分の脳裏に鮮明に焼きつけ」、後に自分の記憶したイメージを作品にするというもので、本稿2の「直感像」にあたる能力を持っていたと思われる。
しかし、成人になってから被った脳損傷によるサヴァンというものは存在しないであろうというのが常識的な考え方であった。脳が損傷されれば、脳の機能は低下するのが当然であって、脳の機能が改善することはあり得ないと考えられていたのである。
この常識は1996年に覆された。この論文である。

Miller BL, Ponton M, Benson DF, et al:
Enhanced artistic creativity with temporal lobe degeneration.
側頭葉変性に伴う芸術的創造性の亢進
Lancet 348: 1744-1745, 1996.

前頭側頭型認知症(前頭葉と側頭葉が萎縮していく疾患)を発症してから、写実的な絵が描けるようになった3症例を報告した論文で、そのうち一例、68歳男性の作品が掲載されている。

同じ研究グループが2年後、さらに長い論文で、計5症例を発表している。

Miller BL, Cummings J, Mishkin F, et al:
Emergence of artistic talent in frontotemporal dementia.  
前頭側頭型認知症における芸術的才能の顕現
Neurology 51: 978-982, 1998.

この論文には前頭側頭型認知症の5症例が提示され、いずれも何らかの芸術的才能が開花したことが紹介されている。彼らの作品も複数収載されている。

これ以後、同様のケースがいくつも医学論文の中に見られるようになり、獲得性サヴァン acquired savant という名前が定着するようになった。但しなぜ脳損傷で特定の才能が開花するのか、そのメカニズムは不明であったが、2014年に、この謎に挑んだ論文が発表されている。

Takahata K, Saito F, Muramatsu T, Yamada M, Shirahase J, Tabuchi H, Suhara T, Mimura M, Kato M.
Emergence of realism: Enhanced visual artistry and high accuracy of visual numerosity representation after left prefrontal damage.
脳損傷後にみられた芸術的能力の開花に関する研究
Neuropsychologia 57: 38-49, 2014.

この論文では、脳血管障害で左前頭葉に損傷を負った後、見事な絵が描けるようになったケースについて、実に詳細な検査を行い、右脳の特定部位の血流増加が、芸術的能力の開花に関連することを示している。

サヴァンの脳内メカニズムは、脳の一部の損傷によって、それまで抑制がかかっていた脳の別の部位の機能が亢進するためではないかという仮説は、獲得性サヴァンの存在が最初に論文に出たころから言われていた。上記2014年の論文は、その仮説を初めて立証したものである。
(余談だが、山本英夫『ホムンクルス』は、脳に小手術を施して傷をつけた結果として、特異な能力を持つようになるという作品である。 名作マンガで精神医学の中で私はこの作品の解説として、「脳の損傷によって、それまでになかった才能が目覚めることは、実際にあり得る」と記し、先の1996年の論文を引用した)

人間の脳は、何億年もの時間をかけた進化の産物である。この気の遠くなるような時間の中で、脳内に眠る形になった能力は、おそらく膨大にあるのであろう。脳の奥底でタイムカプセルのように眠り、開花を待っている才能は、まだまだあるに違いない。

 

4

羊をめぐる冒険 A Wild Sheep Chase の話に戻る。
この作品に登場する右翼団体のトップは、脳内に病変を持っている。そしてその病変が発生した時から、リーダーとしての傑出した能力を発揮するようになっている。すなわち、脳内の病変が、彼のリーダーとしての傑出した能力の原因であると推認できる。すると彼は、リーダーに要求される社会性が突出して優れた、獲得性サヴァンである。
そういうケースは存在するだろうか。
少なくとも、医学論文としては報告されていない。
するとこの問いは、
そういうケースが存在する可能性はあるだろうか。
と言い直す必要があろう。
先天性サヴァンの大部分は(すべてかもしれない)自閉症スペクトラムといえるケースであり、記憶や芸術などの領域の能力は傑出しているが、社会性には問題があるのが常である。であれば、実力によるリーダーにはとてもなれないと考えるのが普通だ。
獲得性サヴァンのうち、1990年代の論文にみられる前頭側頭型認知症では、人格変化、脱抑制などの障害を合併しており、やはり社会性については、障害こそあれ、優れているということはあり得ない。前頭側頭型認知症のこのような特性については、 【1123】68歳の父が感情をコントロールできなくなりましたに実例がある。   2014年の論文に見られるような脳血管障害のケースでは、損傷部位は右脳であって、これもまた社会性が優れるという帰結は考え難い。
すると、羊をめぐる冒険の右翼トップのように、巨大な組織のリーダーになるような能力を、脳損傷によって獲得することは、現実的にはまず考えられないということになろう。
ではそこまではいかなくとも(あれほど巨大な組織のリーダーにまではならなくても)、社会的能力や対人的能力が、脳損傷の結果傑出することはあり得るか?
もし「ない」とすれば、羊に登場してもらうしかないということになるが、私は、「ある」と予想している。理由は二つある。
一つは、非常に例外的な形の脳損傷による抑制解放現象が発生すれば、人間の持ついかなる能力も(文字通り、「いかなる」能力も)、大きく増大することがあるはずだという理論的な理由である。
もう一つは具体例に基づいている。「社会的能力や対人的能力が、脳損傷の結果傑出するようになった」といえる実例を、少なくともそれに近い実例を、私は知っている。
臨床例なので、詳細をここに書くことは出来ないが、そのケースは、十代のとき事故で脳のある部分に損傷を受け、以後、性格が変化した。学校卒業後は、意外にも金儲けに非常に優れた才能を発揮し、中年に達した現在は、ちょっと考えられないほどの莫大な財産を有している。その一方で、精神症状があるため、精神科の患者になっているのだが(『羊をめぐる冒険』の右翼リーダーにも、周期的なひどい頭痛、幻覚などの症状がある)、今もなお財産は増大し続けている。
この人は、社会性にそれなりの問題があることはあるのだが、金儲けに関係する対人交渉能力については、普通よりはるかに高い社会性を有している。実際に会ってみると、この人にそんな能力があるとは信じ難い印象なのだが、金儲けの能力と現有財産については、この人の虚言ではなく間違いのない確実な事実である。こういうケースを目の当たりにすると、特異な社会性を発揮する獲得性サヴァンは存在すると推定せざるを得ない。『羊をめぐる冒険』から「羊」を除外すれば、この作品はノンフィクションとして成立するのだ。

23. 6月 2014 by Hayashi
カテゴリー: コラム