野火

ふと思い立って、大岡昇平『野火』の英訳本を読んでみた。

Fires on the Plain
Shohei Ooka
translated by Ivan Morris
Tuttle Publishing  1957/2001

1

煙は比島のこの季節では、収穫を終った玉蜀黍の殻を焼く煙であるはずであった。それは上陸以来、我々を取り巻く眼に見えない比島人の存在を示して、常に我々の地平を飾っていた。
(p.16; 大岡昇平『野火』新潮文庫 昭和49年発行 昭和62年64刷)

p.21
Since we had landed in the islands fires like this, in which the Filipinos burned the husks of their corn after harvest, seemed to have been almost constantly on our horizon.

フィリピンの地平に立ち上る煙。これが「野火」である。歩兵としてレイテ島に派遣された主人公の田村が、不安とともに幾度となく目にする光景である。続く文章はこうだ。

p.16
歩哨はすべて地平に上がる煙の動向に注意すべきであった。ゲリラの原始的な合図かも知れないからである。事実不要物を焚く必要から上がる煙であるか、それとも遠方の共謀者と信号する煙であるかを、煙の形から見分けるという困難な任務が、歩哨に課せられていた。

p.21
They were, in fact, our only evidence of the continued existence of the native inhabitants, who surrounded us on all sides but whom we hardly ever saw. One of the main duties of the sentries was to detect these fires and to judge from the shape of the smoke whether they were genuine bonfires for burning waste husks, or signal fires lit by guerillas as a primitive means of communicating information to their distant comrades.

この訳文の一行目、They were, in fact, our only evidence of the continued existence of the native inhabitants, who surrounded us on all sides but whom we hardly ever saw. はどうか。明らかに原文にはない。野火というものの説明としては妥当な内容であるが、あえて翻訳者が追加する必要があるかどうかは微妙なところであろう。

前述の通り、野火を目にするとき、田村の心にあるのは不安である。それはもちろん野火はその下に事実上の敵である比島人(フィリピン人)の存在を示唆するものであるからであるが、特に田村が肺病のため軍から追放された立場であることがこの不安を限りなく大きいものにしている。田村の立場は、小説の冒頭で明らかにされている。大岡昇平が、「書き出しはポーの『井戸と振子』を模しています」と言っている(大岡昇平『野火の意図』 大岡昇平集15. 1982年 岩波書店; 初出は『文学界』1953年10月号 原題「創作の秘密 — 『野火』の意図」)、その冒頭部分:

p.5
私は頬を打たれた。分隊長は早口に、ほぼ次のようにいった。
「馬鹿やろ。帰れっていわれて、黙って帰って来る奴があるか。帰るところがありませんって、がんばるんだよ。そうすりゃ病院でもなんとかしてくれるんだ。中隊にゃお前みてえな肺病やみを、飼っとく余裕はねえ。見ろ、兵隊はあらかた、食糧収集に出動している。味方は苦戦だ。役に立たねえ兵隊を、飼っとく余裕はねえ。病院へ帰れ。入れてくんなかったら幾日でも坐り込むんだよ。まさかほっときもしねえだろう。どうでも入れてくんなかったら — 死ぬんだよ。手榴弾は無駄に受領してるんじゃねえぞ。それが今じゃお前のたった一つの御奉公だ」
私は喋るにつれて濡れて来る相手の唇を見続けた。

p.3
My squad leader slapped me in the face.
“You dammed fool!” he said. “D’you mean to say you let them send you back here? If you’d told them at the hospital you had nowhere to go, they’d have had to take care of you. You know perfectly well there’s no room in this company for consumptives like you!”
My eyes were riveted to his lips, which became more and more moist as he babbled away.

この訳文の中隊長の言葉からは、原文の「見ろ、兵隊はあらかた、食糧収集に出動している。」以下が省略されているが、同じページの下方にその部分の訳文を見出すことができる。なぜ英訳者が、この中隊長の言葉を分断する必要ありと考えたかは不明である。
それはそうと、大岡昇平が「模した」と言っているポーの小説の書き出しをみてみよう。

(The Collected Works of Edgar Allan Poe: A Complete Collection of Poems and Tales [Kindle版]  Edgar Allan Poe (著), Giorgio Mantovani (編集)より)
THE PIT AND THE PENDULUM
I WAS sick — sick unto death with that long agony; and when they at length unbound me, and I was permitted to sit, I felt that my senses were leaving me. The sentence — the dread sentence of death — was the last of distinct accentuation which reached my ears. After that, the sound of the inquisitorial voices seemed merged in one dreamy indeterminate hum. It conveyed to my soul the idea of revolution — perhaps from its association in fancy with the burr of a mill wheel. This only for a brief period; for presently I heard no more. Yet, for a while, I saw; but with how terrible an exaggeration! I saw the lips of the black-robed judges. They appeared to me white — whiter than the sheet upon which I trace these words — and thin even to grotesqueness; thin with the intensity of their expression of firmness — of immoveable resolution — of stern contempt of human torture. I saw that the decrees of what to me was Fate, were still issuing from those lips. I saw them writhe with a deadly locution. I saw them fashion the syllables of my name; and I shuddered because no sound succeeded.   I saw, too, for a few moments of delirous horror, the sable draperies which enwrapped the walls of the apartment.…..

(佐々木直次郎訳 落穴と振子 青空文庫 (Kindle) より)
私は弱っていた、 —– あの長いあいだの苦痛のために、死にそうなくらいひどく弱っていた。そして彼らがやっと私の縛めを解いて、坐ることを許してくれたときには、もう知覚が失われるのを感じた。宣告 —– 恐ろしい死刑の宣告 —– が私の耳にとどいた最後のはっきりした言葉であった。それからのちは、宗教裁判官たちの声が、なにか夢のような、はっきりしない、がやがやという音の中に呑みこまれてしまうように思われた。それは私の心に回転という観念を伝えた。 —– たぶん、水車の輪のぎいぎいまわる音を連想したからであろう。それもほんのちょっとのあいだであった、やがてもう私にはなにも聞えなくなったから。しかし少しのあいだはまだ私には眼が見えた、—– がなんという恐ろしい誇張をもって見えたことであろう! 私には黒い法服を着た裁判官たちの唇が見えた。その唇は白く—– いまこれらの言葉を書きつけている紙よりも真っ白に —– そして奇怪なほど薄く、その冷酷 —– 動かしがたい決意 —– 人間の苦痛にたいするむごたらしい軽侮を強く示してあくまでも薄く、私の眼にうつった。私は、自分にとっては運命であるところの判決が、なおその唇から出ているのを見た。その唇が恐ろしい話しぶりでねじれるのを見た。その唇が私の名の音節を言う形になるのを見た。そしてそれにはなんの音もないので私は戦慄した。私はまた、この無我夢中の恐怖の数瞬間に、その部屋の壁を蔽うている黒い壁掛けが静かに、ほとんど眼にたたぬほどかすかに、揺れるのを見た。・・・

どちらも死の宣告を受けている。それは人間にとって、到底信じ難い非日常的な出来事である。このとき、彼に見えているのは、その宣告を告げる人物の唇である。日常なら、そこから言葉が発せられていることなど全く意識していない唇の詳細が見えている。確かにこの点において、『野火』と『The Pit and the Pendulum』の書き出しは似ている。しかし大岡昇平自身からそう言われなければこれを「模した」とは気づけないように思える。

2

それはそうと、野火である。
田村はレイテ島での恐ろしい体験の後、九死に一生を得るのであるが、日本に帰国後は狂人として(「狂人」はこの小説での大岡昇平による表現である)精神科病院に入院する。
レイテ島での田村の体験の中に、すでに「狂気」の徴候が見え隠れしている。大岡昇平自身が、それを意識して書いたと、たとえば先の『野火の意図』で次のように言っている。

しかし孤独な敗兵にとって、その人間はまず「敵」として考えられる。命がけの無理な出発なので、「夢」における「自己死」(自分の死体を夢に見る。ドン・ジュアンやシャルルカンに例があります)もその援用によって持って来られたのですが、この「自己視」の思い付きから、僕は主人公の狂気の方向を得ました。
無人の教会で主人公に幻聴がありますが、彼はそれを自分の声だと思うのです。

精神病の幻聴とは、文字通り「声が聞こえる」という体験だが、初期においては自分の思考と区別がつかないことがよくある。「自分の考えが頭に響く」「自分の考えていることが聞こえる」というような体験である。

この場面の原文はこうだ。

p.79
床の埃に伏して私は泣いた。十字架に曳かれて降りて来た敬虔なる私が、何故ただ同胞の惨死体と、下手な宗教画家の描いたキリストの刑死体だけを見なければならないのか。私をここに導いた運命が誤っているか、私の心が誤っているか、そのいずれかである。
「デ・プロフィンデス」
昨夜夢で私自身から聞いた言葉が響き渡った。私は振り向いた。声は背後階上の、合唱隊席から来たように思われたからである。
しかし眼は声の主を探しながら、私はそれが私の幻聴であるのを意識していた。その声は誰かたしかに、私の知っている人の声だと私は感じたが、その時誰であるかは思い出せなかった。
今では知っている。それは昂奮した時の私自身の声だったのである。もし現在私が狂っているとすれば、それはこの時からである。

p.109
I lay down in the dust of the floor and wept. Why, when after all these years I had again been stirred by religious feelings and even been drawn by them to this village, should I have been forced to see only the mangled corpses of my fellow soldiers and the tortured body of Jesus painted by some unskillful artist? Was it fate that had contrived this cruel jest, or did the fault lie within myself?
“De profundis!” The words I had heard from my own mouth in my dream the night before suddenly boomed through the church. They seemed to come from the choir loft and I looked up. But the church was empty. Who then could have called out those words?
It was my own voice, raised unconsciously in my agitation. If I have in fact become insane, it was then that my insanity started.
病気が進行すると、幻聴に対する病識は失われてくるのが普通だが、発病の初期にはある程度の病識があることはしばしばある。その意味で原文の「しかし眼は声の主を探しながら、私はそれが私の幻聴であるのを意識していた。」は、精神病発病初期の状態についての適切な描写であるといえる。
しかし英訳文にはこの原文に対応する文章が欠如している。替わりに「But the church was empty. Who then could have called out those words?」という英文が記されているが、これは原文にない文であることに加えて、このときの主人公の体験の本質的な部分が削除されているという意味でも不適切な訳文と言わざるを得ない。
さらに言えば、原文の「十字架に曳かれて降りて来た敬虔なる私が、」にあたる訳文も欠如している。訳文では替わりに「when after all these years I had again been stirred by religious feelings」という文が記されているが、訳者は『野火』をあまりよく読んでいないのではないかと疑わずにはいられない、本質を外した文になっている。原書を読めば明らかであるが、主人公は、ひとり潜伏する山中から下界を見下ろした時、海岸近くに教会があることに気づき(そのきっかけは光る十字架が見えたことであった)、するとそこには比島人がいる = 主人公にとって非常に危険な場所である ことを承知のうえで下山してきたのである。それが「十字架に曳かれて降りて来た敬虔なる私が、」という表現に凝縮されているのであり、これを「when after all these years I had again been stirred by religious feelings」と訳すのは(というより、訳者が独自に創作するのは)、翻訳とは言い難いのではないか。

話がそれた。精神病の発症についての話だった。
上記、教会での幻聴以外にも、大岡昇平は、主人公の精神病発症の徴候をそれとなく作品中に描写している。と大岡昇平自身が諸所に書いている。だが野火そのものと精神病の関係については、(私が調べ得た限りでは)書いていない。

しかし私はついこのように読んでしまう。野火を目にした、別の場面。

p.22
私はその煙を眺めて立ち尽した。
私の行く先々に、私が行くために、野火が起るということはあり得なかった。一兵士たる私の位置と、野火を起すという作業の社会性を比べてみれば、それは明らかであった。私は孤独な歩行者として選んだコースの偶然によって、順々に見たにすぎない。

p.28
I stopped in my tracks and gazed at the smoke. Surely it could not be because of me that these fires were being lit on the plains. The chance of killing a single Japanese soldier could hardly warrant the effort of starting all these smoke signals. It must be simply a coincidence that I had chosen a route along which the Filipinos happened to be lighting their prairie fires.

この訳文にもひとこと言いたいところだが、今回は抑える。原文だけに注目しよう。ここで主人公は「私の行く先々に、私が行くために、野火が起るということはあり得なかった。」と冷静に分析している。
だが、小説のタイトルが 野火 であることからもわかるように、主人公の視界には幾度もこの野火が現れる。その時の主人公の心理は必ずしもあえて描写されていないが、主人公がその都度野火を意識していることは自明で、その際に不安感が存することもまた読み取れる。すると小説の比較的始めの部分では上記の通り「私の行く先々に、私が行くために、野火が起るということはあり得なかった。」という思考ができていた主人公が、後には — 病気の進行に従って — この野火に被害的な意味づけをするようになるというのが、精神病の自然経過からすると、合理的な推定である。

というふうに読んでしまうのは、おそらく精神科医の職業病なのであろう。花崎育代『大岡昇平研究』(双文社出版、2003年)に次の記述がある。(p.94)

作者は田村に「社会性」について言及させ、「私が行くために、野火が起る」ことを否定させる。しかし、ここで傍点を施してまで記しているのは、田村の「私が行くために」野火が起こったのであってほしいという潜在下の感情つまりは社会に参加したいという社会志向の欲求を顕在化させたかったからに他ならない。そして田村は「誰がこの火をつけたのだろう」という疑問を残したままではあるが、「あそこにはとにかく同胞がいる」と病院への道を急ぐのである。

なるほど明らかにこのほうが説得力ある解釈である。
もちろん現実の精神病では、金閣寺に「水上勉 vs 林公一」の形で記したとおり、一見すると説得力ある解釈が実は重大な誤りで、病気を悪化させてしまうことがしばしばあるのだが、『野火』は完全なフィクションであるから(大岡昇平自身は現にフィリピンに兵隊として派遣された実体験を持っているので、つい『野火』の内容の少なくとも一部は実話ではないかと考えたくなるのであるが、『野火』はあくまでフィクションであり、実体験に基づく『俘虜記』とは異なると大岡昇平自身が明快に述べている)、精神病の事実にかたよった解釈は不当というべきであろう。

ここで思い出されるのは『野火』の映画版である。

野火 市川崑監督 船越英二、滝沢修、ミッキー・カーチス 1959年

映画は、原作とは異なり、ひとり生き残った田村が、ふらふらと野火に向って歩いて行く場面で結ばれている。これは、上記花崎育代と同じ解釈に基づいたラストシーンであるといえよう。
(ところでこの昭和34年の名作映画は、当然ながら白黒である。おそらくカラーであったら正視できない、生々しく凄惨な場面が、白黒であることによってその酸鼻さを軽減させる効果を有している。)

3

『野火』は、その文体と密着した美しい場面がいくつもある。
それが英語にどのように訳されているか、私が興味を持っていた場面の一つがこれだ。誤って比島人の女を撃ち殺してしまい、その女と一緒にいた男が逃げた後の田村。

p.84
男が遁れ去った以上、私は村に留ることは出来なかった。雑嚢に塩を詰められるだけ詰めて、私はその家を出た。
  月が村に照っていた。犬の声が起り、寄り合い、重なり合って、私が歩むにつれ、家々の不明の裏手から裏手を伝って、移動した。声だけ村を端れても、林の中まで、追って来た。
  靄が野を蔽い、幕のように光っていた。動くものはなかった。遠く、固い月の下に、私の帰って行くべき丘の群が、薄化粧した女のように、白く霞んで、静まり返っていた。
  悲しみが私の心を領していた。私が殺した女の屍体の形、見開かれた眼、尖った鼻、快楽に失心したように床に投げ出された腕、などの姿態の詳細が私の頭を離れなかった。
  後悔はなかった。戦場では殺人は日常茶飯事にすぎない。私が殺人者となったのは偶然である。私が潜んでいた家へ、彼女が男と共に入って来た、という偶然のため、彼女は死んだのである。
  何故私は射ったか。女が叫んだからである。しかしこれも私に引金を引かす動機ではあっても、その原因ではなかった。弾丸が彼女の胸の致命的な部分に当ったのも、偶然であった。私は殆どねらわなかった。これは事故であった。しかし事故なら何故私はこんなに悲しいのか。
  野を斜めに横切った川の橋へ来た。橋板を軍靴で踏む音が、ごとんごとんと耳に響いた。私はその低い欄に腰を下し、流れる水に見入った。
  水は月光を映して、燻銀に光り、橋の下で、小さな渦をいくつも作っていた。渦は流水の気紛れに従って形を変え、消えては現われ、渦巻きながら流れて行き、また引き戻されるように、遡行して来た。

長く引用してしまった。この引用部分の美しさの一つは、リズムである。それぞれの段落の第一文を列記してみる。
「月が村に照っていた。」「靄が野を蔽い、幕のように光っていた。」「悲しみが私の心を領していた。」「後悔はなかった。」「何故私は射ったか。」「野を斜めに横切った川の橋へ来た。」
「・・・た」で結ばれる短文、叙情的ともいえる短文、一方で淡々とした印象の短文の連続である。もちろんこれは散文であるが、定型詩のような様式美をそなえている。そしてついに「野を斜めに横切った川の橋へ来た。橋板を軍靴で踏む音が、ごとんごとんと耳に響いた。」という形にこの定型がやや崩され、すべての原因は銃であると思い当たり、その銃を川に投げ捨てるのである。

この部分の訳文。各パラグラフの文頭に注目。

p.116
I stuffed my haversack with salt and left the house. The village was drenched with moonlight. As I hurried up the street the dogs started to bark. The harsh medley of their voices followed me from the shadows of the huts, and even after I was out of the village the noise still seemed to pursue me.
A gleaming mist hung over the fields like a curtain. Nothing moved. In the distance, under the adamantine night sky, rose the hills to which I was returning. Their surface was hazy and white like the powdered face of a woman, and they were as still as death.
I was overcome by sorrow. The image of the dead woman — her wide-open eyes, her little pointed nose, her breasts, her arm stretched on the floor as if thrown out in a moment of blissful passion — hovered constantly before my eyes.
It was not that I felt any particular regret. Homicide was now too common an occurrence to think of twice. Besides, it was by sheer accident that I had killed her: if she had not entered that particular house she would still be alive.
Why had I shot her? Because she had screamed. Yet while this may have been my immediate motive for pulling the trigger, it was not the real cause. I remembered that I had hardly aimed at all. It was simply by chance that the bullet had hit her breast. But if it had all been an accident, why should I feel so sad?
I reached the river that cut across the field near the forest. My boots clattered noisily across the wooden boards of the bridge. Halfway across, I stopped and leaned over the low handrail. I gaze into the water that flowed along, dully silvered by the moonbeams. Under the bridge countless eddies swirled round, changing their shapes, moving slightly downstream, and then returning to their original positions, as if pulled back by some magnetic force.

段落冒頭を原文と対応させてみる:

「月が村に照っていた。」
→ The village was drenched with moonlight.
(但し、段落の冒頭に位置していない。)

「靄が野を蔽い、幕のように光っていた。」
→ A gleaming mist hung over the fields like a curtain.

「悲しみが私の心を領していた。」
→ I was overcome by sorrow.

「後悔はなかった。」
→ It was not that I felt any particular regret.

「何故私は射ったか。」
→ Why had I shot her?

「野を斜めに横切った川の橋へ来た。」
→ I reached the river that cut across the field near the forest.

上記訳文を通して、私としてはかなり不満である。いや、訳文として特に誤りは認められない。だが原文の美しさが英文にはほとんど反映されていないように思う。対案を示せない私には批判する資格はないかもしれないが、金閣寺 (Yukio Mishima: The temple of the Golden Pavilion  Translated by Ivan Morris  Vintage Books  New York  1959) を読めば、原文としての日本語を、内容の意味だけでなく雰囲気も、かなり正確に英語に訳すことが可能であることがわかるから、この『野火』の英訳は今ひとつという感を禁じえない。The temple of the Golden Pavilion と同じ訳者であるのにかかわらず、どうしたことだろうか。
細かい訳語についても不満がある。

私が殺した女の屍体の形、見開かれた眼、尖った鼻、快楽に失心したように床に投げ出された腕、などの姿態の詳細が私の頭を離れなかった。

下線を引いた「詳細」という単語。この種の文章で「詳細」という単語は、普通は使わない。だがあえて使うのが、いかにも大岡昇平らしい選択である。このようにいわば論理的な単語を用いることによって、全体としては感情的な描写からの距離感が生じ、引き締まった文章になっている。大岡昇平の文章は、この『野火』に限らず、こうした特長が認められる。対する訳文はとみると、

The image of the dead woman — her wide-open eyes, her little pointed nose, her breasts, her arm stretched on the floor as if thrown out in a moment of blissful passion — hovered constantly before my eyes.

「詳細」に対応する単語は “image” であると読める。これでは原文の雰囲気が映し出されない。
さらに言えば、「・・・薄化粧した女のように、白く霞んで、静まり返っていた。」の訳文の “・・・and white like the powdered face of a woman, and they were as still as death.” というのもどうかと思う。”as still as death” は、やり過ぎではないか。

4

やり過ぎといえば、こういうのもある。無人の町から海岸に降りた田村。

p.74
風が吹いていた。かつて私が祖国の夏の海岸で吹かれた風と、同じ湿度と匂いを持った風であった。日を照り返す海面を渡って来て、私の体を孤独な一点に包み、頬をかすめ脚間を抜けて、颯々と吹き過ぎて行った。

p.102
A wind, with a moistness and a delicate scent that I remembered from the summer winds that had blown on the seashore at home, crossed the sparkling surface of the se and, finding me standing there alone in the water, wrapped itself gently about me. Then it passed between my straddled legs and quietly continued its journey over the plains and mountains of Leyte Island.

颯々と吹き過ぎて行った。」と端的に書かれている原文に “and quietly continued its journey over the plains and mountains of Leyte Island” という描写を追加しなければならない根拠はどう考えても無い。これは翻訳とはいえないのではないか。

 

5

逆に、肝心な文章が訳出されていないところも散見される。先の「十字架に曳かれて降りて来た敬虔なる私が、」もそうだが、もうひとつ例を挙げるとすれば、比較的有名な次の文章。精神科病院の田村が語る:

p.163
この田舎にも朝夕配られて来る新聞の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に欺されたいらしい人達を私は理解出来ない。恐らく彼等は私が比島の山中で遇ったような眼に遇うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。

最後の「戦争を知らない人間は、半分は子供である。」が、しばしば引用されるが、あたかも大岡昇平が戦争を賛美する人間であるかのような意味あいで紹介されていることがある。しかし文脈全体を読めばその逆であることは明らかである。
それはそうと、この部分の英訳は興味あるところであるが・・・:

p.232
The reports in the newspapers, which reach me morning and evening even in this secluded spot, seem to be trying to force me into the thing that I want at least of all, namely, another war. Wars may be advantageous to the small group of gentlemen who direct them, and I therefore leave these people aside; what baffles me is all the other men and women who now once again seem so anxious to be deluded by these gentlemen. Perhaps they will not understand until they have gone through experiences like those I had in the Philippine mountains; then their eyes will be opened.

何と、「戦争を知らない人間は、半分は子供である。」の文は削除されていたのであった。”their eyes will be opened” だけでは、訳したとは言えないであろう。

 

【追記】

大岡昇平自身が、この英訳にあきれていることを記録した文章を発見したので追記する。
ちょうど私が引用したこの場面である。

*****
p.74
風が吹いていた。かつて私が祖国の夏の海岸で吹かれた風と、同じ湿度と匂いを持った風であった。日を照り返す海面を渡って来て、私の体を孤独な一点に包み、頬をかすめ脚間を抜けて、颯々と吹き過ぎて行った。

p.102
A wind, with a moistness and a delicate scent that I remembered from the summer winds that had blown on the seashore at home, crossed the sparkling surface of the se and, finding me standing there alone in the water, wrapped itself gently about me. Then it passed between my straddled legs and quietly continued its journey over the plains and mountains of Leyte Island.

「颯々と吹き過ぎて行った。」と端的に書かれている原文に “and quietly continued its journey over the plains and mountains of Leyte Island” という描写を追加しなければならない根拠はどう考えても無い。これは翻訳とはいえないのではないか。

*****

大岡昇平はこの訳文について次のように言っている。

英訳のほうは増えてるところがある。例えば海岸で海水を飲むところがあるのですが、風が来て、自分の股ぐらを吹きぬけていったと、僕は書いた。それが、股をくぐり、フィリッピンの原野を渡り、脊梁山脈を越えていったと余計なことがついているんだな。これは僕は頭に来てね。こんなバカチンな翻訳はないというので、僕は最初は英訳からほかの外国語へ重訳するのは拒絶したのですがね。

(中村明 『作家の文体』p.290 Ⅰ <作家訪問>創作現場の肉声を聴く 15 眼 大岡昇平)

19. 4月 2014 by Hayashi
カテゴリー: コラム